Quantcast
Channel: 情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 230

セイルインターナショナル株式会社 代表取締役 坂口時彦

$
0
0

代表取締役 坂口時彦

代表取締役 坂口時彦

設立 1996年11月5日
事業内容
    • 自動車、オートバイ、部分品の輸入、輸出及び販売業
    • 医療機器、美容機器、健康機器などの輸入(代行含む)、輸出(代行含む及び販売、賃貸、保守業)
    • 広告、販売促進に関する企画、立案、製作及び市場調査
    • 経営コンサルタント業
    • 上記各号に附帯関連する一切の業務
      ・高度管理医療機器等販売業・賃貸業許可取得(許可番号:第N05286号)
      ・医療機器修理業許可番号:27BS200280
会社HP http://www.sail-inter.co.jp/

セイルインターナショナル株式会社を起ち上げたきっかけを教えてください

始まりは9年勤めた会社をやめ、“自分の可能性を試してみたい”と転職したことでした。

勤めていたのは大手の旅行会社でしたが、長く働くにつれ疑問を抱くようになり、
“このままこの会社にいては安定は求められるが、冒険はできない。
もっと自分の可能性を試してみたい”と思うようになり、
当時誘いを受けていた親戚の会社に転職しました。

そこでホテル事業を立ち上げ、代表を3年8ヶ月程務めました。
ゼロからスタートの事業でしたが、
資金調達から従業員採用まですべてを自分が実務と責任者を兼務しました。
初めてのことばかりで非常に苦労はしましたが、貴重な体験で将来への自信となりました。

その後、ホテル事業が軌道に乗ったことを機に、今度は本当の自分の力で何かをしたいと思い、
特にあてがあったわけでもありませんが、お世話になった会社を退職しました。

ちょうどその頃、友人からBMWをドイツから輸入したいが、
現地の状況がわからないので、同行してくれないかという誘いに、
「旅費を出してくれるのなら大丈夫だよ」と軽い気持ちで答えたのがきっかけで、
初めて西ドイツのフランクフルトの地を訪れました。
1985年9月、これが私のターニングポイントとなりました。
まさかこのことがきっかけで自分が輸入車の事業をするとは夢にも思いませんでした。

しかしながら、その後想定以上に原価が高くつくことが分かると、
友人はあっけなくさじを投げてしまいました。
これもまた、まさかの展開でしたが、そのさじを私が拾ったことがきっかけとなり、
その後セイルインターナショナル株式会社の最初の事業である輸入者事業がスタートすることになったのです。

会社を経営していて、一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

国内外を問わず、何社も会社を立ち上げ、おもしろいと感じた会社には直接投資も無数に行ってきました。
そのため大変なことは大小合わせて無数にあり、他と比べても波乱万丈な経営者人生である思います。

その中でも特に大変だったと思うことは、
リーマンショックの煽りを受けて、韓国の輸入車市場がわずか半年で崩壊する事態となった時です。

当時当社では、メルセデスベンツ、BMW等の仕入れを行っていたドイツ老舗ディーラー、
アメリカ・ディーラー、販売先の韓国輸入者商社との4社で提携を結んでおりました。
ところが、その4社によるスキームがリーマンショックの影響で機能しなくなり、
韓国商社からの決済資金が突如止まってしまいました。
とはいえ、ドイツ、アメリカのそれぞれのディーラーへは支払いをしなければならず、
この時ばかりは窮地に追い込まれました。
 
実はこの前年まで韓国市場は好調で、その中でも取引先の韓国商社は50億もの売上を達成しておりました。
当社としてもそれを好機と捉え、韓国商社への融資として
運転資金の10億円(当時の日本の為替に換算すると5億円)を社債、銀行借り入れにて調達をしていました。
 
このような状況下の中で、このほんのわずか数ヶ月後に
ウォンの価値が半分まで下がるとは一体誰が想像したでしょう。
その後も苦しい状況は続き、
100台以上のメルセデスベンツ、BMW 等の車両を売りさばくのに1年以上を要しました。
また、融資した資金のうちの2億円は回収不能となり、当社としての痛手は非常に大きなものでありました。
 
しかしながら、その後の奮闘により、社債の償還、銀行返済は一度も滞らず、
取引先にも一切迷惑をかけることなく、この窮地を乗り越えることができました。
これもひとえに、数々の難問に社員一人ひとりが知恵を出し合い、
一丸となって戦った努力の賜物であったと確信しています。
 
今でも当時のことを思い出し、笑い話としていますが、
笑い話として話せるくらい、よき教訓として捉えることが出来るようになったのだと安堵しております。

坂口時彦様、そしてセイルインターナショナルの強みを教えてください

私自身18歳から30歳までをサラリーマンとして過ごしましたが、6年目くらいに大きな転機がありました。
ちょうど結婚した時期と重なるので、将来のことを真剣に考えるようになったのかもしれません。

そのころ私は東南アジアからハワイ担当へと仕事の内容が大きく変わり、
当時ハワイ旅行取扱いナンバーワンの地位を誇っていた
西日本地区団体部門の手配業務を任されることになりました。

引継ぎのときに前任から航空会社の予約担当者らの紹介を受け、
いかに予約担当者との対応が重要かを聞かされました。
当時、大阪国際空港(伊丹空港)からホノルル便を就航していたのは3社だけで、
お客様の希望する席を確保したい我々旅行業界の担当者から見れば、
航空会社の予約担当者は神様のような存在であり、
前任担当者からも凄い人たちだから気を使って対応するようにと釘を刺されたことを記憶しています。

しかし、私は従来の担当者や他の同業者が折衝するやり方とは別の方法で、
これら航空会社担当者から希望するピークの席を確保することに成功しました。

どうやって成功したかを簡単にお話しすると、
航空会社が望んでいること、頭を抱えている問題などを大小かかわりなく聞き出し、
その中から自分の裁量範囲で出来ることを選別しました。
そして、彼らにとって有益度の優先順位を決め、タイミングよく協力することで、
こちらの希望する席を確保することに成功しました。

この時に成功の引き金になったのは、
「飛行ルートの航空機選定がどのように決められているか」と質問したことでした。
普通聞いても教えてくれないだろうと勝手に思い込みしてしまう中に問題解決の糸口があり、
視点を変えてみることで、有効な手段を見つけ出すことができるのです。
一つの質問次第で、目的達成の可能性が広がることを悟りました。

この本質を見極めるための質問力、そして対応力が私、坂口時彦の強みでもあり、
言い換えるとセイルインターナショナル株式会社の強みでもあると考えています。

会社を経営する上で、特に心がけていることを教えてください

「三方良し」の精神と「一石三鳥」のアイデアです。
自分と取引先と大衆、三方すべてから支持されないと事業は成功しても継続することはできません。

また、アイデアは非常に重要で、常に「一石三鳥」となるアイデア探す努力をしています。
そのときに重要なことは、目先の利益にとらわれないこと。
その事業の大儀は何かを常に考えることです。
常にやり方を多方面から検証して行動することを忘れなければ、
最終到達地点に多少のズレがあったとしても、必ず成果を出すことができると信じています。

また、私自身、誰もが群がって行うビジネススタイルには面白みと商機を感じません。
盲点とも言える新たなビジネスを創造し見出すことに、遣り甲斐と面白みを感じます。

面白いと感じると複雑な問題をも解明したいと思う欲望にかられ、
そのことがモノの本質を捉える能力を養うことにも繋がっていったと感じています。

論語の一説に、
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とあります。

ビジネスもゲームの様におもしろいと感じ始めると次へ挑戦したいという強い欲望が生まれてくるものです。
そうなってくると、どのようなビジネスであっても夢中になって挑戦している姿がそこにあり、
結果として目的地へと近づいていくと確信しています。

今後のビジョンについて教えてください

想像もできないほど、目まぐるしい勢いで社会が変わろうとしています。
しかし、社会がどう変化しても、日々考えて行動するスタイルは
普遍的なビジネスマンのあるべき姿だと思います。
常に考えて行動することを習慣とし、
仕事を通じて社員一人ひとりが自分の未来への可能性を探求するような人材と成ることが、
課題でもあり、私の理想とするビジョンです。

《 セイルインターナショナル株式会社 代表取締役 坂口時彦 》


Viewing all articles
Browse latest Browse all 230

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>