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Channel: 情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~
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株式会社こうゆう 代表 高濱正伸

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代表 高濱正伸

代表 高濱正伸

設立 1993/2/2
事業内容
    • 学習塾及び幼児教室の運営事業
    • 野外体験イベントの運営事業
    • 講演会・研修会の運営事業
    • 教材開発事業
    • 公教育機関への学習指導・運営指導事業
会社HP http://www.hanamarugroup.jp/
http://www.hanamarugroup.jp/hanamaru/

花まる学習会について

“花まる学習会”という学習塾をご存知でしょうか?
思考力・読書と作文を中心とした国語力・野外体験を三本柱として、
将来「メシが食える大人」そして「魅力的な人」を育てる学習塾です。
子育ての大半を母親が担う現在、「イクメン」と呼ばれる子育てに積極的な男性も増えてはきましたが、
それでも育児に対する悩みをもつ人は多くいます。
特に近年は、社会の先行きも不透明な事から、
子どもたちの将来を不安視する声も少なくありません。
そんな子どもたちの将来を憂いて、“花まる学習会”を立ち上げたのが高濱正伸氏です。

高濱正伸氏は、1959年の熊本県生まれ。
1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、
「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「国語力」「思考力」「野外体験」を
主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立しました。
当初は20人ほどの規模であった”花まる学習会”ですが、会員になった母親たちの助力もあり、
設立23年目で会員数が20000人を超し、高濱氏が開く講演会などの参加者は年間30000人にのぼります。
では、20人ほどの規模からここまでの学習塾を作り上げるのに、高濱氏はどのような道を歩んできたのか? 
この記事ではその過程をご本人に直接伺ってみました。

生い立ち

私の出身は熊本県人吉市。温泉で有名な山深い街です。
医師の父と元看護師で専業主婦の母、2歳上の姉と2歳下の弟の5人家族。
甘え上手な弟と口が達者な姉との間で、あまり特徴のない子どもだったかもしれません。

恥ずかしがり屋であまりしゃべれない子どもでしたが、
小3の時の担任の中務(なかつかさ)先生が自信を持たせてくれたことで、変わることができました。
子どもの頃は、毎日外で遊んでいました。野原を駆け回り、川で泳ぎ、
クッタクタになるまで遊んでいました。
そして、夏休みの宿題は決まって8月31日に焦ってやっていました。

子ども時代の両親の教育方針

両親から「本を読みなさい」であるとか、
「勉強しなさい」などと言われたことは一度もありません。
父から「跡を継いで医者になれ」と言われたこともありません。
いい意味で放っておいてくれる両親だったのだと思います。

花まる学習会設立時のエピソード

花まる学習会を立ち上げる前は予備校講師で食えていけましたが、
太平洋戦争末期に壮絶な硫黄島の戦いを指揮して帰らぬ人となった栗林忠道中将のお嬢様に
「一生をかけるに足るのは誰もやっていないことに挑戦すること。その方が面白いでしょ!」
と背中を押していただきました。
立ち上げて最初の3年は赤字でしたが、そのお言葉のおかげで乗り越えられました。

お母様たちを協力者に

立ち上げ当時の私は理屈ばかりを言う理系男子でしたが、
一生懸命だったので皆さんにかわいがっていただきました。

エネルギーと真剣さを買っていただいたのだと思います。
当時はわからなかったのですが、
あの時お母様たちが何かを感じ取ってくださったのではないかと今では思います。

実際に子どもを育てた時に学んだこと

花まる学習会で毎月配付している「花まるだより」に
私が子育てをして感じたことを寄稿しております。
以下に紹介いたします。こちらをお読みいただければ幸いです。
-----------------------------------
<前略>
そんな私に、重度の脳性麻痺で知的にも肢体も不自由な息子が生まれました。
一般の子育てと同じくらいには大変でしたが、
可愛いがる気持ちの方が勝って、とても幸せな日々でした。

そんな私にあるひらめきが訪れたのは十年くらい経ったときでしょうか。
「あれ? 俺は実にだらしない
(何せ三浪四留。親の金で映画だ音楽だ本だ競馬だ囲碁だとのめりこんだし、
初就職が三十三歳です)人間なのに、わが子が生まれてこの方、えらく頑張る人間だったぞ」
という俯瞰した見立てが浮かんだのです。

そうか!個人として何ができるかばかり考えていたから出口が無かったのだ。
息子は、単独では偏差値がつけられないほどの存在だが、私と組み合わさることによって、
社会に対して仕事をすることができたんだ!
パートナーとしてカチッと組み合わさったとたんに、二人で一つの大きな力となった。
もっと言うと個人としては何もできないように見える息子が、
ダメダメ人間の私を立て直し、無限大のエネルギーを注入してくれたのです。

誰かと組み合わさって発揮するパートナー力。
これが障がいの子の持つ大きな実力だと思っています。
自分自身は何も化学変化しないけれども相手を活性化する触媒とも似ていますね。
私は、恐らく妻というパートナーと出会うことで「遊び人から大分遠ざかった」し、
息子が生まれたことで、心が整えられ大切なものを見失わずにすみ、
ひたすらに頑張りぬけたのだと思います。
テストの点数で順位付けし一直線上に振り分ける個人戦の思想に、
私自身も洗脳されていたということですが、このことを思いついたときは、嬉しかったです。
-----------------------------------
花まるだより2016年10月号「高濱コラム」より

子どもの教育について今後新たに取組もうとしていること

設立以来、「どんな子でも伸ばしたい」という想いは変わりません。
今後は、これまで中々サポートが行き届かなかった「右上」のところ、
さまざまな部分で秀でている層に対しての特別支援を進めたいと考えています。

これについては、単に勉強というだけではなく、スポーツや芸術などの分野も含んでいく予定です。
また、国内だけでなく、海外の過疎地における教育にも力を入れ、
人類レベルでの教育を受ける機会の均等化に貢献したいと考えています。

《 株式会社こうゆう 代表 高濱正伸 》


株式会社ハートライク 代表取締役社長 中山 正義

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代表取締役社長 中山 正義

代表取締役社長 中山 正義

設立 2010/3/25
事業内容
    • 新築工事
    • 各種リフォーム
    • 建売販売
    • 土地販売・仲介
会社HP http://www.heartlike.jp/

ハートライクのコンセプト

「本気で家作りを考えている人の力になりたい。」
そう考えて必死にお客様の為の「夢」のお手伝いをしていきました。

家づくりで大事なことは
「地震でも倒れない家」「夏は涼しく、冬は暖かい家」
「長持ちする家」などの「性能や機能が良い」ことはもちろん大前提ですが
もっと大事なことは、『その家で住む家族全員が笑顔で幸せに暮らせる』ことです。

そんな風に考えた時、
「ママがいつも自然に笑顔で暮らせたら、
家族全員が笑顔で幸せに暮らせる」事に繋がると気づき
ハートライクでは、「ママが笑顔だと家族も笑顔になる」というコンセプトで、
「住まいるママ」をつくりました。
ママが暮らしやすくするために、家事ラク、スッキリ収納、ハッピー子育ての観点で、
ママのアイデアをたくさん取り入れた家作りを心がけています。

お客様最優先

ハートライクはお客様の満足を最優先して家造りをおこなっています。

上記のように家づくりの際に大切にしているポイントももちろん
ありますが、その前にその為に重要なのは、資金計画からとなります。

家は人生の中で一番高い買い物になります。
もちろん高額な買い物ですからほとんどの方は住宅ローンを使います。
そうすると月々の支払いが多すぎれば、生活に支障がでます。
月々の収入から逆算して無理のない返済計画をしなければなりません。
そういった事をしっかりと相談させて頂き、ご提案するイベントも
定期開催しております。

自社の利益ももちろん大事かと思いますが、お客様の事を第一に考えることが
最終的には会社の為になっていると思っています。

お客様の為に心がけていること

私は、創業をする前はカーディーラーの営業マンからの異業種出身です。
当時は全国No.1の実績もあり実力をもったセールス力で
お客様からの信頼性は群を抜いていました。

特にコミュニケーション能力がとても高い事と自分の信念は
必ず貫こうとするモチベーションを維持しつつ、
建設業、不動産業はとても幅広い知識を必要とする為
常に勉強をして、お客様にベストな対応ができるよう、
会話の引き出しを多く持つように心がけています。

もちろん、常に「仕事」のことばかりを考えているわけでもなく(笑)
ゴルフ・スノーボード・旅行・神社参拝等、趣味も楽しんでいます。
その趣味からお客様との接点が見いだせる事もありますので
社員には「趣味・楽しみ」を見つけるよう常に言ってます。

《株式会社ハートライク 代表取締役社長 中山 正義 》

株式会社リエイト 代表取締役社長 後藤 涼也

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代表取締役社長 後藤 涼也

代表取締役社長 後藤 涼也

設立 2016/10/3
事業内容
    • WEBコンサルティング事業
    • WEBサイト制作事業
    • WEBマーケティング事業
    • 自社プロダクト企画開発
会社HP http://reeight.co.jp/
http://re-eight.com/

本気でプロゴルファーを目指していた7年間

私は幼少期からスポーツが大好きだったということもあり、
小学生の時はサッカーに夢中で、4年生から6年生までキャプテンを務めたり、
地域の代表にも選出されたりと、そこそこ上手かったみたいです。
ただ6年生になって、他の子の体格も大きくなっていく中で、
私は小さいままだったんです。背の順で言うと前から2番目でした。

そんな中、中学に入る際に多数のクラブチームよりお声掛けを頂いたのですが、
ふと、これからの人生のことを考えると、サッカー選手にはなれても、活躍して、
それで生活していくということが、果たしてできるのだろうか、
それが自分のやりたいことなのかどうかと考えていた時に、
父親にゴルフ練習場に連れて行ってもらったんです。

そこで初めてゴルフクラブを握り、何回か素振りをして、実際に打っていくんですが、
最初から上手く当たっていたみたいで、私自身当たるのは当然だと思っていたんですが、
周囲の人からはすごいと言ってもらったり、才能があるなど、ちやほやされていたみたいです。
私はゴルフであれば体格に関係なく勝負できるのではと思い、ゴルフを本格的に始めることにしました。

やるからには本気でプロゴルファーになることを目指していたので、
学校が終わると、すぐ着替えて、練習の用意をして、バスに乗って練習場へ行っていました。

毎日500球以上打って、パター練習して、バンカー練習して、
トレーニングをしていると、上達も早く、ゴルフを始めて約1年ほどでシングルになり、
3年目で全国大会に出場し7位に入賞したりと
様々な大会で優勝や上位入賞など実績を残していきました。

そして16歳の時に両親に相談してオーストラリアへ計1年ほど留学する機会を頂き、
オーストラリアでゴルフ、語学学習、ベビーシッター、文化交流など様々な経験をさせて頂きました。

その経験を経て、帰国後、プロテストを受けました。プロテストは「プレ予選」から始まり
「一次、二次、三次、最終予選」と5回に渡り、絞り込まれていき、
最終的には毎年50名ほどのプロゴルファーが誕生していました。

プロテストに合格することは厳しい壁ではありましたが、
私自身もっと先の高い目標を掲げていたので、
プロテスト合格自体は通過点でしかなく、合格して当然だと思っていました。

ただ現実は厳しく、敢えなく三次予選で落ちてしまいました。

合格するのが当然だと思っていたので、落ちた瞬間、私の中で何かがおかしくなったんです。

今までたくさん練習してきて、トレーニングもたくさんしてきて、
絶対に合格するというメンタルにおいても磨き上げてきたにも関わらず、
三次予選で落ちてしまった現実と向き合った時に、
「もう自分には無理だな」と思うようになったんです。

それぐらいたくさん練習してきて、毎日ゴルフのことを考えて、
納得する以上にやってきて、それで落ちたということは、
この先プロテストに合格したとしても活躍できないと思い、
2ヶ月ほど悩みましたが、プロゴルファーの夢を諦める事にしました。

その2ヶ月の間で、この7年間を思い返していたのですが、
なぜそこまでストイックにゴルフに向き合っていたのか、に対する答えが見えてきたんです。
それは「活躍してビッグになりたい」「世の中にインパクトを与えたい」
「すごいって思われたい」などの欲求こそがそこまでの気持ちにさせていたんです。

そして、その欲求を満たす方法というのはゴルフ以外にないのかと探していた時に、
当時出会った社長が僕の生き方を決定づけたんです。

その社長は従業員100人以上で年商10億以上の会社のトップでした。
そんな方がゴルフをしていて、すごく楽しそうだなと思ったのと同時に、
社長ってすごくかっこいいなと思ったんです。

ゴルフをしていたこともあり、社長という存在がかけ離れた存在ではなく、
身近でリアリティーがあったので、当時から社長に対して色んな質問をしていました。

例えば、売上っていくらぐらいですか?とか従業員は何人ですか?とか悩みは何ですか?とか、
社長と関わっていく過程を経て、社長ってすごい社会に対しての影響力が大きい存在だなと思い、
将来社長になりたいと思うようになりました。

18歳で営業マンデビュー

社長になりたいと思うようになってからは、どんな社長が理想なのか、
ということを常に考えながら、まずは理想の社長になるために、
社会を知る必要があると思い、話すことが好きだったということもあり、
営業をすることにしました。

当時18歳で、ゴルフしかしてこなかった自分が、スーツの着かた、ネクタイの締め方、
ビジネスマナー、全てにおいて分からないまま社会人となったのですが、
本当にたくさんの人にビジネスの基本を教えてもらいました。

営業という仕事を通じて本当にビジネスの基礎を学びました。
あいさつ、コミュニケーション、テレアポ、書類作成、スケジュール管理、タスク管理、
プロジェクト管理、サービス開発、など多岐にわたる業務を
18歳で経験できたということは非常に良い経験をさせて頂いたと今になって思います。

結局1年ほどで退職することになったのですが、なぜ1年で退職したのか、
それはインターネットに興味を持ち始めたからです。

営業時代のとあるお客さんから「後藤くん、ホームページって作れる?」と聞かれ、
私は即答で「はい!作れます!」と回答したことがありました。
ただその当時の私はホームページのことすら何か分かっていませんでしたが、
営業の性なのか、即答でできますと答えてしまったんです。

さて、できますと言ったものの、ホームページって何?というところから入ったので、
調べながら、ホームページというものを理解していきました。

ホームページを作っていこうとした段階で、社長に「こういう案件があり、
契約しましたので、外注を探してホームページを完成させても良いですか」と事後報告をすると、
当然ですが、激怒されまして、業務時間外に自分でやれと言われたので、仕事が終わると、
ホームページのことを調べながら一生懸命作っていました。

そしてなんとか完成し、納品したところ、お客さんにめちゃくちゃ喜んで頂いたのです。
正直驚きでした。

そこで感じたのが、「このビジネスは面白い」ということです。

ようするに、今までは有形商材を販売しており、在庫を抱えたりなど
様々な外的要因があるなかで売上を上げていかないといけなかったのですが、
ホームページは、作って、納品して完了なので、在庫は抱えずに、外的要因も無く、
一人で納品することができるので、リスクがほとんどないビジネスだと思いました。

つまり、それは営業マンにとって、在庫リスクが無いというのは非常に営業しやすいですし、
会社的にも当然リスクが少なく合理性があると思ったので、
当時の社長にホームページを作る事業部を作りたいと打診したのですが、
あっさり断られ、「それじゃあやめます」といった感じで、
退職し制作会社で働くようになりました。

若気の至りによる失敗

そして制作会社で働くようになり、19歳か20歳ぐらいのときに、
また、ふと自分の人生について考えていました。
20歳というのは人生において大きな転換点だと感じており、
何かしないといけない、何かしたい、といった欲求がピークに達していたので、
社長になりたいと以前から考えていたこともあり、今すぐ起業しようと、
何も準備をせず起業しました。しかも当時在籍していた会社で働きながらです。

事業内容としては唯一知識があったゴルフで勝負しようと思い、
ゴルフのイベントやコンペ代行などで展開していったのですが、
当然何も分からないまま勢いだけで起業したので、全てに対して空回りしていました。
当時を今振り返っても恐ろしい限りです。。暗黒時代ですね。。

会社経営や経理なども分からないままビジネスをしていたので、
今月いくらお金が入り、いくら出ていくのかすら計算していませんでした。。。完全に勢いだけです。

なので、仕事は多少発生し、お金は頂けていたのですが、
その金額自体採算が取れていなかったり、忙しい割に、
全くお金が残らなくて、本当に苦しかったです。

アルバイトもいたのですが、なぜアルバイトを雇ったのかについても
分からないまま採用したりしてました。

そんなこんなで、1年ほどで畳むことになり、表向きにはインターネットのことを
もっと集中して勉強したいからという理由で畳んだと話しているのですが、
実際は事業を継続させるだけの力が無かったからという理由で畳んだのです。

それからは制作会社で、ディレクターになり、
営業になり、とWEB業界で幅広い知識、技術を学びました。

新たな決意で人生2回目の起業

そうして会社を畳んでから1年半ぐらいで一通り、
一人でも稼げる知識、技術が身につき、更に前回の失敗要因なども理解できていたので、
このタイミングで2回目の起業をしようと思い、2社目の株式会社リエイトを創業することになりました。

2社目は絶対に1社目のような失敗はしないと堅く決意し、
とにかく会社として当たり前のことを当たり前にできる環境を作り、
売上・利益を追求できる組織にしようと思いスタートさせました。

まずは好きなことを事業として行うのではなく、今の私の環境、知識、リソース、
全てを考慮した上で一番合理的なビジネスを展開していこうと思い、
それがWEBサイトの受託制作事業であったので、それから始めました。

もちろんやるからには会社を大きく成長させたいと思っていたのと同時に、
とにかく働きやすい環境を作りたいと思っていました。

働いているのはロボットではなく人間なので、
人間の特性を理解した上で環境をしっかり作り上げ、
働いている社員一人一人が輝ける会社にしたいという想いを込めて
会社を運営していこうと思いました。

事業に対する想い

弊社のビジョンが『世の中の課題を解決して、社会に必要とされる存在に』を
掲げているのですが、それを実現すべく現在はWEBコンサルティング事業を展開しており、
企業様が抱えている課題に対してインターネットの力で解決していくお手伝いをしております。

起業当初はWEBサイトの受託制作がメインだったのですが、
様々な企業様のWEBサイトを作っていくなかで、作ることが目的になっており、
その後どう活用していくのか、課題に対してどうWEBサイトが役に立っているのか、
などトータル的に企業様の課題に対して、インターネットというツールを活用し、
サービスを提供したいと思い、WEBコンサルティング事業をメインとして、
WEBに関わる総合支援を展開することにしました。

リエイトでは、世の中の課題を解決できるビジネスを、
ジャンル問わず展開していき、社会に必要とされる存在になりたいと考えております。

そして大切な人・社会に対して誇れるような事業を展開していきたいと思います。

今後の展開としましては、BtoB領域で現在行っているWEBコンサルティング事業を、
もっとたくさんの企業様に提供することと、BtoC領域で世の中の課題を
インターネットを活用して解決できるビジネスを多角的に展開していく予定です。

リエイトでは、売上・利益を追求して、社会に貢献できる会社組織にしていきたいと思っております。

こういう人材と一緒に戦いたい

リエイトでは、現在二期目に入ったものの、まだまだ小規模会社でありますので、
今後成長していくためには仲間が必要になってきます。
その仲間は創業メンバーといっても過言ではないぐらい重要な初期メンバーになります。

しんどいことなど多々あると思いますが、仲間と一緒に乗り越え、
成長していく過程を楽しめるような人と一緒に人生をかけて戦いたいと思っています。

小規模会社から大規模会社にしていきたいので、人生をかけて勝負したい人お待ちしております!

最強のチームを作り、売上・利益を追求し、
社会に対して貢献できるような会社組織を一緒に作りあげていきたいと思います。

そして社員からも社会からも大切な人からも愛されるような最高な会社を作りたいと思います!

《 株式会社リエイト 代表取締役社長 後藤 涼也 》

株式会社シティビルサービス札幌 代表取締役 津田芳典  

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代表取締役 津田芳典

代表取締役 津田芳典

設立 2011/4/27
事業内容
    • 不動産売買・賃貸の媒介・賃貸建物の管理
    • 賃貸建物のマネジメントとコンサルティング
    • 不動産の一括借上事業
    • 損害保険代理店業
    • リフォーム工事全般
    • ピタットハウス加盟店
会社HP http://city-bld.net/
http://www.zennichi.net/b/citybld/index.asp

シティビルサービス札幌とは

2011年4月に設立し、3年で管理戸数3,000戸を突破、ピタットハウス南郷7丁目店をオープンしました。

2015年5月には、グループ内自社保有物件も5棟を突破し、同年12月には道外の物件も管理開始。
2016年6月には、ピタットハウス中島公園店をオープンし、組織編制、システムの向上、
福利厚生の充実とどんどん良くなっており、勢いのある会社です。

業務内容としては、「不動産売買・賃貸の媒介、賃貸建物の管理、
賃貸建物のマネジメントとコンサルティング、不動産の一括借上事業、損害保険代理店業、
リフォーム工事全般、ピタットハウス加盟店、不動産賃貸業」を行っております。

会社の特徴としては、「実績だけではなく仕事に対する姿勢・考え方(スタンス)」を大切にし、
「定時間で最も効率よく仕事をするか自らが考え、追求していくこと」を目指しています。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事

大変という言葉を使えば全てが大変とも言えます。

しかし、大変と思って経営をしていません。課題だと思って取り組んでいます。

シティビルサービス札幌の強み

結果に対する動きに目を背けず、妥協せず取り組み続けようとする姿勢です。

「商品を売るな、お客様の好みを売るな、お客様のためになるものを売れ」
競争原理の社会に身を置かず、価値の世界にいられることを目指す
「需要のある」オンリーワン企業を目指す意思があることが弊社の強みです。

不動産業において、顧客や賃貸物件の管理、売買、
仲介を行う上で、特に心がけている事

ご入居者様、オーナー様、委託業者すべてのつながりにおいて
「感謝される」仕事をしたいと考えています。

会社全体の価値・意義(社員一人一人の価値・意義)を高められるよう日々精進して参ります。

売る仕事ではなく提供する仕事を目指しています。

今後のビジョンについて

会社を大きくしていくことは経営をしていく中で最大の成長です。

その分課題もたくさんでますが、業務規模に変化がなければ現状維持またはそれ以下です。
会社を大きくしていく=お客様対応数を増やせるキャパ、仕組み、システムを
取り入れ不動産を通じて社会に提供していくことです。

《 株式会社シティビルサービス札幌 代表取締役 津田芳典 》

株式会社シェイプスインターナショナル 代表取締役社長 椿本 健太

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代表取締役社長 椿本 健太

代表取締役社長 椿本 健太

設立 2010/11/22
事業内容
  • 女性専用パーソナルトレーニングジム「リボーンマイセルフ」の直営店及びフランチャイズ本部の運営
会社HP http://www.shapes-international.co.jp/
http://shapes-international.co.jp/recruit/

私たちリボーンマイセルフの創業ストーリー

2010年11月にシェイプスインターナショナルを設立しまして、
12月に女性専用パーソナルトレーニングジム「リボーンマイセルフ」の1号店をオープンしました。
パーソナルトレーニングは、私たちの創業前からフィットネスクラブの中で
提供されていたサービスになりまして、アメリカで2007年頃から
パーソナルトレーニングに特化した専門店が出始めました。

細かなニーズに対応するオーダーメイド型のプログラム、
顧客に寄り添ってマンツーマンで問題解決まで導く指導方法、小スペース・小商圏で
利便性の高い場所に多店舗展開する出店戦略。素晴らしいビジネスモデルと感じて、注目していました。

一方で、その頃の日本は、ダイエット業界の不祥事が相次ぎ、社会問題化していました。
2009年の日本生活センターへの相談件数が約6,100件、業界別では約3番目に多い数字です。
市場規模は4,000億円以上ですので、クレーム産業と言ってもいい状態です。
相談件数を詳しく見ていくと、大きく3点に集約されていました。
1点目は施術や機器、薬やサプリメントによる人体への危害、
2点目は説明通りの効果が出ない、3点目は強引な契約内容です。

この3つのクレームを解決できるサービスをつくることができれば、
社会に貢献することができ、尚且つビジネスチャンスもあると思いました。
そして、当時アメリカで急成長していたパーソナルトレーニング専門店に着目し、
ダイエット業態としてブラッシュアップを始めたのが創業の経緯になります。

リボーンマイセルフが支持される理由



女性だけのプライベート空間

私たちリボーンマイセルフが支持を得ている理由は、
徹底的な顧客主義で運営しているからです。
女性のダイエットを成功に導くことが我々のサービスですので、
その女性がダイエットしやすい環境とは何か考えた時に、
完全女性専用の空間が必要だと思いました。

男性が居ない空間でトレーニングに集中できる、臆することなく体の悩みを言える。
そう言った環境が重要だと考えました。
次に、私達は女性だからこそ適切なアドバイスができると信じていますので、
パーソナルトレーナーも女性のみであることに拘っています。
その上で、お客様のダイエットを成功に導くためのトレーニング技術や関連する知識、
コミュニケーション力などを要しているプロフェッショナルであるということが重要です。

さらに、女性の身体に特化したメソッドを組んでいます。
まず根底として、男女の身体のつくりは大きく違います。
例えば、男性に比べ女性は筋肉を増やすホルモンが20分の1しかない。
ですので、女性と男性では、当然プログラムも大きく変える必要があるのです。
このように私たちは、創業当時から女性がダイエットで成功するために
必要なことを徹底的に考え抜き、店舗のオペレーションに反映させています。
この徹底的な顧客主義が多くの女性から評価を頂いた要因と考えています。

150店舗体制と上場を目指す



新事業のエクササイズコーチ

パーソナルトレーニングは減量だけでなく、健康促進やスタイル調整など、
あらゆる体作りのニーズに有効です。

しかし、問題解決のためにパーソナルトレーニングを取り入れている人は、
まだ一部の人に留まっています。
この状況を変えることが私たちの次の挑戦です。
具体的には、業界で初めて部分痩せに特化をした新しいコースを開始しました。
このコースは、体重の減少を極力抑え、
部位のサイズダウンを最大化することを目的としたコースです。
「脚を細くしたい」、「お腹周りのサイズを落としたい」、
「ウェディングドレスの似合う体になりたい」。
このような減量だけでなく、細分化した体作りに対するニーズに対応します。

また、アメリカ15の州で展開しているパーソナルトレーニングジム
「エクササイズコーチ」の日本における独占展開権を取得し、
エクササイズコーチジャパン株式会社を設立しました。
代表取締役社長は、私が兼務しております。
エクササイズコーチの特徴は、1回20分の高齢者向けパーソナルトレーニングという点です。
独自のトレーニングマシンが顧客の筋力データに基づいて最適な負荷を提供するため、
高齢者でも安全かつ効果的なトレーニングを行うことができます。
エクササイズコーチも減量ではなく、健康の指標にコミットします。
こちらも業界初のアプローチです。

このような新コースや新業態を連続的に生み出すことで、
新たな顧客を創造し、業界を創り、市場を創ります。
そして、2022年までに150店舗体制と上場を実現することが直近の具体的な目標です。

《 株式会社シェイプスインターナショナル 代表取締役社長 椿本 健太 》

株式会社アルテカ 代表 野村 紘一

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代表 野村 紘一

代表 野村 紘一

設立 1975年(昭和50年)10月4日
事業内容
    • 不動産総合企画、開発(ASCシステム事業部)、土地の仕入れ
    • 不動産総合販売(超高級マンション/ベルテ/エイム/ベルア/各シリーズの分譲等)等、新商品、各シリーズの分譲、その他
    • 不動産総合流通(企画/仲介/買取/売買/賃貸等)
    • 建物総合マネジメント(建物総合管理・プロパティマネジメント等)、建物総合管理、プロパティマネジメント
会社HP http://www.alteka.com/company/outline.html

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

弊社は、青山・表参道を中心に東京都心エリアで不動産を企画開発している企業です。
実績としましては、高級マンションの「ベルテシリーズ」や、
「エイムシリーズ」等がございます。

1970年代に私が初めて億ションを手がけて、世の中に提案をしました。
都内の3LDKのマンションの平均価格が1500万円だった時代ですから、
当時に1億円のマンションを販売するのは非常に勇気のいることでした。

周りからは「売れないだろう」と言われたこともありましたが、
私は必ずニーズがあると思っていました。
結果は完売であり、億ションが世の中に受け入れられた瞬間だったと思います。
結果が出る確信はありませんでしたが、
日本の住宅文化は変わらなければいけないと感じていましたので、
新しい住宅文化の提案に挑戦して良かったと思っています。

10年、20年と経済が成長を続ければ、必ず富裕層が増えてきて、
「高級マンション」が求められるということは予想していましたので、
いち早く潜在的なニーズを掘り起こすことができたのかなと思っています。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

起業するまでというより、起業後の話になりますが、
1975年に創業していまして、最初は試行錯誤の連続でした。
結果的には、初年度黒字を達成して今まで無借金経営を続けてこれましたが、
お客様に新しい価値を提供するために必死でした。

今でも、土地にあった建物を意識して設計やデザインをしていますので、
全て違った特徴を持っています。
同じマンションは作らず、その土地にあった建物を追求することで、
成長できているのだと思っています。

念頭においている経営理念はありますか?

私のビジョンは、「生活総合産業」になるということです。
現状は衣食住の「住」の分野で事業を展開しているわけですが、
「衣」「食」の分野も含めた「衣食住」において
貢献できるような企業になりたいと思っています。

不動産はまちづくりをしていると言っても過言ではありません。
まちづくりをする上では、お客様一人ひとりの生活を
総合的にサポートできるようにならなければいけません。

例えば、コンシェルジュを配備したマンションに取り組んでいますが、
そういったコンシェルジュサービスもその一環です。
今後も住を軸にして、事業の幅を広げていきます。

現在、特に注力している事業は?

弊社は幅広くサービスを提供していますが、
やはりベルテシリーズやエイムシリーズは事業の軸となっています。
「土地創業開発事業」として展開をしておりまして、
弊社独自の不動産最有効活用法=A.S.C. (Alteka Space Creation)システムというものがあり、
オーナー様にメリットがあるご提案をさせて頂いています。

日本で初めて「等価交換方式」を採用したのも当社であり、
アルテカ独自のノウハウでオーナー様に喜んで頂けています。

実はハワイにも現地法人を保有しています。
ハワイではリゾートマンション開発を行っており、
アジアでのリサーチ事業も展開しています。
海外にも視野を広げており、今後も可能性を探っていきます。

就活中の学生や社会人として働く若者へ向けたメッセージをお願いします。

我々は人物を重視して採用を行っています。
素直さや真面目さ等を重要視しており、
向上心をもって取り組める人を求めています。

我々のお客様はいわゆる年収が高い人が多く、
ビジネスの最前線で活躍されている方や、
社会的地位が高い方が非常に多いのが特徴です。

そういった方々に納得して頂き、
任せて頂けるようなスキル、知識、人間力が必要になります。
簡単な仕事ではありませんが、だからこそ成長機会がありますし、
やりがいに繋がるのだと思っています。

是非、自分の3年後、5年後、10年後を考えて就職活動に励んでください。
周りはどんどん社会に出て活躍のステージを広げていくでしょうから、
その中で自分はどういったスキルを身に着けていたいのか、
どういった働き方をしていたいのか、考えてみると良いと思います。

《 株式会社アルテカ 代表 野村 紘一 》

株式会社デフィ 代表取締役CEO 秋山美樹

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代表取締役CEO 秋山美樹

代表取締役CEO 秋山美樹

設立 1996/2/9
事業内容
    • 富裕層向け商品の代理販売事業
    • 富裕層向けマーケティング事業
    • 富裕層向け人材マッチング事業
会社HP https://www.defi-luxury.co.jp/

父の姿を見て、アメリカ留学を誓った

私が生まれた時、父は代々続く呉服店の経営者でした。
新しいことが好きだった父は経営の多角化に挑み、
時代にも後押しされてい事に成功を収めます。

しかし、それもつかのま、経営の基礎が出来ていなかった父は
会社を成長軌道に載せ続けることに失敗し、経営難に陥ります。
子供の私から見てもとてもつらい時代でした。
その姿を見て経営を学ぶことを誓いました。
そして、ある時、テレビで見た自由と夢を追い求める国、
アメリカに思いを馳せるようになったのです。

中学、高校で英語学校に通い、予てからの希望通りアメリカの大学に入学しました。
自分の性格が向いていたということもあると思いますが、
私はアメリカでの暮らしが気に入り、沢山の友人を作ることが出来ました。
その時の経験が今にも繋がっていると思います。

バブル時代に流されず、夢を持ち続けた

アメリカ留学後、日本に帰国し就職することにしました。
幸い、日本には多くの外資系企業が進出する一方で、英語を話せる人材が少なかったことで、
新卒の私にもたくさんのチャンスが巡ってきました。
株式会社リーダーズマガジンでは竹下元総理や、宮澤元総理、京セラの稲盛氏、
メガバンクの頭取や著名な投資家(個人投資家、機関投資家)などと
直接触れ合う機会をいただきました。

一流の人が持つ雰囲気、言葉に触れ、モチベーションは高まる一方でした。
その後、アップジョン株式会社を経て、ウエラジャパン株式会社に転職しました。
そこではグループ会社の社長秘書をさせて頂くことが出来、
世界で活躍するCEOの働きを目のあたりにすることが出来ました。
また、このCEOがイギリス人であったことから
ブリティッシュ英語を習得することが出来ました。
世界のセレブが集まる場所ではブリティッシュ英語は非常に重要なので、
その意味でもこの転職はたいへん自分のためになりました。

ですが、バブル時代真っ盛りな中、あまりに環境が良すぎたことが、
かえって自分を不安にさせました。
このままでは自分もぬるくなってしまうのではないか。
そう考え退職、独立することにしたのです。1996年のことでした。

まるでパズルが埋まるように成功へ繋がっていく

会社を設立した直後は苦労した時期もありました。
当初、ブライダル関連ビジネスを立ち上げたのですが、
必ずしもうまく行ったことばかりではありませんでした。

苦しいなりにもなんとか軌道に載せましたが、このままでは父の失敗のかたきを討つ、
というところまでたどり着けないのではないかと考えるようになりました。
そして決意したのです。「アメリカに帰ろう」と。
自分の性格を考えた時、日本は向いていないと思いました。
それは思ったことを何でも言い合える人間関係です。

アメリカに戻ると時はITバブルで、友人たちも若いながら経営者になっていました。
自分が信頼できる友人の会社に何社か投資し、
自分の投資家としての才能に火が点いたと感じました。
その後、株式会社デフィでもウェディング事業からIPO支援事業に転換、
圧倒的な成功へと繋がっていきました。

この頃でしょうか、NHKや民放キー局の番組にも多く出演させて頂きました。
女性投資家、秋山美樹として有名になっていった時期でした。

東北大震災が変えたこと

有名になると色々な人達が寄ってきます。
その殆どがお金目当てだったのではないでしょうか。
私はその人間関係に心から疲弊し、ビジネスをお休みさせて頂くことを決意します。

そんな私を変えたのが東北大震災でした。
これまで築いたものが一瞬で奪われ、不幸のどん底に落ちていく人々。
そんな中で何も出来ない無力感を味わったのです。
やはりビジネスに携わるべきだ、そう考え、再び海外へ留学することを決意しました。
特に私に大きな影響を与えたのは、世界中からセレブが集まる国「モナコ」での長期滞在でした。
持ち前のコミュニケーション力で人脈を築き、今の富裕層向けビジネスを
立ち上げることが出来たと思っています。

人生のモットー「Time Rich, Money Rich, Friend Rich.」

まだまだ学ぶことは多いと思いますが、これまでに学んできたことの中から、
自分が人生のモットーとしている言葉があります。

それは「Time Rich, Money Rich, Friend Rich.」という言葉です。
究極の自由を手に入れるには、時間、お金、そして友達が大切だ、という意味です。
私は今、この友達の輪を広げ、多くの人を巻き込んで圧倒的な幸せ、
自由を手に入れようと考えています。
私に関わってくれたすべての方々に幸せになっていただくために、です。
こんな発言をすると宗教じみているように思われますが、でも東北大震災を経験したからこそ、
心からそう言えます。この目標を多盛するために、これからも一層頑張っていきたいと思います。

《 株式会社デフィ 代表取締役CEO 秋山美樹 》

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自立支援躾塾(株式会社プロテクト)代表取締役 原 良郎

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代表取締役 原 良郎

代表取締役 原 良郎

設立 1997年
事業内容
  • ひきこもり対応や家庭内暴力対応、出張教育、しつけ、特別合宿教育などで、子供に対する躾をやり直しつつ自立を支援
  • 自立支援躾塾では全国対応の無料相談
会社HPブログ http://www.tsubasa-t.com/
http://www.tsubasa-t.com/diary/

幼少期~自立支援施設立ち上げまで

幼少期は親の話によると、絵を描いたり粘土で色んな工作を作るのが好きで
あまり外で遊ぶ事は好きでは無かったような子供だったようです。

《幼稚園~小学低学年》

この頃から、腕力の強い人への憧れが強くなり竹登りで腕力と握力を意図的に鍛えてました。
常に腕相撲や相撲では敵なしの強さで負けた事は無かったです。
小学4年の通信簿の生活態度に『クラスのボスであり腕力でクラスを支配している』と書いてあり
母親が苦笑いしていたのを覚えています。

《小学高学年~中学1年》
地元の英語塾に小学生の頃から入る、得意な教科は英語と歴史、苦手なのは数学

《中学2年、1973年》
この歳に後の運命を大きく左右する映画「燃えよドラゴン」に出会う!
同時期に、近所の10歳年上の愛知大学少林寺拳法部のお兄さんに傾倒、弟子になる。

《中学3年~高校3年》

強さへの憧れは加速し、中学時代は武道係の部活動が無くて仕方なく
バスケット部に入るがバスケットの練習には参加しないで同好の親友と体育館の隅で筋トレに励む毎日、
2人で作ったトレーニングスペース、通称「虎の穴」と命名していました。

この頃で背筋力200キロ、握力50キロくらい

高校に入り念願の柔道部へ入る、新しく入部の8人には
中学で黒帯になっていたのも何人かいましたが、
毎日鍛えた桁違いのパワーで技術をねじ伏せて1年では最強となる。

勉強は歴史の授業以外、寝ていたり早弁したりしていましたね~(笑)

高校3年になり応援団長、襟の高い丈の長い学生服の着用を特別に許可されていましたね(笑)
同時にバイクも好きで校則に違反してバイクの免許を取得して
モトクロスやったり悪い仲間と走り回っていました。

自立支援施設童心塾→自立支援躾塾までの道のり

この仕事を始めたのは1997年(平成9年)で、
まだインターネットが普及していない時期だったから広報活動に苦労しました。

始めた時は『童心塾』という名前でスタートしたんですが、
最初のホームページができたのが2000年9月だから、
仕事始めて4年間は世間の人に知ってもらう為に色んな方法を試しました。

1番力を入れたのは《カンバン》です、日本中に設置したりしました。

北は、栃木、新潟、福島、南は九州、福岡、四国の全域に高さ600×巾900のカンバンを
2年かけて300枚設置したところ、凄い反響で生徒が集まってきましたね。
今でもカンバン見て相談の電話くれる人が時々います。

苦労といえば、苦労なんでしょうけど当時としては苦労とは思った事はありませんでした。

あとは、コピーをして自分で作ったチラシをマンモス団地でポスティングしたり、
どこに生徒がいるのか相談すらできない時でしたから、
精神病院の駐輪場に置いてある自転車の籠にビラを入れたり、
名古屋市内では新聞の折り込みにビラを入れてもらいました。

折り込みにはちゃんとした印刷会社で印刷した広告を作ってもらい、
新聞配達の会社に依頼して2回くらい折り込みチラシやってもらいましたが、
費用の割には集客にはなりませんでしたね。
あの時は、印刷と折り込みで150万円くらい使って集客配達皆無、
2人が相談にはきてくれたくらいでしたね。

公共の施設で、軽い引きこもりの会をやろうとして
募集してもらいましたが誰もきませんでした。

全てが0からスタートで、仕事としてのカテゴリーが、確立されてない業種で、
資金も無いし銀行も相手にもしてくれない時期で、
側から見たら苦しい時期だったとは思うけど、自分としては最高に楽しかった時期でもありました。

創業者のプライドは、これがあるから生まれるのかもしれません、、、、
親や人が作ったモノをどうアレンジしようが元から作った訳ではありませんからね。

今後について

名刺を渡した方からよく質問されるのが『本職は何をしてみえるんですか?』

こんな質問が8割くらい返ってきます(苦笑)

日本人の認識の中には、教育(大学等の専門知識は別)は
無料でなされるものという感覚が潜在的にあるんだとは思いますが
『他に仕事はしてないです』というと、不思議な顔をされる事も度々あります。

実際、これを書いてる今日まで20年間は他の仕事はやっていません。
というか、掛け持ちはできないですね。
いつ電話があるかも、わからないし緊急で500キロくらいの移動する事もありますから。

主題に戻すと、私が会社の代表だから会社として成立し続けるには
必要な売り上げを上げていかないと会社は成り立たない、
最低限それをクリアーしながら在校生たちに迷惑かからないような
新しい塾生を選んで入塾させていくのは今までも同じですが、
これからの時代は幼児教育に力を入れていくべきだと思いますから、
できる事なら私立の幼稚園を経営したいと考えております。

儲からなくてもいいから悪くなってしまう前に
子供と父兄を教育したいと考えています。

また、当たり前と言われてしまうかもしれませんが、
会社を存続させ続けれる人で、変化に強い人、
それで、社員に幸せな気分を味あわせれる人になっていきたいと思っております。

プライベートについて

趣味は、幼児と遊ぶ事です。
あとは格闘技観戦、野球も好きです。
みなさんに、休日はありますか?そんな事を聞かれたりしますが
厳密にいえば1年365日、休みは無いです。
元旦の朝、8時に電話もらって9時半には70キロ移動して仕事したこともあります。
何もしないで、自宅でテレビ観ていても状況としては待機してる訳ですだから
お酒も飲めないですよ(笑)飲酒運転になりますから。

ただ、それだけ1人1人大切に考えて、不測の事態が起こっても
対応できるようにしています。

今後共、1人でも多くの子供たちを支援していきたいと思います。

《 自立支援躾塾(株式会社プロテクト)代表取締役 原 良郎 》

株式会社シルバーライフ 代表取締役社長 清水貴久

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代表取締役社長 清水貴久

代表取締役社長 清水貴久

設立 2007年10月
事業内容
    • 高齢者向け配食サービス
    • 高齢者施設向け食材サービス
    • 障碍者施設向け食材配送サービス
    • 幼児向け弁当配送サービス
    • オフィス向けランチ宅配弁当サービス
会社HP https://www.silver-life.co.jp/
https://www.magokoro-bento.com/
https://magokoro-shokuzai.com/
https://magokoro-shokuzai.com/lp/
https://www.h-fureai.com/
https://www.sukusuku-bento.com/
https://rakuraku-bento.com/

どのようなきっかけで会社を起ち上げたのでしょうか?

コンサルティング会社に勤務していた際に、
多くのフランチャイズ企業について知る機会がありました。
当時はまだ世間にあまり知られていなかったのですが、
市場拡大が見込める「高齢者向け配食サービス」をその時に初めて知りました。

コンサルタントである自分の目から見ると、
できたばかりのこの事業はまだまだ改善の余地があり、
市場はこれからも伸び続けるという確信がありました。

そして独立して会社を設立、フランチャイジーとしてスタートしました。
店舗も増やし、当時そのチェーンの300店舗の中で売上が
ナンバー1とナンバー2の店舗を作った実績があります。

しかし、そこで本部と考え方の違いが出てしまいました。
私自身は本部とうまくやろうと思っていたのですが、経営の方針の違いというところでしょうか。

私の最初の教え子で、アルバイトとして私が採用して2号店の店長まで任せていた方が、
「清水さん、あの本部の考えはおかしい」と自分の考え方を貫き、
独立をして創業したのが、株式会社シルバーライフです。

結局、彼が独立した2年後に私も本部の方針との違いから結局そのチェーンを脱退し、
後からシルバーライフに合流しました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

食品製造工場を自社で立ち上げた時です。
店舗数が300店舗近くになり、スケールメリットを活かして
安定的に安い価格で食材を提供するために、自社工場の保有を考えました。
色々と候補を探す中で、最終的には群馬県で「すかいらーく」さんが
保有されていた食品工場を人材ごと引き継ぐ形で買収しました。

しかし、当時の私たちには食品製造に関するノウハウがなく、
またすかいらーくさんから引き継いだ方たちも「決まったメニューだけを作る経験は豊富でも、
毎日違うものを作る」のは初めてでしたので、立ち上げにはかなり苦労しました。

最初は混乱が続き、製造ができても菌検査でひっかかり結果すべて廃棄することになるなど、
今までの経験では考えたことがないようなことが続く状態でした。
しかし、私自身も工場に2ヶ月ほど寝泊まりして試行錯誤を繰り返すことで
なんとか改善策を練り出し、安定稼働まで持っていくことができました。

振り返ると、あの状況を乗り切ったことで食品工場の運営に関する知識が
強制的に身につき、製造部門のメンバーとも対等に技術的な議論ができるなど、
その後の経営に大きくプラスとなったと考えています。

ちなみに知識のアップデートのために、
今でも週に1日は必ず工場に行って現場の状況把握をするようにしています。

貴社の強みについて教えてください。

大きな強みは2つです。
①多品種ランダム生産ができる工場を保有していること
②全国1位の店舗網を持っていること

①について、実は本当の意味で多品種ランダム生産が出来る食品工場は
日本には殆どありません。同じものを作り続ける食品工場、
例えば肉まん工場やパスタ工場などはたくさんありますが、
毎日違うものを効率的に作っていく食品工場はほぼありません。
やはり工場としては多品種ランダム製造は非効率だと考えられているからです。

しかし、私たちは非効率であってもお客様が飽きないように多くの品目を提供したい。
その大いなる矛盾をなんとか解決したのが自社工場です。
だからこそ「日常食」であるこの業界で、
自社工場を保有していることは大きな強みと考えます。
現在は1000以上の種類があります。

②については、店舗網が多いことで、
よりたくさんのお客様にお弁当をお届け出来るようになります。
食品関係においてはこの「量」が重要となります。
量があれば仕入れも製造も、よりスケールメリットを活かすことができます。
例えば今まで1匹100円だった魚が10万匹買えば1匹60円になるので、
お客様にはより安く良いものをお出しできるようになります。

加えて私たちの店舗の配送網は
「全国のご自宅へのラストワンマイルとなる密度の濃い配送網」であると考えています。
将来的には、全国に張り巡らせた店舗網を活かし、
お弁当以外のものも配達できるようにしていこうと考えています。
これは当社のさらに大きな強みとなっていくでしょう。

”高齢者向け配食サービス”を展開する上で、
清水様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

その仕事は誰の助けになっているのか?と常に相手のことを考えて自問自答する事です。
仕事は常に相手がいます。
「困っている人を安心させたい」という気持ちで始めたこの事業ですが、
その気持ちを常に忘れないように心がけています。

また、相手を考えることは競合他社の動きを予測する事にも活かせます。
高齢者向け配食サービスは伸びていく市場ではありますが、
その伸びていく市場に胡坐をかいて何もしないでいたら、
競合他社に負けてしまうかもしれません。

そのため、お弁当のメニューも可能な限り自分で毎日食べ、
盛り付けの色合いから味、食べやすさまで確認しています。
味についてはそれぞれの好みがあるので、多くの人がこれで良しとする
「文句のない味」であれば問題がないと考えています。
食べやすさについては高齢者の方が噛みやすいか、触感には特にこだわって確認しています。

また、高齢者の親御さんを持つご家族の方の心配している気持ちを考えた結果、
携帯で簡単に通知がいく「安否確認サービス」も無料で始めました。

今後のビジョンについて教えてください。

食を通じて、誰もが安心できる社会のための
インフラに当社はなっていきたいと考えています。

具体的には上記でも述べた当社の強みである、多品種ランダム生産ができる工場、
そして全国1位の店舗網を活かし、他社への製造能力の開放、
他社製品の配達等を行っていきたいと考えています。

将来の商品として現在重視しているのは薬です。
食事と薬は、一緒にいただくことが多いですし、
お弁当をお届けする際に一緒に運ぶことも可能だと思っております。
ただ薬に関してはまだ規制が強いという現状のため、
緩和されたときに検討したいと考えております。

《 株式会社シルバーライフ 代表取締役社長 清水貴久 》

株式会社アウレオ 代表取締役社長 守屋祐生子

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代表取締役社長 守屋祐生子

代表取締役社長 守屋祐生子

設立 1997年6月
事業内容
    • 最新のバイオテクノロジーによる黒酵母β-グルカンの製造
    • 黒酵母β-グルカンを主成分とする機能性食品の製造・販売
    • 自然療法、生活療法の調査研究と、普及活動
    • ビタミン・乳酸菌・食物繊維等の栄養素を用いた栄養補助食品の研究・製造販売
    • 医薬部外品、化粧品、医療器具、健康器具の研究、製造販売
会社詳細 https://www.aureo.co.jp/
http://www.glucan.jp/
http://www.loveforpet.net/
https://peraichi.com/landing_pages/view/aureo

どのようなきっかけで会社を起ち上げたのでしょうか?

私の義兄の命を救った成分を、多くの人にお届けし、人々の健康に貢献したい。
それが起業のきっかけです。

1999年2月のことです。

私の義兄は腎臓癌が骨に転移し、痛みもあり、余命3ヶ月と宣告されていました。

既に痛みが出ていて助からないと分かっている義兄に、
医師は、副作用で苦しむだけの治療をおこないませんでした。

丁度、その少し前に、
「癌に効く素晴らしい物があるので販売して欲しい」と持ち込まれた商品があり、
なす術が無い義兄に、その商品を飲ませました。

結果、義兄の痛みを和らげることができ、それを見た医師が放射線療法を試みたところ、
義兄の癌は劇的に改善し、3ヶ月後には退院したのです。その後兄は14年間生きました。

その時の商品に含まれていた成分が、現在弊社で取り扱っている「βグルカン」というものです。

▼それがベースとなって今の製品に至っていると…?

そうです。
「アウレオβグルカン」が、一番シンプルな基本になるものですね。
それに色んな付加価値を付けていったのが他の商品です。

▼余命3ヶ月のところから回復されたのは驚異的ですよね。

はい、普通は骨まで転移したら絶対助からないって言われていますから。

それでこれは凄いということになって、うちの母にも飲ませるようにしました。
母も乳がんで右を全摘出していて、リンパにも転移していて
全部取り切れなかった経緯があったためです。

それで弱っていて、何とか維持するようにしていたのですが、明らかに弱っていって、
そんなに長くはもたないような状態だったんです。

そこで「アウレオβグルカン」を母にも飲ませました。
そうしたら凄く元気になって、それから20年経っている今もとても元気です。

現在92歳で、パソコンやインターネット、メールまでやっていてですね、
何でも調べて私に教えてくれるんです。
「正しくはこうだ!」とか言って。頭もシャープですよ。

だからそれからですよね。義兄、母の実体験から、
凄い調子がよくなるということがわかって、
これは絶対皆に教えてあげたいって思ったんです。
それで「アウレオβグルカン」に特化した事業を始めました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

まだ弊社の自社工場が無かった頃、製造元の会社から商品の供給を止められ、
多くの優良代理店がとられてしまった時ですね。

当時はお客様の中に白血病の子どもがおり、毎日続けて飲んでいたのですが、
供給を止められてしまい、とても残念な状況になってしまいました。

その時は売り上げも落ち、動揺もしていたので大変でした。

しかし、その時の悲しみと悔しさが自社工場建設への決断に繋がり、
更に研究、特許取得へと発展させ、会社を立ち上げた当初とは
比較にならない程の商品や環境ができ上がっていったのです。

貴社の強みについて教えてください。

頑なとした「企業理念」と「社是」です。

企業が生み出すあらゆる商品は、その企業の価値観に基づいて生まれてきます。

弊社の戦略も商品作りも、そして社会的責任の果たし方も、
企業理念や社是から生み出されています。

弊社の工場、研究、特許など、強みと思われるものは多く有りますが、
一番の強みは揺るぎない価値観です。

▼御社は「人々の健康と、健康を支える自然環境の保護」を基本理念にされていると伺いました。
まさにその理念を体現されているということですね。

そうです。
あの企業理念は「世界に平和を、真の分かち合いを」という意味なのですが、
もっと打ち出していきたいのは社是です。

“わたしたちは優れた商品、正しい情報、良いサービスを提供して、
自然環境保護と人々の健康の維持向上に貢献します。”
※株式会社アウレオ 社是より引用

だから優れた商品以外出しません。
それから正しい情報。これは啓蒙活動的なこともあります。

▼何よりも正しさ、質の良さが重要であると。

そうですね。
わたくしは過去に東洋医学を学んだ経験があり、治療家としての視点も大事にしています。
ですから、お客様でありながら患者さんみたいな見方がありますよね。

だからその人がどうやったら本当に健康を取り戻して幸せになるだろうか、
ということを考えます。身体が健康でも心を病んでいる人もいますから。

病気の要因にも色々あって、食べる物だったりそれから生活環境だったり、
ストレスだったりメンタルだったりと、本当に色んなことがありますよ。
だからそういった事も含めて、人々の健康に貢献していきたいんです。

健康食品、化粧品の製造販売をする上で、
守屋様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

一番は無害で、安全である事です。

そして、その商品が人々に必要な意味のある物であるか、
また必要性のしっかりとした裏付けがある事です。

面白いとか、流行っているとか、「売れる」という観点だけでは製造しません。

今後のビジョンについて教えてください。

消費者の方々が、意識せずに健康で元気で若返っていけるような商品づくりや、
子どもたちに喜んでもらえるような商品を作っていきたいと考えています。

また、海外の方々へも早くお届けしたいと考えています。

▼伺っている限り、今後は米国と英国に商品をお届けするということでしたね。

アメリカ、イギリスに限らず、EUで取得した特許もあります。
そういったものを活かして、アジアも含めて各地へお届けしていきたいと思っています。

《 株式会社アウレオ 代表取締役社長 守屋祐生子 》

医療法人社団上桜会ゆうメンタルクリニック 理事長兼総院長 安田雄一郎

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理事長兼総院長 安田雄一郎

理事長兼総院長 安田雄一郎

設立 2008年4月
事業内容
    • 精神疾患の治療(うつ病、不眠症、パニック障害、パーソナリティ障害、依存症、発達障害等)
    • カウンセリング
    • 脱毛スキンクリニック(皮膚科)
会社HP https://yucl.net/
https://yuik.net/
https://yuk2.net/
https://yusb.net/
https://yusn.net/
https://yakb.net/
https://yubt.net/

どのようなきっかけでクリニックを起ち上げたのでしょうか?

自分の周囲から、
「メンタルクリニックにかかりたいけど、今すぐ見てくれるところがない」
「診察を受けたいけど、初診までに三ヶ月待ちと言われた」
というご意見を多くいただいたためです。

実際、精神科・心療内科にかかる患者さんは非常に増えていますが、
多くのメンタルクリニックではドクターが一人で診察しているため、
たいていの場合、診察する余裕がなく、
初診まで数ヶ月待ちということがザラにある状態でした。

実際、大けがをして救急病院にかかる際に
「初診まで三ヶ月待ち」なんてことになってしまったら、
ほとんどの方が悲鳴をあげます。

精神科・心療内科のみこの状況なのはおかしいと考え、
「つらいとき、すぐに」をモットーとして、毎日、初診を受けられる
メンタルクリニックを作りたいと思って、ゆうメンタルクリニックを立ち上げました。

クリニックを経営していて、
これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

開院した後、想像よりずっとたくさんの患者さんがいらして、
朝から晩まで休みがない、ということはザラでした。

また自分自身、「マンガで分かる心療内科」などのマンガを制作し、
また書籍なども常に出しているため、診療が夜に終わってから
その原稿を書かなければいけない、という状況が続きました。
これが一番大変だったかもしれません。

その後、多くのスタッフやドクターなどに勤務いただき、助けていただくことで、
今こうしてやれていると考えております。

感謝の念を抱くばかりです。

ゆうメンタルクリニックの強みについて教えてください。

当院の強みは以下の4点です。

(1)カウンセリングを重視した診療を行っております。

(2)特定休日以外は年中無休で診療しているため、誰でもすぐに受診することができます。

(3)多くのドクター・カウンセラーがいるため、常に誰かが診察を受けることができます。
 他のクリニックのように「初診は三ヶ月待ち」ということがなく、かかりたいときにすぐに受診できます。

(4)秘書が診察補助を行うことで、ドクターが患者さんと目を合わせて診療を行うことができます。

「つらいとき、すぐに」をモットーに、
一人でも多くの方に診察を受けていただきたいと思っています。
お気軽にご連絡ください。

今後のビジョンについて教えてください。

さらに多くの患者さんの役に立てるように、ゆうメンタルクリニックの診療スタッフや分院を
より充実できればと考えております。

患者さんはお気軽にご連絡いただきたいですし、
またスタッフ希望の方もお気軽にご連絡いただければ幸いです。

《 医療法人社団上桜会ゆうメンタルクリニック 理事長兼総院長 安田雄一郎 》

株式会社ルーチェ 代表取締役 戸上祐一

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代表取締役 戸上祐一

表取締役 戸上祐一

設立 2011年1月
事業内容
    • アフィリエイトコンサルティング
    • 通信回線販売取次業務
    • アジア開発支援事業、モバイルコンテンツの開発等
    • インターネットコンサルティングサポート
    • 特定人材派遣
    • 地方自治体支援活動
会社HP http://luce.asia/

https://an-life.jp/index.php?_url=/article/667

http://president-tv24.jp/president/y_togami/

http://e-gyousyu.net/prof4785.html

電話番号 03-6908-6643

どのようなきっかけで現在の会社を立ち上げたのでしょうか。

きっかけは、私がKDDIの提供する「auひかり」という商品の営業をしていた頃に話はさかのぼります。

当時、営業としての成績が良く、日本全国でナンバーワンになれたということもあり、
自分に自信がついていました。また、ついてきてくれる仲間もいたことから、
通信の世界でナンバーワンを獲ろうと思い、現在の会社を立ち上げたのです。

ただ、私が会社を立ち上げたのはこれが初めてではありません。

10代の頃にも一度、有価証券からスーツまで、幅広い商品を取り扱う会社を経営しておりました。
しかし、経営に関する勉強を全然していなかったことから失敗し、
会社をたたむことになってしまいました。

そこで経営というものの難しさを知り、会社をたたんでからは、借金を背負う形になりましたが、
全て返済し、もう一度昔の部下や、勤めていた通信の会社でついてきてくれる人たちを集めて、
今の会社を立ち上げたという経緯があります。

これまで会社を経営していて、一番大変だった出来事はどのようなことでしたか。

当社が100人規模の会社に成長していた時の話です。

その頃は、会社も順調に成長していたのですが、
3期目に入って約7割の人材が大手商社からの大規模な引き抜きにあってしまったのです。

あれは堪えました。その年に関しては、利益よりも損失の方が大きくなってしまうのが
当然だと思いましたが、抱えている社員の人件費だけは絶対に遅らせまいと、
お金を借りるために様々な人たちに頭を下げて回りました。

その逆境から立ち直ったきっかけが、「アフィリエイト」と「人材」の事業です。
その翌年から2年ほどは休みなしで現場に行って働いていました。

株式会社ルーチェ様の強みについて教えてください。

当社の強みといたしましては、
通信の知識を持った人間が多い事や、営業が強いといったところ、
そして「アフィリエイト」という独自のコンテンツを持っていることです。

特に「アフィリエイト」に関しては、私たちは日本一を謳っているほどの
ノウハウ・コンテンツをもっており、この独自のノウハウを研究するためであれば、
お金も時間も惜しみません。

これからアフィリエイトスクールも立ち上げていく予定ですが、誰も知りえないことを、
株式会社ルーチェであれば知っているということ。
株式会社ルーチェだからこそできることがある。
これはすごく価値のあるものだと私たちは踏んでいます。

今後アフィリエイトスクールを立ち上げていく中で、
特にこれをやっていきたいとかはありますか?

現在は「アフィリエイト」というもの自体、社会的認知度が低いものなので、
これを日本全国に知らない人がいないくらいのものにしていきたいです。

アフィリエイトという言葉はこの先どんどん知られていくと思うのですが、
その先駆けの会社としてやっていきたいなと思っています。
「アフィリエイト=ルーチェ」くらいの感じでやっていきたいですね。

会社を経営する上で、戸上様が特に心がけていることがあれば教えてください

例えば会社には人がいるわけであって、「人は石垣 人は城」って昔から言うじゃないですか。

それに対して、一緒に事業を行っているクライアント様には
「素直、反省、奉仕、謙虚、感謝の心」を忘れずに接し、相対するお客様はもちろんのこと、
仲間に対してもそれを考えながら仕事をしていくことが大切であると考えています。

そうすることによって顧客満足度、そして従業員満足度も上がっていくのだと思っております。

今後のビジョンについて教えてください

店頭公開はもちろん考えているのですが、先程もお話した通り、
「アフィリエイト」という言葉を当社が先駆けとなって
日本全国に知らしめていきたいと思っております。

また、現在様々な大手教育系企業さんや地方自治体さんから
お声かけをいただいているので、社会貢献に協力していきたいと思っています。

また、現在「地域おこし協力隊」として総務省からお声掛けをいただいております。
厳密に言うと、総務省から直接というわけではないのですが、
当社の株を持っていただいている会社があり、
その会社からお声掛けをいただいたのがきっかけです。

その会社を挟み、「地域おこし協力隊」の話が来てやりましょうということになり、
事業をスタートしました。様々な地方自治体や、それこそ総務省を通して
内閣府から認められつつある状況っていうのは非常に嬉しい状況にあります。

これらかも一般の方を始め、会社、国など、
様々なところに認めていただきながらやっていきたいなっていうのはありますね。

そのためには気合と根性が必要だと思っています。
気合と根性がないと成り立たないという意見を持つコンサルタントも多くいらっしゃるのが現実です。

私がスポーツやっていたからっていうのもあるかもしれないのですが、
気合と根性である程度のところまではいけるのではないかと考えています。
プラスしてもっと上に行くには、日々の勉強を怠らないこと。
そこはさらに大事な部分であると思っています。

《 株式会社ルーチェ 代表取締役 戸上祐一 》

三田国際学園中学校・高等学校 学園長 大橋清貫

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学園長 大橋清貫

学園長 大橋清貫

設立 1902年
事業内容
    • 相互通行型授業
    • ICT教育
    • 学習支援
    • 教員研修
会社HP http://www.mita-is.ed.jp/

グローバル時代に生き抜く子どもたちを育てる三田国際学園として、
新たなスタートを切ることになったきっかけを教えてください。

まず、2005年にトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」という本が出版されました。
それがわたしの教育人生において、最も影響を受けた本の一つですが、
インターネットが世界に普及していく中で、世界のどこでもインターネット環境があれば
子どもたちは同じように学べるというものでした。

先進国だけが圧倒的な技術や情報優位性があって、
先進国の子どもたちだけにアドバンテージがある時代はもう終わっています。

日本の教育を考えた時に、日本が経済成長をしていく中で、誰もが同じようにできるようこと、
教えてもらったことが素早くできることを教育の柱にしてきた現在の教育では、
世界にはとても太刀打ちできないと思ったのが三田国際学園作りの原点です。

この本を読んだ時に、人口が多い国が勝つなと思いました。
例えばインドや中国です。

人口の数の桁が一ケタ違いますので、インドの同じ学年の上位1万人と
日本の上位1万人とでは全くレベルが異なります。
1万人のレベルが違います。人数の分母が異なりパーセントが違うわけですから。

コンマ何パーセントの世界、1パーセントでも、同世代の中では全く違うわけで、
そういう時代に子どもたちは戦っていかなければならないのに、何の武器も持っていないままで、
大学入試で試されるのは知識集約問題という状況です。
「生徒たちの大学入試がこうだから、それを突破しなければ先がない。
だからそのための受験勉強を高校の時にしなければ。」というふうに
高校は思ってしまっています。

18歳の瞬間最大学力を高めるだけではなく、世界のやり方に目を向け、
将来を見据えた教育に変えようと思ったのが最大のきっかけですね。

当時、こういった学校はありませんでしたからね。
今年ちょうど1期生が高校1年生になりましたが、7年前、5年前には
こんな学校はなかなかなかったので、三田国際学園が1つのベンチマークになっています。

学園を経営されていて、今まで一番大変だった出来事はどのようなことでしたか?

スタートの時は、錆びついた滑車と言ってしまうと昔からいた先生に
失礼になってしまいますが、固まってしまっているものを動かすことは本当に大変でした。

発想の転換はなかなか難しいですから、「相互通行型授業って何?」とか、
「今までの授業だって自信がある」という先生は最初はいらっしゃいました。
当然のことですが、10年、20年、教師をしていると、みなさん自分の得意技をいっぱい持っています。
こういう風に教えると分かりやすいといった技術、そして自信があります。
「今までの授業だって立派に成果がでるんだ。自分の授業を一度でいいから見に来てくれよ」
というような発想になってしまいます。

その考えを「相互通行型」に変えることが大変でした。
今では先生方に同じ方向を見てもらうことが当たり前になっていますが、
当時は本当に大変でした。

その頃によく先生方と行った議論があります。
本校の近隣には多くの学校があり、隣には都立校があります。
部活だと思うのですが、先生が生徒を引率して走っていたり、
一生懸命練習している姿、先生方の熱心な姿もよく見かけました。

あの先生の様子を見ると、きっといい授業をしていることが想像できました。
またグラウンドにはナイターの照明がありました。教育環境も良いことがわかります。
そこで、本校の先生に隣の学校に勝っているものは何かを問いました。

本校は年間で授業料を約50万円いただきます。向こうは無料です。
50万円対0円の授業料では勝負が付いてしまっている。
50万円以上のアドバンテージがこちらになければ、他の学校が選ばれるのは当然ではないかということです。

先生方からの回答で、自信を持って本校が勝っているところはなかなか挙がりませんでした。

勝っていることがないのに授業料が高ければ、保護者様はこの学校を選んではくれない。
そこまで考えたときに先生方の考え方が変わりました。
保護者様にそれだけの大金をお出しいただくのであれば、
それだけの価値がなければならないことに気がついたのです。

そうして先生方に納得してもらいました。
今は50万円以上の価値があると、ご寄付をいただく機会も多くなりました。
ご寄付は私立学校の経営の助けになるわけですが、この学校に価値がある、応援したくなる、
ということでご家庭からご支持いただいています。

学園の強みについて教えてください。

先生方が同じ方向を見て、一枚岩になっていることです。
全員が相互通行型授業でPBL(Problem/Project Based Learning課題解決型学習)をします。
また最初は信じられないと皆様おっしゃられるのですが、
本校では年3回ある全体研修の際に教員のペーパーテストをやっています。

その内容は難関大学入試問題ですね。生徒が学ぶことですから、
先生方が解けないのでは話にならない、ということで受けてもらっています。
最初は驚きですよね。ただ、本校では先生を試すなんて何事だ、という空気にはならず、
今では春夏冬の風物詩になっています。
今年はどこの大学の問題だろう、と話が上がることもあります。教職員の一体感を感じます。

また本校では21人のネイティブスピーカーが常勤でいます。
全国に数校は同様の人数を抱えている学校もありますが、普通の学校はこんなにも人数がいません。
また、外国人の先生たちの部屋は別々というケースも多いです。

本校は職員室の中にネイティブスピーカーの先生の席があります。
日本人の先生の目の前が外国人の先生ということはごく普通です。
イギリス人、オーストラリア人、日本人など職員室自体が英語と日本語のクロスマッチになっています。
英語科の日本人の先生はもちろんですが、他教科の先生も英語力を磨いていただいていて、
基本的にメールは英語で打たなければならないルールがあります。

ネイティブスピーカーの先生は漢字が読めません。
中にはなんとか読める先生もいますが、どうしても難しいところがあるからです。
こういった中で、ネイティブスピーカーの先生も含めて、この学園の一員である、
という意識が非常に強いです。
先生方は相当努力してくださっています。だからこそ職員室には一体感があって、
日本人・外国人ということに関わらず、本校の教育を一緒に作っていこうという一体感があります。

よく聞かれるのが、何故そんなに良いネイティブスピーカーの先生が集まるのかということです。
わたしも不思議に感じますが、彼らの情報網の中で
「三田国際学園がいいぞ」という話が広まっていると聞きます。
話を聞いて、実際に面接に訪れると学校の方針にも納得できる。
彼らも三田国際学園の先生たちと同じレベルではないと、居づらくなってしまうと思います。
採用面接でもネイティブスピーカーの先生が採用責任者として立ち会っているので、
彼らが承諾しないと採用されないようになっています。

生徒たちに社会で活躍できる資質を育んでもらうために、
大橋氏が特に伝えていきたい事などありましたら教えてください。

生徒たちに言い続けていることは、
“自分で考える力を持て”、“自分の考えを常に持て”ということです。

“発想の自由人”という言い方をしていますが、この学校の生徒たちはみんな自分が
発想の自由を持っているかを問われているということがわかっていて、
その時々に人の考えではなくて、とにかく自分の考えをもつことの重要性もわかっています。

そして人の考えを聞く時には、クリティカルにロジカルに聞くことを習慣にするようにというのを
ずっと話しているので生徒の思考力がさらに高くなります。

いずれ中学生も高校生も社会に出る時が来て、その時に社会で通用する、
評価される力というのは、自分で考える力を持っているかどうかだと思っています。
何か問題に直面した時に、「わかりません」、「習っていません」ではなく、
やったことのないことこそ、自分の考えを発揮できる時なんだということを伝えていて、
とてもその意識が強い学校です。

お茶の水女子大学が昨年から「フンボルト入試」という試験を始めました。
簡単に言うと図書館に行って自由に調べて書きなさいというような2日間にわたる試験です。
おかげさまでその入試で合格をいただいた生徒がいるのですが、
試験内容が自由に書くことを求められる内容であればあるほど、本校の生徒は実力が発揮されます。

また、昨年上智大学には11人が合格しました。
英語力や思考力を問う入試には本校の生徒は強く
2020年の大学入試改革も本校にとっては追い風だと思っています。
本校生徒の最大の特徴が、「白紙答案に書かせたら負けないぞ」ってことですね。
海外大学への希望者も多くアメリカの4年制大学に合格した生徒もいます。

生徒一人ひとりが自分のキャリアを見据えた選択をして、
国内外を問わず希望の進路に進み、そして社会に出て活躍した時に、
「現在の自分の原点は三田国際での6年間」と言ってもらえるよう、
これからも「三田国際教育」に邁進していきたいと思っています。

《 三田国際学園中学校・高等学校 学園長 大橋清貫 》

株式会社ナインゲーツ(9GATES GROUP)代表取締役 持田 智之

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代表取締役 持田 智之

代表取締役 持田 智之

設立 2009/12/11
事業内容
    • 不動産コンサルティング(不動産投資⋅建築企画等)
    • リスクマネジメント(プロパティマネジメント)
    • アセットマネジメント(不動産を活用した資産運用)
    • ファイナンシャルプランニング
会社HP http://www.9gates.co.jp/

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

ナインゲーツは「人を幸せにするために稼ぐ」をモットーに、
自社開発新築マンション・リノベーションマンションの販売、不動産を活用した資産運用、
ファイナンシャルプランニングといった不動産事業をはじめ、レストラン事業、
ライフスタイルプロデュース事業も展開しております。お客様の物質的な豊かさだけではなく、
暮らしにも寄り添い、より劇的でドラマティックな生き方をお客様が実現できるよう、
常に本気でお客様と向き合い、お客様の人生をより豊かにするための
トータルプロデュースを行っております。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

社会人1年目から不動産業界に飛び込みました。
不動産は生涯で一番大きな買い物で、それを扱う責任と喜び、
そしてもっと成長したいと、会社をよりよくしたいとは考えていましたが、
「起業したい」とは考えていませんでした。

きっかけは不動産が売れなかった2009年のリーマンショックです。
不動産を売ってお客様と契約するは一つのゴールになってしまう、
でも買い手であるお客様にとってはスタートであると改めて考えさせられました。
自分からお客様を幸せにするためには?考え始め、その年に事業を立ち上げました。

持田智之社長が念頭においている経営理念はありますか?

私たちは「劇的な、生き方を。」をお客様が実現できるよう、
社名のナインゲーツでもある9つの心構えを大切にしています。

①家族のような気持ちで本気の愛を注ぐ
②どんなに小さな約束も、命がけで守る
③用意周到に、ストーリーを組み上げる
④先手必勝。全てに対して主体的に動く
⑤見返りを求めずに、誠心誠意を尽くす
⑥人が嫌がる仕事に、進んで手をあげる
⑦あえて困難な道を選び、冒険を楽しむ
⑧些細な事も、こだわりを持って取組む
⑨常に、相手の期待を劇的に超えていく

私達はお客様と契約して終わりではなく、
契約してからがお付き合いのスタートであり、
お客様の人生に貢献することが経営課題の最優先事項です。

現在、特に注力している事業は?

2011年東京赤坂に「TOKYO CUISINE GOGYO AKASAKA」というレストランをオープンしました。
これは世界の食文化を五行思想に基づいて栄養バランスを考え、日本の感性で創作し、
メニューにとらわれることなく、お客様一人一人に合った料理とサービスを
提供する新しい形のレストランです。

また2012年には、雑貨やインテリアを
トータルプロデュースするブランド「R.housrs」もオープンしました。
こちらは家具、インテリア、雑貨をプロデュースする事業です。
お客様の日常に上質な空間、時間をお届けできるためのブランドです。
今後も不動産のみならず、人々の生活の豊かさを追求していく事業に
注力していきたいと考えています。

持田智之社長より、就活中の学生や社会人として働く
若者へ向けたメッセージをお願いします。

皆さんには何かにもがいて、苦しんで、負けて泣いて、
勝って泣いてそんな喜怒哀楽の感情が輝いている記憶があると思いますが、
多くの人が年齢を重ねていくにつれて、そういった感覚を失っていきます。

ナインゲーツは劇的な“達成感”や“成長感”をいくつになっても味わいたい、
そんな人たちの集まりです。私達は社員=家族と考えて
苦労すること、稼ぐこと、遊ぶことにも一丸となって本気で取り組んでいます。

今、目の前の仕事は決して楽なことばかりではありませんが
それでも人を幸せにして豊かな未来になると信じて共に戦っていければと思います。

《 株式会社ナインゲーツ(9GATES GROUP)代表取締役 持田 智之 》


株式会社和不動産 代表取締役 仲宗根和徳

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代表取締役 仲宗根和徳

代表取締役 仲宗根和徳

設立 昭和 53年 10月
事業内容
    • 1,投資用不動産の売買及びコンサルティング
    • 2,賃貸管理業務
    • 3,不動産のリフォーム
    • 4,不動産の売買、賃貸の仲介
    • 5,損害保険代理店
会社HP https://nagomi-fudousan.com/

和不動産の事業内容





アフターフォローNo,1宣言を実現します

株式会社和不動産では、不動産投資プランの提案・マンション投資セミナーを行っています。
都心の築浅中古ワンルームマンションを活用して、
お客様がご希望する目的(老後破産対策、相続税対策、節税など)に
ついて最適なプランをご用意し、評判のアフターフォローでは、
独自開発したコンサルティングシステムを用いて、
しっかりと目的が達成できるようにサポートさせていただいております。

不動産投資セミナーでは、基本的なマンション投資の方法や、メリット、
注意点などを中心にご紹介しており、失敗しないポイントや成功させるために
重要なポイントなどを深く学んでいただくことができます。

セミナーは月20回程開催しており、過去のセミナー参加者や、オーナー様からいただいたご意見、
社会情勢などを基に常に最新の情報を提供しています。

希望の方には、無料個別相談も承っており、お客様の状況や目的に最適な
資産運用全般のプランをご提案させていただいております。

和不動産のこだわり

和不動産はアフターフォローに自信があり、
オーナー様から評判をいただいております。物件購入後も徹底的にサポートしています。
オーナー様の口コミからご紹介も多数いただいております。

不動産投資で成功するには、購入後にどのような行動を起こすかが重要になります。
マンション経営で安定した収入を得ていく為には、データで実態を知り、
それを基にして改善プランを立案し、一緒に目標達成まで実施していくことが重要です。
投資物件を購入したら、その後は放っておくという不動産投資会社は多いです。

私たちは、独自に開発した不動産投資運用コンサルティングシステム『N-RICOS(エヌ・リコス)』を使って、
オーナー様の運用成績を可視化することに成功。これにより失敗を未然に防ぎ、
成功への道標として大変評判をいただいています。
また、賃貸管理業務において、社内で内装部門を持っているため、別途業者へ発注する手間やコスト、
時間を削減することができ、迅速で低コストな対応を可能にしています。
購入後の運用をお任せいただくことによって、サラリーマンの方でも
働きながら手間をかけずにマンション経営ができる「ほったらかしマンション経営」を実現させています。

セミナーの特徴

不動産投資と言えば男性がするものというイメージが強いようですが、
和不動産のセミナーは初心者の方や女性の方お一人でも気軽に参加できる、
親しみやすいアットホームなセミナーです。参加者の方々に有意義な時間を過ごしていただけるよう、
主催者が“話したい”ではなく、参加者が“聴きたい”内容を最新の情報を盛り込みながら用意しております。

不動産投資全般を広く浅くという内容ではなく、各テーマごとに深く掘り下げてご紹介していますので、
いくつものセミナーを聴こうと多くのリピーターの方がいらっしゃいます。
基礎知識や運用に関することなど5つのカテゴリに分かれており、毎週水金土日を中心に月20回以上開催。
初心者の方から既に不動産投資経験者のからもわかりやすいと評判をいただいております。

また独自で不動産投資リアルシミュレーションゲーム「キャッシュフローdeリッチ」を
3年かけて開発しました。誰でも気軽にゲームで遊びながら
マネーリテラシーを上げていただけるようになっております。

「人が集まる会社」がコンセプト

和不動産では、毎回セミナーにたくさんのオーナー様が参加されます。
またオーナー様には、購入後の定期面談として、3カ月に一度運用改善のための
コンサルティングを無料で永久的に実施しております。 
和不動産を通してマンション経営をされているオーナー様からは、
「家賃が自然と貯まっていって嬉しい!」 
「生命保険の見直しをしたり、生活費の見直しをして、支出が減った」
「お金の使い方がうまくなって、貯金もできるようになった」と嬉しい評判を多数いただいております。

こうしたオーナー様との信頼関係が、ご紹介に繋がっていったり、
弊社の考え方にご賛同いただいて、セミナーや個別相談にお申込みいただくなど、
自然とお客様が集まってきていただけることに繋がっているのだと感じております。

また、当社のモットーは「三方よし」を掲げております。
お客様にとっても、取引先にとっても、また従業員にとっても
喜んでもらえることを、目標としております。
従業員には、「自己成長を感じたときの楽しさ」、「人を育てる楽しさ」、
「目標を達成した時の楽しさ」、「会社が成長することの楽しさ」を、当社で味わってもらい、
「やりがい」をもって働く環境を提供することによって、
全員が日々いきいきと仕事に取り組んでいる姿を見て、
良い仲間が集まってくることにも繋がっているのだと思います。

今後の展望

弊社は物件購入後のアフターフォローの丁寧さに高い評判をいただいており、
そこが不動産投資初心者の方でも安心して選んでいただいている最大の理由だと思っています。

多くのオーナー様のキャッシュフローは右肩上がりでパフォーマンスが上がっているのです。
アフターフォローに力を入れているからこそ、高いレバレッジ効果の発揮や
費用対効果の高い運用が出来ています。
私たちは今後も、日々集めたデータを基に、オーナー様が目標を達成できるよう
最適な提案をしてまいります。物件の質を見極めることだけでなく、何世代にもわたって
「ありがとう」と言っていただけるパートナーとして喜んで頂けるよう精進して参りたいと思います。

そのために相続税対策の勉強をし、相続税対策の本を執筆、
N-RICOSで相続税対策シミュレーションも開発いたしました。
今後も他社とは、一線を画した活動を続けるために、
率先垂範しチャレンジを続けながら「オンリー1の不動産会社」を目指して参ります。

《 株式会社和不動産 代表取締役 仲宗根和徳 》

株式会社ALCHEMATION 代表 白石達也

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代表 白石達也

代表 白石達也

設立 2016/8/1
事業内容
    • 教育プラットフォーム『alchemi』『IROAS』の企画・開発・運営
会社HP https://www.alchemation.site/

まず、白石達也氏の経歴を教えて下さい。





若くして企業を立ち上げ、各種メディアで注目されている白石達也氏

弊社代表の白石達也は、若くして企業を立ち上げ、
各種メディアで注目されている白石達也は、情報教材をメインに提供している実業家です。
まず最初に白石達也が起業するまでの経緯について詳しく紹介します。

■白石達也のプロフィール

白石達也は、1986年生まれで現在(2018年)32歳です。
父親は大手航空会社のサラリーマン、母親は外資系会社に勤めており
エリート家族の一員として育てられました。
彼自身も早稲田大学卒業生ということで、非常に有能な一家であることが窺えます。
大まかなプロフィールだけを覗いてみると、
非常に裕福で不自由のない暮らしをしてきたかのように見えますが、
彼は学生時代のいじめが原因で過酷な日々を過ごしてきました。
このいじめは、彼の人生を狂わせてしまうほど大きな出来事となりましたが、
同時に自己啓発の道を切り開く一つの光となったのです。
現在は韓国出身の一般女性と結婚し、一人の子どもの父親としての役目も果たしています。

■学生時代に興味のあったこと

白石達也は、もともと中国の古典や論語などに興味があり、
書面と向き合っている時間が一番落ち着く時間でした。
その反面おしゃれや身だしなみなどには一切興味がなく、
そんな一面もいじめのターゲットにされてしまう原因だったと彼自身も言っています。
高校卒業後は、早稲田大学の商業部に入学し真面目に勉学に励んでいました。

ソフトウェアの開発や販売など新しい出会いがあったことをきっかけに、
情報商材を考えるきっかけにもなったようです。
自己啓発書で見つけた「感情は出した人の方が好かれる、
人間は自分が感がえたような人間になる」という言葉に、
自分とは一体どんな人間なのかということを考えるようになったと言っています。
大学卒業後、父の会社が倒産の危機にさらされ、
どんなに業績の良い大企業でも安定した収入を維持していくことは不可能だということに気づかされ、
彼の中でのプロジェクトが浮かびあがります。
今の彼がこうして活躍できているのは、良書との出会い、
父が勤める会社の業績が低迷したこと、自分の存在に対する疑問が
一番の要因になっているのではないでしょうか。

■起業するまでの経緯について

無事に早稲田大学を卒業した彼は、
新しい情報を求めて様々なセミナーに参加するなど自己投資に励みます。
ビジネス業界で注目されている商材やセミナーをてがける伊勢隆一郎氏と
村上むねつぐ氏という人の存在を知り、200万円の費用をかけてパートナーズクラブに
加入することを決意しました。

それから間もなく、伊勢隆一郎氏と強力なタッグを組み、
「神龍プログラム」を企画・販売することになります。
この神龍プログラムでは、習慣化されたスキルや完全化される行動力を
100%見い出すための方法、コピーライティング技術、トラウマ克服法などビジネスにおいて
必要不可欠なノウハウを無料でマスターすることができるプログラムです。
こうして20代のうちに起業を決意した白石達也は、
有限会社エンハンスの代表取締役に就任することになります。
当時の主力教材といえば、あの有名な「ランドオブハンモックYouTuber」です。

この教材はアメリカを拠点に発展していきましたが、
100年以上の歴史を持つ手法「ダイレクトレスポンスマーケティング」という教材です。
多額の資金を集める方法やダイレクトレスポンスマーケティングを活用した
ビジネス展開させるための手法をわかりやすく紹介しています。
他にもYoutuberをきっかけに集客、信頼の構築、成約に至るまでのあらゆる情報が盛り込まれており、
白石達也はネットビジネス業界で数億円以上の売上を達成する大物実業家として有名になりました。

リバティーレジデンツ開発までの歴史

弊社代表の白石達也が提供する情報教材の1つに「リバティーレジデンツ」というプログラムがあります。
この教材は話題沸騰中の「仮想通貨」に関する知識や投資法を習得できる内容が含まれています。
このリバティーレジデンツが開発されるまでの経緯や、プログラムの特徴について解説していきましょう。

■リバティーレジデンツを開発したきっかけ

白石達也は、学ぶことによって人生を変えることができるという確信を持っています。
彼は今まで学校で学業に励んできましたが、
勉学によって人生が変わったということはないと述べています。
真面目に義務教育を学び、塾通い、予備校を経て名門校早稲田大学を卒業しましたが、
勉強は豊かな生活を送る上で必要なものではないということを断言しているのです。

義務教育というのは、そもそも戦争を遂行するための断層社会で
構築されたもので、今でもその構造は何一つ変わっていません。
インターネットや仮想通貨を代表するブロックチェーン技術というのは
この断層を崩す方向に進んでいきます。
これによって、学校という教育機関は激しい情報化社会に
ついていくことができなくなってしまうのです。
学校とは全国民が幸せになることを目的としたものではないということに彼は気がつき、
リバティーレジデンツこそが経済的、居住的に自由を手に入れることができるという風に主張しています。

今の時代における最大の特徴は、変化が著しく早いことです。
「少し先の未来にある情報」を活用することによって、
一人ひとり大きな富をすぐに構築できるという見解もしています。
リバティーレジデンツによって適切な情報と教育さえ手に入れることができれば、
全ての人が自由に幸せに生きていくことができると主張しています。

■仮想通貨の普及によって誕生したリバティーレジデンツ

今世界中で注目されている仮想通貨は、
近い将来世界共通の通貨になるのではないかという憶測があります。
現在使用している通貨には、円やドルなど国から発行されているので、
出張や旅行先では換金してから使うようになっています。
しかし、仮想通貨になれば世界共通の通貨として使用するので換金する必要がありません。
日本はアメリカに比べて仮想通貨の普及率は少ないのですが、
利用できるショップなどが次々と増えていることから
仮想通貨はさらに発展していくと考えられています。
仮想通貨によって大富豪になる人がメディアでも取り上げられるようになってきました。
こういったメリットのある仮想通貨について学べるコンテンツとして
リバティーレジデンツが開発されたのです。

■リバティレジデンツの内容や仕組み

仮想通貨の専門的な知識や情報を習得できるリバティーレジデンツは、
どのようなことが学べるのかご説明いたします。

まず仮想通貨を学ぶにあたり必要なことは、運用するための知識です。
りバテシーレジデンツで用意されている教材テーマは以下のようになっています。

・投資
・インターネットビジネス
・節税
・語学
・旅行
・移住

この項目をメインに、それぞれの仕組みを具体的に解説し
どの地域で暮らしても満足できるような内容が盛り込まれています。

■リバティーレジデンツを学ぶためには

リバティレジデンツの講座は、基本的にオンラインで学習を進めていくスタイルとなっています。
ですからパソコンやインターネット環境が整っていることが必須となりますが、
逆を言えばパソコンさえあればいつでもどこでも学べる効率的な学習方法と言っても良いでしょう。
このリバティーレジデンツのコンテンツを活用することによって、
仮想通貨の基礎から複雑な仕組みを持った応用まで深く学ぶことができます。
仮想通貨に興味があるものの、未経験者なので全くわからないという人でも
安心して利用することができるコンテンツです。

白石達也は、学習させる工夫が備わっていない従来までの教材を見直し、
リバティーレジデンツという報酬型のプログラムを独自で開発しました。
信頼性の高いビジネスを手がけるために、今後もさらに効率的で安全性の備わった
コンテンツを研究し続けていくことでしょう。

白石達也の理念とは

白石達也は、日本教育の危うさに警鐘を鳴らしIROASという新しい教育システムを導入しました。
日本が現在取り組んでいる教育は、労働者を増やすための目的であると見解しています。
そんな時代遅れの日本の教育から離脱するために、彼は新しい「IROAS」という教育方法を見出しました。
ここでは、IROASのコンセプトや理念についてご紹介していきましょう。

■白石達也の理念「IROAS」とは

彼が手がけるIROASというのは、新しい教育環境で実力のある講師たちが
お金を稼ぐための能力を忠実に教えてくれます。
インターネットで授業を受けることができる最先端授業の学校で、
知人に紹介することによって報酬が得られるシステムを導入しています。
学びながら収入を得ることができるということがIROASの最大の特徴です。
人にはそれぞれ得意なこと・不得意なことという側面をもっています。

得意なことで成功できれば誰もが苦労せず働くことができますが、
日本で今ある仕事は20年後には半分近くなくなってしまうという憶測があります。
時代が激しく変化していくのに対し、教育方針はそのまま貫いていくことは
厳しい世の中になっていくでしょう。
子どもだけに対する教育ばかりではなく、大人への教育も必要な時代です。
そんな疑問を解消するために白石達也はIROASという新時代に向けた教育方法を生み出し、
多く人に向けて自由を学び人生を充実するためのコンテンツを提供しています。

■新しいプラットフォームで経済活動を始める

IROASが提供する教育コンテンツは、経済活動を自由にする知識を
習得することができるようになります。
これまでは会社の歯車になることが働くことの目的でしたが、
これからの時代は自分自身が軸となって会社を動かしていくという考え方です。

IROASは、オンラインで学ぶことができる教材なので自分の生活スタイルに合わせて
好きな時に学ぶことができる自由型プログラムです。
知識を増やすことによって、社会の見方や価値観が変わり
素晴らしい人生を導く手助けとなってくれます。
このオンライン授業を貫くにはきちんとした目的があり、働くことを非難するわけではありませんが、
働く時間にもっと自由を取り入れることを主張しています。
最終的には、全ての人達が自由に人生を充実させるということをゴールだと考えているのです。

IROASのサービスで得られる情報や価値は確かなものです。
利用している方の成功事例もたくさんあるので信頼されているサービスでもあります。
老若男女問わず誰でも気軽に始められるという点も、
彼が多くの人々に自由居住の大切さを気づいて欲しいというが概念があるのではないでしょうか。

白石達也のfacebookやメディア出演情報

白石達也は、情報教材の他にも多くの起業家をサポートするコンサルタント活動を行っています。

■Youtuberという肩書きを超えた活躍ぶり

弊社代表の情報ビジネスは基本的にSNSなどを活用したプログラムが多く見られます。
例えば「ランドオブハンモックYoutuber」といった動画サイトは、ネット環境を利用した教材と言えるでしょう。
このランドオブハンモックYoutuberは、アメリカで発展し100年以上の歴史を掲げるマーケティング手法を学ぶ教材です。
記録的な売上を達成したことでネット業界に携わっている人であれば、知らないという人はいません。
実際この教材は爆発的な業績を残しましたが、早く目をつけて参入した人も収入を得ることができたと言わています。

■SNSを活用した情報発信

彼は動画サイトを有効活用し、誰でも簡単に収入を得ることができるような教材を販売しました。
Youtuber兼システムの構築者でありながら、この他にも
LINE@やインスタグラム、ブログ、ツイッターなどのSNSにも参入しています。
彼は流行にも非常に敏感で、最も成果のありそうな分野に誰よりも早く目をつけることにも長けています。
その結果、即行動してきたことが実際に彼のビジネスを成功へと導いているのでしょう。
ブログやインスタグラムでは、自身の私生活やネットビジネスに関する情報をたくさん更新しています。
最近の更新はありませんが、過去記事を見てわかるようにオリジナルのノウハウが具体的に書かれています。
白石達也が抱くネットビジネスにおける概念を知りたい方は、一度チェックしてみてはいかがでしょうか。

■Facebookで発信していること

白石達也は、Facebookからも情報教材に関する内容を発信しています。
ビジネスに関係ない自身の家族のことなども度々投稿しているので、
革命家の日常的なプライベートを垣間見ることもできるでしょう。
教材の具体的な内容については、1億円のコピーライティングの秘密、仮想通貨に対する考え方、
ノマド家族など様々な情報を無料で提供しているほか、彼に向けられる評価やレビューなども参照することも可能です。
彼がFacebookなど無料で閲覧できるサイト上であえて公開しているのは、
より多くの方に成功するためのヒントを掴んで欲しいという願いが込められているとも言えるでしょう。

■セミナーによる露出も多い

白石達也が手がけるIROASでは、無料セミナーが随時行われています。
参加者からはビジネスを学ぶための環境として最良な場所であるという意見が寄せられています。
同じ目的を持つ仲間が多く、最先端のビジネス情報が得られる場として人脈が広がり、
起業するためのヒントがたくさん潜んでいるという定評もあるようです。
2017年12月から開催されたこのセミナーは、東京・大阪・福岡など様々なエリアを中心に、
僧侶、ユダヤ人、資産家など彼以外のメンバーも参加しています。
セミナーでは、白石達也の自己啓発やセールスの能力の優れた部分を生で体感することができます。

白石達也氏は、テレビやラジオなどのメディア出演は見つかりませんでしたが、
インターネットを中心としたメディア露出が多いことがわかりました。
株式会社ALCHEMATIONではIROASやalchemiを提供しながら
企業としてのあり方や改善方法を紹介しています。
彼の公式サイトでは、SNSの各投稿内容をチェックすることができるので、
興味がある方はぜひ見てみてください。

白石達也が今後計画していること

白石達也が今後計画していることには、様々なものが挙げられます。
現在、新しいコンテンツを生み出し続ける白石達也ですが、
理念の部分で語られていたように、日本の教育に関して警鐘を鳴らしています。
現在、日本の教育というのは単に労働者を生み出すだけのものとなってしまっており、
上に立てる存在が少なくなってきていると考えています。
ここで導入されたのが、新たな教育方法である「IROAS」です。
IROASはネット授業によって最先端な情報を学べる環境を作っています。
現代は子どもだけではなく、大人も経済が発展していく中で学ぶことが多い時代でもあります。
ですから白石達也は新時代に向けた教育として、IROASというコンテンツを打ち出したのです。

このコンテンツは多くの人が学べる場として提供されています。
しかし、白石達也はこれだけに留まらず、より日本の教育現場を発展させようとしているのです。
そのために行っているのが、世界中の教育現場を見学し、
素晴らしい部分を日本の教育現場にも取り入れるといったことを実行しています。
世界には様々な国がありますが、その国ごとに教育も異なってきます。
また、日本人にはなかなかないような発想で、教育が進められているケースも少なくありません。
このような世界で行われている教育を良い部分だけ日本でも取り入れていくことによって、
教育現場がより良くなっていくと考えられます。

白石達也はこのような行動を自ら起こしていくことによって、
日本が今後経済的にも人間的にも発展していけるよう、様々な計画を立てているようです。
現在はまだそれが現実のものとなっていることも少ないですが、
着実に一歩ずつ前進していると言えます。
白石達也自身もまだ30代前半と若いため、今後の活動によって
日本の教育は大きく変化していくことも十分に予測できるでしょう。

《 株式会社ALCHEMATION 代表 白石達也 》

株式会社H2 代表取締役 森田 諒平

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代表取締役 森田 諒平

代表取締役 森田 諒平

設立 2012/12/3
事業内容
    • ITソリューション事業部
    • クラウドIPフォン事業部
    • ネットワークサービス事業部
    • WEBマーケティング事業部
会社HP http://h2-g.co.jp/

起業ストーリー

私はH2代表取締役の森田諒平と申します。
現在29歳、そして会社を経営をして今年で9年目になります。
弊社は元は通信事業大手の代理店として創業をいたしました。
創業した当時は車一つで札幌から関東・東北へ、営業に向かう。
そのようなところから会社がスタートしました。
その当時は代理店という立場から、大手の傘下として様々な苦労があり、
その経験から弊社の理念が生まれました。

それは
「圧倒的に社員を幸せにする」

これを実現するためには、自社サービスにより、
収益を安定させていく必要がありました。
そのためには自社サービスを作る必要がありました。
ただ創業間もないわが社が自社サービスを作ることには
周りから多くの反対の意見などもありました。

ただ私の決断の背中を押したのは、やはり『圧倒的に社員を幸せにする』
この思いでした。
この理念が支えとなり、作り出したPコネクトという自社サービスは
今では弊社の重要なストックビジネスの収益源となっております。
そこから現在では、社員200名・圧倒的に人々を幸せにするという志の元
「2021年の上場・そして時価総額1兆円企業を作り出す」
という思いに向かって邁進しております。

現在でも弊社は圧倒的幸せを作り出すという理念の元
様々な新規事業の開発・社宅制度・読書制度・毎月の社内イベントなど
社員の幸せを作り出すための活動を行っております。

事業内容について

大きくわけて3つの事業を展開しています。
まずはITソリューション事業。SEOやMEOによる集客支援のほか、
代表的な取り組みに『SMAO』というサービスがあります。
飲食店向けのタブレット端末を使ったセルフオーダーシステムで、導入費用は0円。
人件費削減や作業効率の向上につながるほか、注文履歴をビッグデータ化し、
AIを活用してファミリーやカップル別などに
適したメニューを画面表示で提案することができます。

ふたつ目は、ネットワークサービス事業。
おもに、自社の光回線およびプロバイダサービスの運営・販売を行っています。
また、不動産管理会社やオーナーに向けたサービス『FiL』を展開。入居者向けに、
無料でインターネットが利用できる「マンションのIoT化」を提案しています。

最後に、クラウドIPフォン事業。企業に対して、
「アナログ電話機をクラウド化してインターネット電話にしましょう」
という提案を行っています。
当社のサービスは業界最安値の価格水準であるほか、
最大7割のコスト削減を支援した実績があります。

経営で重視していること

圧倒的に人々を幸せにすることを重視しております。
社名のH2は「HUMAN×HAPPY」を表しています。
人々とは、顧客はもちろん、社員も含んでいます。
幸せではない社員からは、いいサービスは生まれません。
逆に幸せな社員がつくって提案したサービスなら、
どんどん社会に浸透していくはずですから。
そのため、「H2に入って幸せだ」と思ってもらえる取り組みを積極的に行っています。

たとえば、社内全体におけるコミュニケーションの活性化にチカラを入れています。
具体的にいうと、春には花見、夏は海でBBQなど、
2ヵ月に一度は全メンバーを集めて社外イベントを行っています。
         
その他には、教育にもチカラを入れています。
定期的に外部から講師を呼んで社内の役職ごとに研修を行うほか、
2ヵ月に一度、会社から無料で本を支給。
「自己成長につながる本」という枠のなかで、自分自身で選んでもらっています。
教育関連には、年間ひとり当たり約50万円を投資。
こうした取り組みによって、各社員のさらなる自己成長をうながしているのです。

今後のビジョンについて

2021年のIPOを視野に、その準備を進めています。
そしてゆくゆくは、時価総額1兆円企業をめざしていきたいですね。
一見無謀に見えるかもしれませんが、
設定したビジョン以上に組織は成長しないし、個人だってそう。
だからこそ、あえて高いビジョンを掲げて挑戦しているのです。

また、今年度から本格的に新卒採用を行っていきます。
2019年卒が、1期生になります。
当社はまだまだ若い会社。
ベンチャーマインドをもった、成長意欲の強い人と一緒に仕事がしたいですね。

《 株式会社H2 代表取締役 森田 諒平 》

近藤 太香巳 株式会社ネクシィーズ 代表取締役社長

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代表取締役社長 近藤 太香巳

代表取締役社長 近藤 太香巳 

設立 1990年2月21日
事業内容
    • エネルギー環境関連事業
    • 電子メディア事業
会社HP https://www.nexyzgroup.jp/

困難を乗り越えて、本物のベンチャーを

19歳でわずか50万円を元手にネクシィーズを起業しました。
34歳の時にはナスダック・ジャパン(現:大証ヘラクレス)にIPO(以下、上場)を果たし、
2004年に37歳という若さで東証一部上場企業の最年少創業社長に。
そんな経営者としての人生の中でもっとも印象に残っている経営上の困難は
上場の取り消しにあったことです。これは起業して13年目、2000年のことでした。
ITバブルの崩壊により東証マザーズへの上場が直前になって取り消されてしまったんです。
本当にショックでした。

しかも、その後さらなる悲劇が当社を待ち受けていました。
上場が取り消しになったことで、なんと取引銀行が全面撤退。
当社が融資を頼んでも、すべて断られてしまいました。
この時、当社は上場による資金調達を見越して、すでに大型の投資も進めていました。
しかし上場が立ち消えになり、このままでは2ヶ月後に資金が底を尽くことが判明。
そこで何とかして資金を調達しなくてはいけなくなったんです。

そんな時に幸運にも、当社は良き支援者に恵まれました。
ソフトバンク・インベストメントの北尾さん
(現:SBIホールディングス代表取締役)に出会えたんです。
当時の当社は上場を取り消されて、社会的に孤立していました。

しかし、北尾さんは当社の潜在的な力を高く評価してくれ、
全面的に支援する約束をしてくれたんです。
「近藤君の眼は輝いている。全面的に支援しよう」と言ってくれ、
わずか15分の面談で30億円の出資を決めてくれました。
本当に涙が出るほど嬉しかったですね。

その後、上場取り消しから2年後の2002年に
ナスダック・ジャパン(現:大証ヘラクレス)に上場を果たすことができ、
さらにその2年後の2004年には東証一部にも上場を果たすことができたんです。

これからのネクシィーズ

大きく3つの柱 があります。
1つ目は、大手広告代理店ではできない仕組みの販売促進といえるプロモーションマーケティング。
2つ目は、従来にない説明型のテレマーケティング。
3つ目が、モノを売るためのディストリビューション。
この3つの柱がコラボレーションすることによって、
今後もネクシィーズは成長していくと思っています。

その証拠に当社は、衛星放送やブロードバンドは
提供各社の国内ナンバーワン・ディストリビューターになってきたし、
デジタルツール以外にも食品会社・ 化粧品会社・通販会社など
提携会社がすでに120社ほどあるんですよ。

世の中はモノの時代から、やっと価値の時代になってきました。
どんなにハイテクノロジーが発展しても、今は自分にとって
それが、どううれしいのか、楽しいの か、面白いのか、その価値がわからないと手にとってはくれません。
デジタルという便利な道具を使って、リアルな誘導でユーザーと価値を
結びつけていけるのがネクシィーズの最大の強み。
これは今後もずっと変わらず、ナンバーワンのポジショニングを維持していきます。

そしてISP「Nexyz.BB」の拡大です。
過去3年間、Yahoo!BBの販売を行ってきましたが、
当社はユーザーが支払う月額基本料金の数パーセントを売上げ計上できる収益構造となっています。
今後は、ISP料金の全てが当社に売上げ計上できるようになりました。
今さらISP かと思う人も多いでしょう。

しかし、日本のインターネットユーザーの30数%は未だにダイアルアップ接続なんですよ。
この事業には初期設備投資もそれほどかからず、
1ユーザー当たり月間1290円の使用料がすべて当社の継続収入となるわけです。
そして、ここにユーザーが望むであろう様々なセキュリティ、動画、証券取引などの
サービスを付加価値として提供していく。
当然、冒頭に説明した当社の強みである3つの柱をフル稼働してね。
現在、ユーザーの平均使用料が月1500円ほどですが、
数年後には2000円くらいになると予測しています。

そして、グループ戦略も着々と進行中です。
今年の4月にネクシィーズは持株会社に移行しています。
そして8社あるグループ会社をひとつずつIPOさせていく。
社員が活躍する場所も増えますしね。
当然、社長に据える人材は、きちんと株を持ってもらい経営者として頑張ることができる仕組みです。
僕がヒーローであり続けたいように、社員にもどんどんヒーローになってほしいんです。

ネクシィーズグループでは、社員は“ファミリー”であり、
会社が大きくなっても“ファミリー企業”であり続けることを理想としています。
そのために、社員とのコミュ二ケーションを大事にしており、
大前提として、「本当にネクシィーズで働きたいと強く願っているか」という点を最も重視し、
一生懸命になれるか、素直さ、情熱があるか―の視点で選考を行い、
技術・知識への偏重ではなく、より高みを目指して成長して行こうと努力できる人を採用しています。

起業を目指す若者へメッセージ

「動きながら考えろ」と言いたいです。
若者で「起業家になりたい」という人はたくさんいます。
しかし、実際に起業する人はほんのわずか。
たぶんいろんなことを考え過ぎて、動けなくなっているんだと思います。

まずは「小さな明日への希望」だけを持って動いてみればいい。
実際に動いてみれば、だんだん周りの景色も変わってくるはずです。
すると、次第に「小さな明日への希望」がいつしか「大きな夢」へと変わっていく。
だから、まずは目の前のことに情熱を持って挑戦してみてください。
きっと夢はそこから始まるはずです。

《 近藤 太香巳 株式会社ネクシィーズ 代表取締役社長 》

株式会社ドム 代表取締役 菊地 永一郎

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代表取締役 菊地 永一郎

代表取締役 菊地 永一郎

設立 1999年10月
事業内容
    • 人材派遣
    • 紹介予定派遣
    • 人材紹介
    • 明朗会計派遣
    • 適性検査
    • 貸し会議室
会社HP https://www.dom-net.co.jp/
https://www.dom-hibarai.com/
http://www.dom-biz.com/

株式会社ドムの事業内容を教えてください

東京都新宿区にて、人材派遣業と貸し会議室の運営をしております。
人材サービスがメイン事業で、一般派遣・紹介予定派遣・人材紹介など、
企業様のニーズに合わせて様々な人材をご提案させて頂いており、
コールセンター(テレオペ・テレアポ)や事務職などのオフィスワーク系のお仕事を中心に、
販売・営業などの職種も取り扱っております。

貸し会議室の方は、新宿区でもかなり安価にご提供させて頂いていることと、
設備の綺麗さから、お客様よりご好評を頂いております。

株式会社ドムの強みについて教えてください

集客力が強いというところです。

①お客様から頂く求人依頼の量の多さ
 営業が様々な業種のお客様から求人依頼を頂いて来ますので、
 求職者様にマッチングする仕事情報の量が多い

②求人内容の分かりやすさ
 求人サイトに掲載する求人広告の質を良くする為に、
 掲載している求人の解析や改稿・媒体選定を重ね、たくさんの求職者様に興味を
 持って頂けるような求人内容を掲載している

③給与の支払い形態
 給与日払い制度を取り入れておりまして、就業しているスタッフ様の状況に合わせて、
 月払い・週払い・日払いなどに対応している

以上の要因が組み合わさり、多くの求職者様にご登録を頂いておりますので、
人材をお探しの企業様に対して、多様な人材をご提案させて頂けております。

会社を経営する上で、菊地永一郎様が特に
心がけている事などありましたら教えてください

人から必要とされるものを提供し続けることです。
必要とされるものは維持・継続ができますが、
必要のないものは維持・継続ができなくなります。

それは、お客様だけではなく、派遣スタッフの皆様・弊社の社員に対しても同じで、
必要とされるものの提供が出来なければ、ドムから離れていってしまうということでもあります。

「ドムっていいな」と思ってもらえることを提供し続け、
お客様・派遣スタッフの皆様・社員とお互いに良い関係を築いていきたいと思っております。

例えば、給与日払い制度は就業している派遣スタッフとの雑談の中から始まったサービスです。
今後もドムを必要と思って頂ける様、様々な情報を取り入れ、
日々変化し、期待に応えていきたいと考えております。

菊地永一郎様の今までで一番思い出深い仕事でのエピソードを教えてください

設立直後にやっていた、単発のフリーペーパー配布のお仕事は思い出深いですね。
出勤できる派遣スタッフの確保やシフトの作成、
また配布当日、人数が不足した際には私自身も配達・配布をしておりました。

このお仕事は、会社員の方々の出勤時に配布していたので、朝も早いですし、
暑さや寒さにも気を配らなければ配布してくれるスタッフの皆さんが体調を崩してしまいますので、
見ているよりも気配りの必要なお仕事です。

そういった状況下で就業してくださった派遣スタッフの皆様に、親近感を持って頂け、
他の現場でも就業して頂いたり、お仕事を探しているお友達を紹介して頂いたりもしました。

とてもありがたかったですし、自分自身にも大変勉強になったお仕事です。

株式会社ドム、そして菊地永一郎様の今後の目標を教えてください

派遣スタッフの皆様やドム社員に、より良い就業環境を提供できるよう、
人材サービス以外の新しい事業を確立したいです。

また、派遣スタッフ皆様が長く安定して就業できるように、
紹介予定派遣や人材紹介の部分をもっと強くしたいと思っております。
せっかくドムという会社で働いて頂くので、やりがいやスキルアップができるというところもそうですが、
待遇面もより良くして、ドムに来た意味を感じて頂き、
一人ひとりが充実した生活を送って頂けるようにしていきたいです。

《 株式会社ドム 代表取締役 菊地 永一郎 》

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