Quantcast
Channel: 情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~
Viewing all 230 articles
Browse latest View live

株式会社リブート 代表取締役社長 中野 猛

$
0
0

代表取締役社長 中野 猛

代表取締役社長 中野 猛

設立 1992年8月
事業内容
    • 宝飾品の製造・卸売(特約店・契約店にのみ卸売販売)
会社HP http://re-boot.co.jp/company/outlinev

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

株式会社リブートはジュエリー販売を主体にした会社で、
質の高いサービスや商品を提供することによって、
お客様本位の精神で社会や経済の発展に貢献していくことを経営理念としています。

誠実であることを旨として信用と社会的責任を重んじながら、
健全な経営によって信用を築き、社会的公正と共存共栄の精神で
お客様本位の経営をしています。

実際に株式会社リブートのロゴコンセプトも、
数学者であるロジャー・ペンローズが考案した
「不可能性の最も純粋な形」をモチーフとしたものとなり、
そこには「Re」という再生の意味を込めながら、
不可能を可能にしていくという想いも込められているようです。

株式会社リブートは、多くのジュエリーブランドを立ち上げているだけでなく、
若い女性に人気の西野カナさんや倖田來未さんなど、
女性とのコラボレーションによってよりジュエリーを身近に感じさせるCMやタイアップを
打ち出しています。

さらにGacktさんやKAT-TUNの亀梨和也さんなど、男性芸能人とのコラボレーションによって、
男性へのアプローチを行い、ジュエリー=女性ではないと思わせることで
さらに販売層を広げていくことにも成功しました。

このような事業展開を行ったことで、
通常のジュエリーブランドと比較した時に取り扱うジュエリーの豊富さが際立ち、
レディースからメンズ、ブライダルに至るまで
様々なシーンに合わせたジュエリーを選ぶことができるのも
株式会社リブートの強みになっています。

現在はビジュード、ジェムケリー、ディッチャ、パヴォーネ、シェリーの5種類のブランドが展開され、
多様性のあるジュエリーをブランドによって選ぶことができます。
またビジュードではジュエリー工房を設けているため、
自社内にジュエリーデザイナー、ジュエリーアドバイザー、ストーンバイヤー、宝飾加工職人が
商品開発に常に携わっており、ニーズに合わせた商品やアイデアをすぐに加工できる工夫もされています。
常に新しいものを生み出すことができるのが、この会社の強みでもあるようです。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

株式会社リブートの代表取締役社長CEOである中野猛氏は、
以前まで大手自動車メーカーの整備士として働いていましたが、
その後整備から離れて着物や宝石を取り扱う会社に転職しています。
そこでわずか24歳という若さで営業本部長になったという経歴を持っています。
自社を立ち上げて37歳になった頃に売上100億円、経常利益16億円と会社を成長させました。
中野猛氏は公式ホームページにおいて、
低コストで繰り返し大量生産される商品が溢れている時代だからこそ、
後世にまで残り続ける価値のある商品を生み出したいと語っており、
そのような経緯から会社名を再起動という意味が込められた「リブート」に変更しています。

また、自らが「想像」して「創造」することが、新しい宝石の価値となることを信じて、
常に多くのお客様にジュエリーの輝きを届けたいという想いを
ジュエリーに込めているといったことも語っています。

常に変化して次世代にバトンを渡していき、
100年後も存続する会社であるように「変化」を楽しみながら
未来に向かっていく姿勢が、多くの支持の理由となっているようです。

株式会社リブートはジュエリー販売の企業という枠に捉われることなく、
ジュエリー製造や販売を事業の軸としながら、そこに新しいものを常に生み出し続け、
未来へと価値を繋いでいくことを考えている企業であり、
「100年後も存続する会社として更に変化していく」と語っています。
中野猛氏の描く企業を目指し、
株式会社リブートは現在も未来もお客様本位の事業を展開し続けていくことでしょう。

《 株式会社リブート 代表取締役社長 中野 猛 》


株式会社No.1 代表取締役社長 辰巳崇之

$
0
0

代表取締役社長 辰巳崇之

代表取締役社長 辰巳崇之

設立 1989年9月27日
事業内容
    • オフィスコンサルタント事業
      ①情報セキュリティ商品販売
      (UTM、サーバー)
      ②OA機器商品販売
      (MFP、ビジネスフォン)
      ③経営支援サービス
      (Web・販促品販売、役務業務のソリューションサービス)
    • システムサポート事業
      ①システムサポート
      (保守・メンテナンス、ITサポート)
      ②オフィス通販
会社HP https://www.number-1.co.jp/

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

当社は、「日本の会社を元気にする一番の力へ。」という経営理念を掲げ、
全国400万社ある中小零細企業の様々なニーズ、経営上のお悩み、
問題や課題に対し、トータルビジネスパートナーとしてお客様を支え、
日本経済を活性化させる原動力になることを中長期的な目標とし、活動しております。
具現化に向けて、当社は、様々な事業を展開しております。

先ずお客様の「今」に向けたサービスとして2点、
① オフィス環境効率化による生産性の向上とコストダウン
② 経営支援サービスによる経営の効率化や経営状況の可視化
次にお客様の「未来」に向けたサービスとしては
③ 販売支援サービスによる売上向上施策のサポート

と大きく分けて3つの事業ドメインを展開しています。
中小零細企業の経営者様における煩雑な作業や業務、お悩みごとに耳を傾け、
そこからお客様のニーズを形にしたものが、
現在の当社におけるビジネスドメインの基盤となっております。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

平成7年9月
株式会社ジェー・ビー・エム(現当社)入社
平成9年9月
株式会社ジェー・ビー・エム(現当社)取締役就任
平成16年3月
株式会社ジェー・ビー・エムと株式会社ビッグウィンの合併に伴い当社取締役副社長
平成20年12月
当社代表取締役社長(現任)
平成27年2月
株式会社Club One Systems 取締役(現任)
平成28年3月
株式会社キューブエス 取締役(現任)

私がこの業界に入ったばかりの頃は販売のみで、
アフターサービスを自社で行うことは珍しい時代でしたが、
魔法瓶と日用品の卸問屋を経営していた父の口癖が「販売した人が直す」で、
私の根底に染み付いた考え方でもあり、アフターサービスを自社で行うこととしました。

社長が念頭においている経営理念はありますか?

当社の経営理念は「日本の会社を元気にする一番の力へ。」です。
経営理念をより理解し、
具体化するために第30期を機に再構築した、
No.1フィロソフィというものがあり、20項目で構成されています。
そのひとつに、「感謝の気持ちをもつ」という言葉があります。
私たちが今日あること、そして存分に働けることは、
お客様や取引先はもちろん、職場の仲間や家族といった
周囲の多くの人々の支援があったからです。
決して自分たちだけでここまでの成長があった訳ではありません。
「周りの人のおかげで今日の自分があるのだ」という気持ちを持ち、
感謝を忘れてはいけません。
逆に、感謝の対極にあるものが不平、不満、それを口にする愚痴です。
それらは、自分自身を後退させるだけでなく、人生を暗くし、不幸にします。
常に謙虚に感謝をすることで、人生は素晴らしいものになっていきます。
感謝の気持ちを持つことで、自分の心が美しくなっていき、
運命そのものが明るくひらかれていくからです。
感謝をする心が、幸運を呼び込むのです。

現在、特に注力している事業は?

①情報セキュリティ商品&防犯セキュリティ商品
情報セキュリティは、中小企業における最重要経営課題であり
自社企画商品の更なる拡充により市場シェアを更に拡大させる
防犯セキュリティは、
狙われない、犯罪対象にさせないオフィス・店舗等環境づくりにおける
重要ポイントであり事業化により拡大させる
No.1ビジネスパートナーとして中小企業へ価値ある商品・サービス展開をトータルで提供
これにより社会にとって必要不可欠な企業の存在価値を高める。
→30期経営計画書の商品戦略イメージ

②情報セキュリティ商品を中心としたソリューション企業へ変化
・顧客ニーズをキャッチアップした商品企画力。
・当社製品に限定しない、メンテナンス・保守対応力。
・顧客の期待に応え、悩みを解決する経営支援サービス。
時代の変化を捉え、MFP販売会社から情報セキュリティ商品を中心とした
ソリューション企業へ変化。
→30期経営計画書の競合他社と当社の強みのNo.1の強み

③情報セキュリティ、防犯セキュリティ、新商流へシフト。
経営支援サービスを活用し、顧客の期待に応え、
悩みを解決し、信頼関係を構築する。
営業/システムサポート 顧客との関係性を活かし、MFP/ビジネスフォンを維持しつつ、
情報セキュリティ、防犯セキュリティ、新商流へシフト。
経営支援サービスを活用し、顧客の期待に応え、悩みを解決し、信頼関係を構築する。
→30期経営計画書の全社戦略の営業/SS

④経営支援サービス
助成金活用のニーズはあるも、申請に必要な就業規則や雇用契約書等の整備が
出来ていないためニーズが顕在化。
お客様の多くが助成金の活用が出来ておらずかつ申請に必要な就業規則や雇用契約書等の
整備も出来ていないのが実態です。
労務管理は、売上に直結しない為、後回しにする傾向があります。
しかし、労働者が1人でもいれば、労使トラブルが発生します。
就業規則・雇用契約書の重要性をご理解いただき経営課題解決の一環として
経営サポートしていく必要があります。
→30期経営計画書の新商品サービス

⑤アライアンス、業務提携等の手段を駆使した商品企画の迅速化・販売チャネル多様化
パートナー企業向けの自社企画商品、自社営業部門で培ったノウハウを活用し、アライアンス・M&Aを強化
→中期経営計画書の重要指標

社長より、就活中の学生や社会人として働く若者へ向けたメッセージをお願いします。

当社は、昨年実績として売上高77億、従業員数450名を超え、
今後も更なる成長をしていく為には、
「チャレンジ精神を維持」していくことが重要と考えています。

昔から「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言いますが、この言葉は精神論ではありません。
ともすれば、現在は安定を好み、失敗を恐れる風潮がありますが、
脳科学者の学説にもありますが人間の脳は、
体験によって進化し、失敗を失敗と認識することで、
より失敗しにくい脳に変わるといわれています。

目の前の勝負から逃げず、前へ進んでいくことが自身の未来の為になるのです。
そして、より重要なのは、失敗した時に、それらを、どう対処するかということでしょう。

もし原因が他人にあったとしても、失敗を防げなかった自分を反省し、
相手への怒りを自分の心の痛みに変えることで、自分自身が強くなっていくと思います。

是非、皆さんの強みの一つである「若さ」を活かして、
今日より学生生活で積極的に様々なことにチャレンジし、
良い意味での失敗体験をしてもらいたいと思います。

《 株式会社No.1 代表取締役社長 辰巳崇之 》

株式会社DYM 代表取締役社長 水谷 佑毅

$
0
0

代表取締役社長 水谷 佑毅

代表取締役社長 水谷 佑毅

設立 2003/8/22
事業内容
    • WEB事業
    • 人材事業
    • 研修事業
    • エグゼパート事業
    • 医療事業
    • 新規事業
会社HP https://dym.asia/
https://dym.fm/
https://dym.gift/
https://dymmovie.com/
https://www.dymhongkong.com/
https://www.dshu.jp/

株式会社DYMを起ち上げたきっかけを教えてください

私立の医学部に入学し、高校時代までは貰っていたお小遣いが廃止されました。
学費が非常に高いので当然ではあったのですが、自分で使う・遊ぶお金も必要だった為、
自分で稼ごうと考えました。

最初は周りの友人たちと同様にアルバイトを考えたのですが、
それなりに忙しい医学部生活を考慮すると時給1万円くらいの効率性を求めないと
十分に稼げないなと思ったのが始まりです。
人に雇われている立場では時給1万円を超えるのは難しいと思い、
起業することになりました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

思い返しますと、大学卒業後に有限会社から株式会社となり、
人を雇い始めて組織化してから、年商10億円くらいになるまでが大変でしたね。
というのもやはり優秀な人材の採用が難しく、指示した内容がしっかり実行されなかったり、
真面目に勤務出来ない人材がいたりと、お恥ずかしい話ですが、
社内の人材レベルが高くなかった時期は様々な苦労がありました。

良い人材を採用する事がどれほど重要で会社の成長への影響度が高いか、
改めて身に沁みて感じています

株式会社DYMの強みについて教えてください

幅広い事業展開と、屈強な財務基盤、
「素直・前向き・一生懸命」な社員が多くいる事です。

事業というのは遅かれ早かれ必ず衰退するものだと思っています。
成長期、成熟期、衰退期といった流れで変遷していくわけですね。
もちろん衰退しないのがベストですが、長い目で見ると必ず衰退していくというのが世の常です。

長期的に安定した経営を実現する為にも、
多くの事業領域でビジネスを展開している事がDYMの強みの一つです。

また、創業以来無借金経営を継続しており、
非常に強い財務基盤があることも強みとして挙げられるかと思います。

そして事業を創るのも結局人であり、企業もまさに人が創り上げるものですので、
ビジョンに共感し、「素直・前向き・一生懸命」である優秀な社員が多くいることが
何よりもDYMの強みだと考えています。

「世界で一番社会を変える会社を創る」というビジョンを掲げ、
「医療」「就職活動」「地方創生」等、様々な社会問題の解決に
取り組んでいく中で、水谷佑毅様が特に心がけている事を教えて下さい

展開する事業は、全て社会問題の解決に繋がる事業であるという事です。

やはりクライアントをはじめ、ステークホルダーの皆様、
世の中の人々から本当の意味で評価され、必要とされるものしか長くは残らないと思います。

ですから、社会問題の解決に繋がり、
世の中から必要とされる事業であるかどうかを常に考えて経営を行っています。

そして結果的に収益も上がり、自社の利益となって
社員にしっかりと還元することで皆が幸せになれるというのが理想です。

今後のビジョンについて教えてください

引き続き社会問題の解決に寄与できる事業を、
分野の隔たりを超えて多く展開して行きたいと考えています。
中でも特に、やはり医療分野には一層注力していきたいと思っております。

医師としてのキャリアでなく、経営者としてのキャリアを選択した最大の理由は、
日本・世界の医療分野のIT化の遅れを是正し、より良い医療が
世の中に広がる事を実現したいという想いでした。

その点は今も変わらず持っている考えですので、
特に医療については拘って事業展開をし、社会貢献に繋げていきたいと考えております。

《 株式会社DYM 代表取締役社長 水谷 佑毅 》

株式会社秀光ビルド 代表取締役社長 本間航也

$
0
0

代表取締役社長 本間航也

代表取締役社長 本間航也

設立 1991年10月8日
事業内容
    • 建築
    • 土木工事
    • 設計施工請負 一般住宅設計施工
会社HP https://shukobuild.com/
https://www.pinterest.jp/shukobuild/

どのようなきっかけで株式会社秀光ビルドを起ち上げたのでしょうか?

高校を卒業後、いくつかの職を経験し、秀光ビルドへ入社しました。
入社当初から、やるからには社長を目指そうと意気込み、仕事に励んでいました。

そんな折、金沢市に支店を出すという話を聞きました。
支店長は他社からの引き抜きという噂がありましたが、
「自分がやりたい」と当時の社長に直訴しました。
それを聞いた当時の社長は、支店長候補にその場で断りの電話を入れて下さり、
私が支店長を務めることになりました。これが大きな転機でした。

支店長に立候補したからには
結果を出さなければならないと思い、死に物狂いで仕事をしました。
その結果、就任1年目で、金沢支店が本社の売上を上回ることができました。
その実績から、常務・専務・社長へと進めたのではないかと思っています。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事は
どのような事でしたか?

過去に、「急成長格安一戸建て業者は欠陥住宅だらけ」という内容で
秀光ビルドが晒され、ネットで拡散されてしまいました。
記事では秀光ビルドのすべての住まいに欠陥があるように書かれましたが、
もちろんそんな事実はありません。
しかし、一部の住宅でそのような事態があったことは、重く受け止めました。

再発防止として、記事が世に出た10日後には、
第三者機関が700以上の項目を検査し報告する仕組みを整えました。
そしてお客様が自由にアクセスできる環境に、レポートをアップしています。

この出来事から、
住まいは安心安全が絶対条件であり、
欠陥は絶対に許してはいけないということを、肝に銘じています。

株式会社秀光ビルドの強みについて教えてください。

明瞭な会計で、安心安全な住まいをご提供していることです。
この部分は、特にこだわり抜いています。

私がこの業界に初めて入ったとき、価格が不明瞭なことに疑問を感じました。
我々が建てる家は「ローコスト住宅」と呼ばれていますが、
「安かろう悪かろう」では意味がありません。
我々は、余計な時間を省くことで、コストを抑えています。
品質に一切の手抜きはありません。

商品設計に対し、
この予算ならキッチンはこのグレード、
この条件ならいくら、というように、
クラウドサービスなどを活用しながら、徹底的に統一しています。
お客様のご要望を受けて、その場でお客様が納得できるお見積りをお出しできます。

その結果、お見積りを作成する期間を短縮でき、
工期短縮・コスト削減に繋がります。
お客さまにも低価格という形でお返しすることが可能になります。

会社を経営する上で、本間様が特に心がけている事などありましたら
教えてください。

住宅業界は成長業界とは言えません。
ピーク時は年間140万戸の住宅が建てられていたのに対して、
今では年間90万戸、将来的には40万戸にまで減るといわれています。

しかし、業界が縮小しているからと言って、将来性が無いとは思っていません。

その解決策のひとつとして、
「お客様に生涯顧客になっていただく」ということが挙げられます。
家を建てていただいて終わりではなく、
リフォームや建て替えもサポートし、
ゆくゆくは、その方のお子様やご親戚の家も秀光ビルドで建てていただく。
そのような流れを作っていくことができれば、と考えています。

今後のビジョンについて教えてください。

品質保証を徹底した「高品質低価格住宅」を主軸とした業務をさらに拡大しつつ、
WEBを使った「業務の見える化」を推進していきます。

今後は関東や九州にも進出予定です。ゆくゆくは、上場を目指しています。

《 株式会社秀光ビルド 代表取締役社長 本間航也 》

株式会社ディール 代表取締役社長 小野瀬冬海

$
0
0

代表取締役社長 小野瀬冬海

代表取締役社長 小野瀬冬海

設立 2017/8/2
事業内容
    • 広告事業
    • メディア事業
    • 芸能事業
    • 美容・健康事業
会社HP https://deel.co.jp/

将来の夢はサラリーマンだった

起業を本気で考え始めたのは、大学4年の21歳の時で、
それまでは、夢もやりたいことも全くありませんでした。
とりあえず生活できればそれでいい。上昇志向なんてまったくない。
将来は安定した職に就きたい。そう思っていました。

私は、小学3年生から、高校3年生までは、バスケットボールに明け暮れる日々を送っていて、
土日も部活で、もちろん平日も朝練、放課後も部活、休み時間は体力温存のためにひたすら寝る。
毎日部活漬けの日々でした。
当然、友達とは全く遊べず、お洒落もできず、学生時代の青春を
すべてバスケットボールに捧げたといっても過言ではありません。
だから、高校3年生まで、将来について考えたことすらありませんでした。

いつも頭の中はバスケットボールのことでいっぱい。完全にバスケ馬鹿ですね(笑)
高校3年の時に、部活を引退して、その時ようやく将来について考えてみたものの、
高校が進学校だったというのもあり、まわりの友達もみんな当たり前のように大学進学を希望していて、
学校の先生からも大学進学を強く押されていたので、何も考えずに私も大学に進学しました。

自分の意志なんて一切なかったと思います。周りに流されるように進学した感じです。
当時の私は、自分の人生について深く考えたりするような人間ではなかったんですね。
今でも覚えているのが、学校の授業で、将来の夢を発表する授業があったのですが、
夢なんて当然なくて、とりあえず生活できればそれでいいと思っていたので、
「将来はサラリーマンになりたい」と言ったら、「もっとちゃんと考えなさい!」と言われました(笑)

周りの友達が、夢をちゃんと発表できていたのが、私にとっては本当に不思議で仕方ありませんでした。
「なんで夢なんてあるんだよ!」って少し焦ってたぐらいです。

私の人生を大きく変えた言葉

これまで無我夢中になって、バスケットボールを10年間も続けていたからでしょうか。
大学生活は退屈で仕方ありませんでした。
サークルにも馴染めず、バイトも入っては辞め、を繰り返していました。
「バスケをやっていた時は、たった一度でもいいからバスケから開放されたい。
部活を休んでみたい。」そう思っていたはずなのに、
気づけば、「バスケをやっていた時のように、本気で何か1つのことに夢中になりたい」
そう思うようになっていました。

人間って、忙しいときは休みがほしいとおもったりするものですが、いざ暇になると、
じっとしていられなくなるんだなと気付きました。それに気付いたのが、大学1年生の冬頃ですね。
大学1年の冬から、数百〜数千人規模の音楽&ファッションイベントを
主催していた学生団体に加入しました。

気づけば私はイベントで収益を出すことの面白さに夢中になっていました。
学生生活が楽しくなってきたのはその頃からですね。
イベントを通して、人を熱狂させたり、楽しませたりすることの面白さを肌で体感しました。
また、その時に、イベントに来てくれたお客様の多くが
「このイベントで、人生変わりました。」と言ってくれたことがあったんです。

更に出演したアーティストやモデルも
「このイベントをきっかけに、本気にアーティストを目指す決心を決めました」と言ってくれたんです。
もう涙が出そうになるぐらい感動して、その時、私は「これだ」と電撃が走りました。

無気力だった私が、人生で初めて本気でやりたいと思えることを見つけたんです。
将来は、「誰かの人生を変えるような、そんな仕事をしたい。」そう思いました。

祖母の他界

「人の人生を変えるような仕事がしたい」という夢は見つかりました。
でも、どうやって人の人生を変えよう? それはまだ決まっていませんでした。
夢は見つかっても、やり方もわからなければ起業家志向や、
上昇志向も全くない学生だったので、とりあえず安定した大手企業を中心に就職活動をスタートさせました。

大手企業から何社か内定を頂いたその矢先、祖母が交通事故で他界しました。
「あんなに元気だった祖母が、まだ生きられたかもしれない命が、人生何が起こるかわからない。」
私だって、いつ死ぬかわからない。もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。
「人はいつか必ず死ぬのだ」といいうことを、祖母の突然の死を目の当たりにして、痛感することになりました。

そこで私は初めて「人生」について、深く考えるようになりました。
「今、もし死んだら、後悔しないか?自分はこれまで21年間も生きてきて、
この世にいったい何を残した?何か成し遂げたのか?自分はいったいなんのために生まれてきた?」

「たった一度きりの人生、人生を懸けて、何か大きなことを成し遂げたい。」そう思うようになりました。
起業のきっかけといったら、おそらくこのタイミングだったのではないかと思います。

上場直前々期のITベンチャーに入社

私は、決まっていた会社の内定をすべて蹴って、上場前のベンチャーに就職することを決めました。
でも、もう大学4年の6月です。
ほとんどの学生が内定が決まっていて、就職活動を終了していました。
あの時に心境は、思い切って内定を辞退したものの、内心すごく怖かったです(笑)

一社だけすごく気にある会社が見つかりました。その会社はまだ創業数年の会社で、
社員数は当時まだ十数人の小さな会社でした。でも、そこでインターンをして、直感で、
「この会社に入社すれば間違いない」と思ったんです。
本当にその会社は、2年後に上場して、今では有名な会社になりました。
そういう意味では私は本当に環境に恵まれていましたし、運が良かったんだなと思います。

その新卒で入社した会社で営業を経験した後は、エンタメのスキルをつけるために、
数千人規模のメガベンチャーに転職しました。
そこでは、芸能事務所への営業や番組の企画・製作などを経験しました。
急成長の会社を中から社員として経験することができたのは、私にとって大きな財産となります。

その頃、起業する仲間を見つけて、24歳の時に起業することを決意しました。

人生が変わるほどのエンターテインメントを

株式会社ディールを設立。
原宿のマンションの一室で、たった二人で2017年8月に起業をスタートさせました。
最初はビジネスモデルもなければ、お金もありませんでした。

ただ、理念とビジョンだけはありました。それだけは、
一番大事にしていて、一番最初に決めました。
なんのために起業をするのか?なんのための会社なのか?を。
「誰かの人生を変える仕事をしたい」
社員にも「この会社に入って人生変わった。」と言って貰えるような会社を創りたい。

ディールは「エンターテインメントで人の人生を変えたい」そう思いました。
その想いを会社の理念とビジョンに込めて、スタートしました。

事業は、芸能人やインフルエンサーのキャスティング事業からスタートさせました。
クライアントは主に化粧品会社や健康食品会社に特化して展開していきました。
事業は順調に成長していき、事業開始1年で取引実績は100件を突破して、
たった1年で本社も移転することができました。
事業モデルはたしかに大事だと思います。

でも、どんなに儲かりそうな事業や流行っている事業でも、
そこに”情熱”がなければ、絶対に長くは続かないと私は思います。
何より、同じ事業をやっていても、情熱がある会社には勝てません。
そこに想いはあるか?理念に沿っているのか?ディールはそれをとても大事にしています。

クライアント先を美容系の会社にしているのも、
弊社の社員が皆「美容」が大好きという共通点があったからです。
この好きという情熱を強みにしたい、活かしたいと思ったからです。
株式会社ディールは、最初は実績も何もない会社でした。
でも理念とビジョンだけは、あった。だからここまで成長できたのだと思いますし、
今も進む道を迷わずに全社員が理念とビジョンにに向かって、
一丸となって突き進むことができています。

ベンチャー志向採用

ディールでは、スキルより、”ベンチャーマインド重視”の採用を行っております。
ディールは設立2年目のベンチャーです。
なので、入社したら、圧倒的「裁量」と「成長」をお約束致します。
その環境を活かして、自ら仕事をどんどん任せてほしい!裁量をどんどん広げたい!
どんどん成長したい!そう思える人でなければ向かない会社です。

逆に、責任は持ちたくない、仕事はしたくない、成長意欲もない。。
そういう方は、ディールには合いません。
「ディールを世界一のエンタメ企業にするため」
「上場させるため」そして自己成長のために、結果にコミットできる方を求めています。

新人であろうと、手を上げたものにはどんどんチャンスを与えます。
本気で「世界一のエンターテインメント企業」を創るという
”覚悟”と”情熱”がある人に是非来て頂きたいです。

今はまだ小さな会社は今後、今後何百人、何千人と急拡大していく過程を、中から体験できます。
それはきっと、あなたにとって最高の経験になるはずです。
たくさんの方のご応募お待ちしております。

《 株式会社ディール 代表取締役社長 小野瀬冬海 》

髙光産業株式会社 代表取締役社長 妹尾八郎

$
0
0

代表取締役社長 妹尾八郎

代表取締役社長 妹尾八郎

設立 1954年9月28日(創業昭和10年)
事業内容
    • 【物流事業】自動車運送事業/自動車運送取扱事業/荷造梱包業/倉庫業/物的流通に関するコンサルティング業務/土地・建物の賃貸業
    • 【インターネット事業】ネット通販事業/ネットコミュニティ事業/インターネットマーケティング/WEBサイト企画・制作・運営・コンサルティング/各種アプリケーション・システム開発/レンタルサーバー事業/各種ネットワーク構築
会社HP https://www.takamitsu.com/

高光産業株式会社の成り立ちはどのようでしたか?

昭和10年代の先代社長の頃は、博多駅前に土地を複数持っており、
菜種油などを作っておりました。

駅前の好立地だったこともあり、土地、建屋を物流会社さんから
貸して欲しいというお話しをいただき、協力することに。
その時、お客様には非常に喜んでいただいたようです。

また、県内にも数カ所土地を持っていたことから、倉庫業がはじまり、
倉庫業を起点に物流業、運送事業へと繋がっていくことになったのが
高光産業の創業時です。

会社を経営していく中で力を入れていることはどのような事でしょうか?

高光産業では既存業界の枠に捕らわれない事業を展開しております。

その強みを発信し、支えていくのは、社員一人一人の力も非常に重要になってきます。
そのため社員教育、人材育成には力を入れております。

高光産業の強みについて教えてください。

一般的な物流業、倉庫業の会社では無く、
二つの主業務を生かすためのIT事業と特許を絡めて、
お客様により良いご提案をできるのが弊社の強みです。

会社を経営する上で、
妹尾八郎社長が特に心がけている事を教えてください。

『その人のために!』ということでしょうか。
見返りを求めず、お客様のために!ということを心掛けております。

今後のビジョン・目標を教えてください。

「高光産業で取得した発明、特許を如何に世の中に広め、役立たせていくか!」、
「如何に、世の中の役に立つ会社になるか!」
ということを目標にしております。

それを広めるのが弊社の役目だと思っております。

《 髙光産業株式会社 代表取締役社長 妹尾八郎 》

株式会社President 代表取締役社長 坂本新

$
0
0

代表取締役社長 坂本新

代表取締役社長 坂本新

設立 2016/9/24
事業内容
    • SBA(人材コンサルティング)
    • スクール業
会社HP http://www.president0923.jp/L

どのようなきっかけで株式会社Presidentを起ち上げたのでしょうか?

きっかけは2つあります。

1つは前にやっていた仕事で、トップクラスの売り上げを作っていたにも関わらず、
自分の理想とは程遠い現状を痛感したということ。

そしてもう1つは、自分の部下がどんどん疲弊して辞めていき、
会社も下火になってきたため、何とか脱出して救わねばと思ったからです。

また、株式会社Presidentを設立する時に、
自分の中で決めたこの会社の3つミッションがあります。

①仲間を勝たせ、夢を実現させる

②その延長線上で大きなグループ会社を作り、上場、海外展開、
そして摩天楼まで上り詰めるような会社にする。

③自分の夢を叶える

当然やったことのない事へ挑戦だったので、
そこからもたくさんの試練が待ち受けていましたが、多くの方に支えられ、
自分なりにやってくることが出来ました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

自分が仲間や部下をうまく育てることができず、
1年くらいほとんど自分一人で売り上げを作って、会社を存続させてきたことです。

あの時は本当に大変でしたね。そこで改めてマネジメントの大切さを学びました。

しかし、これは挑戦したからこそ体験できたことだと思っております。
私はこのような経験、「失敗」を恐れずに今までも進んできました。

人生に失敗は付き物です。もし何も失敗したことがない方がいたのであれば、
おそらくその人は何にも挑戦せず、ただぼーっと生きているだけなのではないでしょうか。
そんな人生、果たして面白いのでしょうか。私はそのような道は選びません。

逆に挑戦をすると必ず「失敗」もします。
しかし、どんな小さな「成功」も、必ず「失敗」からしか生まれない。
私はそう考えています。

何か物事を成し遂げるためにはそれを達成するまで失敗し続けなければなりません。
しかし失敗を繰り返し試行錯誤を繰り返すことによってそれが成功体験に変わっていきます。

失敗とは上手くいかない方法を見つけただけのことであり、
逆に言えば上手くいく方法を見つける唯一の手段である。
つまり“失敗すれば上手くいく方法を見つけることができる。”
そう考えています。

株式会社Presidentの強みについて教えてください。

弊社では、お客様一人一人の夢や理想にあわせた教育(SBA)や
サービスの提供を行っております。

現在も年中無休で企業理念である
「あなたの人生をオーダーメイド」の実現に取り組んでおります。

※「あなたの人生をオーダーメイド」とは?
ゆとり教育世代と言われた若い世代を中心に、
少子高齢化や多額の借金など様々な問題を抱える日本を盛り上げられるような
一流の人材を育てていくことを目標にしている株式会社Presidentの企業理念。

あなたの可能性を引き出し、最大化するという使命の元、
これからの未来に必要な人材を育成するという想いが込められている。

坂本新氏が会社を経営するうえで、
特に心がけている事などありましたら教えてください。

とにかく仲間やお客様と仲の良い組織を作ることを意識しています。

そして「好きこそ物の上手なれ」という言葉の通り、
仕事を好きになってもらうことを意識しています。

ご自身の理想のリーダー像を教えてください。

私にとって理想のリーダー像は、
「夢を与えられる人であり、その夢を叶えてあげられる人」です。

公式ホームページにもありますが、株式会社Presidentは
「~あなたの人生をオーダーメイド~」という企業理念のもと、
お客様の夢の実現、1人1人に合わせたサービスの提供を目指しています。

今の日本は夢をもたない若者が多いと聞きます。
少しでも多くの方々の夢を叶えていけるようにしていきたいですね。

今後のビジョンについて教えてください。

株式会社Presidentでの選択の幅を広げるために新事業の展開、雇用の創出、
その後にSBA会員さんに事業投資などを始めていく予定です。

《 株式会社President 代表取締役社長 坂本新 》

株式会社田中工業 代表取締役 田中亮圭

$
0
0

代表取締役 田中亮圭

代表取締役 田中亮圭

設立 1969年
事業内容
    • 総合建設業
    • 公共土木事業
    • 民間建築事業
会社HP http://www.tanaka-kougyo.com/

どのようなきっかけで株式会社田中工業を起ち上げたのでしょうか?

「田中工業」は、埼玉県比企郡に本社を置き、
土木事業・建築事業・不動産事業・自然エネルギー事業を事業領域としている総合建設業です。
私自身は、先代が創業し育ててきた会社を引き継ぐ形で現在に至っております。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

経営者として未熟な部分もあるため、経営資源の配分については、常に苦労をします。

1人ひとり考え方の違う集合体が組織となり、
目標に向かって進む中でどのように考え方を集約していくのか。
設備から始め、備品の充実。大型案件になれば繋ぎ資金が必要な場合もあります。
それらを踏まえて、事業を軌道に乗せるための判断を素早く求められます。

田中工業の強みについて教えてください。

創業以来、一貫してきた公共土木事業に加えて、民間建築事業を本業としています。
地元に根付いて半世紀をこの地域に育てて頂き、
地元の不動産情報等いち早く取り入れられるようになりました。

不動産事業を開始し、土木・建築を不動産に付加価値として提供出来るまでになりました。

また時代の変化に合わせ、自然エネルギーを事業領域に導入して、
これからの産業に力を入れながら環境の適応をしている点が田中工業の強みとなります。

会社を経営する上で、
田中亮圭様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

特に意識していることは、経営者自身が日々仕事を楽しむこと、笑顔でいることです。

経営者が仕事を生き生きとしていないと、従業員も楽しく仕事をできませんし、
コミュニケーションも進みません。
悩み事をしていると、「難しい顔をしていますよ」と注意を受ける事もあるので、
気を付けているつもりです。

また、経営者になると注意を受ける事が減るので、
自分を律せる意思を持てるように気を付けています。
その上で従業員の皆さんが安心して未来を持ち勤められるように、
夢のある事業展開を志していきたいと思います。

今後のビジョンについて教えてください。

田中工業では『社会を明るくいきいきとさせる』ということををミッションに掲げています。

施工には、それぞれの企業のストーリーや背景と携わる事ができます。
事務所や店舗、倉庫といった建設物を創り、将来的にこんな事業を通じ社会に貢献したい。
施主様や経営者様の事業拡大への意気込みや、熱い気持ちを伺う事ができます。

また、公共性の高い社会資本を建設する事で建設という貴重な役割を日々実感しております。
そんな気持ちを現場に乗せて、安全・品質・環境に配慮した施工をより高品質で、
安全に実施する事を全社で取り組んでおります。
そして、これからの将来を担う若い世代の人に建設業の魅力を発信できたらと思います。

《 株式会社田中工業 代表取締役 田中亮圭 》


OMM法律事務所 代表弁護士 大塚和成

$
0
0

代表弁護士 大塚和成

代表弁護士 大塚和成

設立 2018年2月
事業内容
    • 裁判、紛争(会社訴訟・非訟を中心とした企業活動に関わる事件)
    • 経営支配権争いに関わる事件(内紛、敵対的企業買収、委任状争奪戦、社長解任)
    • 企業不祥事対応
    • 会社法、金融商品取引法、民商法を中心とした企業活動に関わる法律問題の助言
会社HP https://omm-law.com/

どのようなきっかけで弁護士を目指したのでしょうか。

私が弁護士を目指したきっかけは、学生時代に、政治に興味を持ったことです。
政治家が国家国民のために行動しようとするとき、
法治国家である以上、そこには必然的に法律が関わります。
そのため、まずは法律の勉強をしようと思い、法学部に入りました。
大学での学びの中で、法律には社会の複雑に絡み合った利害関係を、
調節するための知恵が詰まっていることに気づきました。
法律は一般性があり、また基本法であればあるほど時代に耐えうるように、象徴的な文言です。
そこから個別事案の解決を念頭に、あるべき規範を発見する作業は、
私にとって知的好奇心をくすぐられるものでした。

そして司法試験合格後、司法修習を経て、若手弁護士として執務を行い始めました。
抽象論でない生の事実から感じる利害対決や、当事者の感情に接していく中で
まずは目の前の依頼者のために、自らも悩み苦しみながら全力を尽くし案件解決を図ること、
それにより依頼者から感謝されることに、使命感や歓びを感じるようになりました。

そして、益々、弁護士という職業にのめり込んでいきました。

OMM法律事務所の強みについて教えてください。

弊所の一番の強み、それは「消して諦めずに最後までやり切る姿勢」です。
私はこれまで多くの困難な案件を解決に導いてきました。
クライアントが諦めかけていても、諦めずに考え抜いて一縷の道筋を見つけ、まずは迅速に行動する。
局面打開のための方策を打ち続け、局面が好転しても、決して油断しない。
最後まで最善の方策を打ち続けています。

また「技術の裏付けを追求する姿勢」も、重要だと考えています。
弁護士の基本、それは細部まで綿密に考え抜かれた起案と、
それを可能にするための徹底した判例・文献調査、証拠の収集・読み込みです。
弊所では、若手任せにはせず、
自らが案件の詳細を把握し、自らが手を動かし、調査し、方針決定に参加いたします。
若手も同様、最後まで責任持って調査し、考え抜くこと、
チームで徹底した合議を行う場では積極的な発言を求められます。
弊所一丸となり、クライアントにとって最善の利益を実現するため、最後まで駆け抜けていきます。

私が駆け出しの頃、尊敬する先輩から、「負けてもクライアントに感謝される弁護士になりなさい」と
指導されたことがあります。
執念を持ち、打てる手は全て打ち尽くしても、ときには負けることもある。
それでも、クライアントは見ていてくれる。
逆説的ですが、とても深い言葉だと、今でも覚えています。

弊所の強み、それは各メンバーが「技術に裏付けられた諦めない姿勢を持つ」こと、
それにより常に「依頼者の最善の利益を追求する“Client First”を実現できる」ことだと考えています。

これまで解決してきた事例・ケースについて教えてください。

弊所は2018年2月22日に開設しました。
歴史は浅いですが、既に2件の上場会社のプロキーシーファイト(委任状争奪戦)を
提案株主側で成功させています。
株主の力で上場企業の社長が解任されてしまうという事例は稀有なものとし、報道され話題になりました。

もともと私は、この種の案件を専門分野とし
古い案件では2005年のものから、数多くの案件を攻守両側で担当してきました。

・ライブドアによるニッポン放送に対する敵対的買収事件
・日本技術開発 対 夢真ホールディングス事件
・テン・アローズ(現シャルレ)の三屋裕子社長不再任事件
・日本で初めて外資による敵対的企業買収が成功した事例とされる日本精密事件
・グッドウィル・グループ委任状争奪戦
・日本ハウズイングvs原弘産事件
・アップルインターナショナルにおける経営支配権争い
・サンコーにおける経営支配権争い
・学研ホールディングスvsエフィッシモの案件
・西武鉄道vsサーベラスの案件

また、他の法律事務所で解決が困難であった案件が持ち込まれ、
会社法分野を中心にメディアや判例誌に取り上げられるような訴訟・非訟や、
和泉元彌さん退会命令の有効性が争われた裁判を能楽協会の側で担当したこともありました。

事務所を運営していて、大切にしていることを教えてください。

運営していく中で大切にしていることは、最高の仲間とチームで、楽しく仕事をすることです。
「技術に裏付けられた諦めない姿勢」と「常に依頼者の最善の利益を実現する“Client First”」、
事務所の理念と姿勢を持つ仲間とともに、プロとして最高の仕事を行っていくこと。
クライアントからは依頼して良かったと感謝を述べられ、さらに経済的利益が付き、歓びを分かち合える、
そんなプロ集団の事務所を作りたいと、日々頑張っています。

必ずまとまっていなければいけない、というわけではなく、いわば個性派集団でよいと思っています。
しかし、ひとたび案件となれば「勝つ」という一つの目的下に結集できる。
そんな「真に強い」戦闘集団として、今後エッジの特色のある事務所になるだろうと確信しています。

若手の弁護士には、私の経験を全て授け、大きな案件の主任として責任を持ち行ってもらいたいと思っています。
ベテランの弁護士は、ノウハウもクライアントも惜しみなく若手に分け与えるもの。
その結果、若手が成長し、クライアントも引き継ぐことになる。
それが私の歓びです。
弊所という場で、技術を磨き、経験を積んだ若手がやがて理念を共有した真の仲間になる。
そんな最高のチームを作ること、それが事務所を運営していくモチベーションになっています。

今後のビジョンについて教えてください。

今後は、“Client First”という理念を共有した「プロの職人」で構成された、
少数精鋭の存在感のある事務所を作りたいと思っています。
大人数がいなければ処理できない案件は扱いません。
デューデリジェンスや定期的な案件の大量処理も、
他の事務所にお任せしたいと思っていますので、規模は求めていません。

そして経営支配権争いを中心とした係争や
会社法訴訟・非訟を中心とした裁判や仲裁案件に強い事務所を作りたいと思っています。
係争案件は、迅速な対応を可能にするために最低限のマンパワーは必要ですが
結局のところは、案件の処理方針をどのように立てるか、
そのために徹底した判例・文献調査、証拠の収集・読込みをすることができるプロ意識と、
責任感の強い弁護士が3名ほどいれば、どのような大型案件でも適切に処理できます。
1案件にそれ以上の弁護士が関与しても、かえって良い結果は生まれません。

弊所では、年次がどんなに上になったベテランでも
自ら案件の詳細を把握し、手を動かし調査した上で、方針決定に参加します。
取り扱う案件の処理に関しては、エッジが聞いていて大きい成果を出しているため、
外部からは大人数の事務所だと錯覚させてしまうほど。
そんな弁護士業務が「好き」な、少数精鋭のプロ集団に今後もしていきたいと考えています。

《 OMM法律事務所 代表弁護士 大塚和成 》

レジェンダリーホーム・スウィート株式会社 代表 加藤伯欧

$
0
0

代表 加藤伯欧

代表 加藤伯欧

設立 1993年1月
事業内容
    • 輸入住宅設計、施工
    • 輸入建材販売
    • 開発、コンサルティング事業
    • 不動産事業
会社HP http://legendary-home.com/

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

当社は「ゆっくりとアンティークになる家をつくる・・・。」というコンセプトを掲げ、
時間が経っても「価値」の減らない住宅つくることで
日本の住宅メーカーやパワービルダーとは一線を画した住宅を
「レジェンダリーホーム」として全国で建築いたしています。

田中工業の強みについて教えてください。

大学在学中にログハウス建築に携わったことをきっかけにして、
どこにも就職しないでそのまま起業しました。
レコードやアンティーク収集、クラシックカーやアートやカルチャー研究などの自身の趣味を生かし、
ログハウスだけでなく徐々にアメリカやヨーロッパの建築に傾倒していきました。
欧米の築100年以上経った家がいまだに美しく、
住宅としての価格も上がり続けている現状をヒントに
「ゆっくりとアンティークになる家」を発表しました。欧米の時代や流行に左右されない美しいデザイン、
時間とともに味わいを深め美しさを増していく素材を大切にして既に20年以上事業を継続しています。

加藤社長が念頭においている経営理念はありますか?

自社のサービスが人々の幸せにつながるのか?
つまり事業の公共性があるのかどうか?が重要だと考えています。
当社でいえば「ゆっくりとアンティークになる家」が世代交代の時に建て替えられることなく、
親から子、そして孫へと受け継がれていく「資産」となれば余計な住宅ローンを背負うこともないし、
将来的にもし「売却」という選択になったとき、高い価値を持っていれば大きな売却益をもたらしております。
そういった観点で住宅を選ぶようになれば、
大量生産、大量消費されている住宅業界が変わるし、住宅のオーナーの生活も豊かになる。
自社にとって、社会や業界にとって、そしてエンドユーザーにとっても
本当の意味でのWIN&WINの事業経営が出来るかがもっとも重要なことと考えています。

現在、特に注力している事業は?

住宅のみならず、複合商業施設や街づくりに参画しています。
「ゆっくりとアンティークになる家」を不動産としての「箱」ととらえ、永続的に利益を上げる、
決して使い捨てではない不動産を商業施設や街づくりに生かしています。

加藤社長より、就活中の学生や社会人として働く若者へ向けたメッセージをお願いします。

一般的に就職活動するにあたり、面接にはリクルートスーツを着て・・・という世の中の風潮があります。
大企業では周りの皆さんと同じことがきちんとできるか?は組織運営に置いて重要な部分でもあります。
しかしこれからの日本を引っ張っていくクリエイティブでイノベーティブな企業では、
むしろ常に「なぜ?」という疑問を持てて、自分の「脳」で考え行動できる人が必要です。
つまり面接にリクルートスーツを着てくるよりもむしろ自分の考えで面接の服装を選ぶといったこともアリだと思います。
社会に出たら自分の責任で自分の考えを持ち、自ら行動できる人が結果的に生き残れます。

《 レジェンダリーホーム・スウィート株式会社 代表 加藤伯欧 》

セイルインターナショナル株式会社 代表取締役 坂口時彦

$
0
0

代表取締役 坂口時彦

代表取締役 坂口時彦

設立 1996年11月5日
事業内容
    • 自動車、オートバイ、部分品の輸入、輸出及び販売業
    • 医療機器、美容機器、健康機器などの輸入(代行含む)、輸出(代行含む及び販売、賃貸、保守業)
    • 広告、販売促進に関する企画、立案、製作及び市場調査
    • 経営コンサルタント業
    • 上記各号に附帯関連する一切の業務
      ・高度管理医療機器等販売業・賃貸業許可取得(許可番号:第N05286号)
      ・医療機器修理業許可番号:27BS200280
会社HP http://www.sail-inter.co.jp/

セイルインターナショナル株式会社を起ち上げたきっかけを教えてください

始まりは9年勤めた会社をやめ、“自分の可能性を試してみたい”と転職したことでした。

勤めていたのは大手の旅行会社でしたが、長く働くにつれ疑問を抱くようになり、
“このままこの会社にいては安定は求められるが、冒険はできない。
もっと自分の可能性を試してみたい”と思うようになり、
当時誘いを受けていた親戚の会社に転職しました。

そこでホテル事業を立ち上げ、代表を3年8ヶ月程務めました。
ゼロからスタートの事業でしたが、
資金調達から従業員採用まですべてを自分が実務と責任者を兼務しました。
初めてのことばかりで非常に苦労はしましたが、貴重な体験で将来への自信となりました。

その後、ホテル事業が軌道に乗ったことを機に、今度は本当の自分の力で何かをしたいと思い、
特にあてがあったわけでもありませんが、お世話になった会社を退職しました。

ちょうどその頃、友人からBMWをドイツから輸入したいが、
現地の状況がわからないので、同行してくれないかという誘いに、
「旅費を出してくれるのなら大丈夫だよ」と軽い気持ちで答えたのがきっかけで、
初めて西ドイツのフランクフルトの地を訪れました。
1985年9月、これが私のターニングポイントとなりました。
まさかこのことがきっかけで自分が輸入車の事業をするとは夢にも思いませんでした。

しかしながら、その後想定以上に原価が高くつくことが分かると、
友人はあっけなくさじを投げてしまいました。
これもまた、まさかの展開でしたが、そのさじを私が拾ったことがきっかけとなり、
その後セイルインターナショナル株式会社の最初の事業である輸入者事業がスタートすることになったのです。

会社を経営していて、一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

国内外を問わず、何社も会社を立ち上げ、おもしろいと感じた会社には直接投資も無数に行ってきました。
そのため大変なことは大小合わせて無数にあり、他と比べても波乱万丈な経営者人生である思います。

その中でも特に大変だったと思うことは、
リーマンショックの煽りを受けて、韓国の輸入車市場がわずか半年で崩壊する事態となった時です。

当時当社では、メルセデスベンツ、BMW等の仕入れを行っていたドイツ老舗ディーラー、
アメリカ・ディーラー、販売先の韓国輸入者商社との4社で提携を結んでおりました。
ところが、その4社によるスキームがリーマンショックの影響で機能しなくなり、
韓国商社からの決済資金が突如止まってしまいました。
とはいえ、ドイツ、アメリカのそれぞれのディーラーへは支払いをしなければならず、
この時ばかりは窮地に追い込まれました。
 
実はこの前年まで韓国市場は好調で、その中でも取引先の韓国商社は50億もの売上を達成しておりました。
当社としてもそれを好機と捉え、韓国商社への融資として
運転資金の10億円(当時の日本の為替に換算すると5億円)を社債、銀行借り入れにて調達をしていました。
 
このような状況下の中で、このほんのわずか数ヶ月後に
ウォンの価値が半分まで下がるとは一体誰が想像したでしょう。
その後も苦しい状況は続き、
100台以上のメルセデスベンツ、BMW 等の車両を売りさばくのに1年以上を要しました。
また、融資した資金のうちの2億円は回収不能となり、当社としての痛手は非常に大きなものでありました。
 
しかしながら、その後の奮闘により、社債の償還、銀行返済は一度も滞らず、
取引先にも一切迷惑をかけることなく、この窮地を乗り越えることができました。
これもひとえに、数々の難問に社員一人ひとりが知恵を出し合い、
一丸となって戦った努力の賜物であったと確信しています。
 
今でも当時のことを思い出し、笑い話としていますが、
笑い話として話せるくらい、よき教訓として捉えることが出来るようになったのだと安堵しております。

坂口時彦様、そしてセイルインターナショナルの強みを教えてください

私自身18歳から30歳までをサラリーマンとして過ごしましたが、6年目くらいに大きな転機がありました。
ちょうど結婚した時期と重なるので、将来のことを真剣に考えるようになったのかもしれません。

そのころ私は東南アジアからハワイ担当へと仕事の内容が大きく変わり、
当時ハワイ旅行取扱いナンバーワンの地位を誇っていた
西日本地区団体部門の手配業務を任されることになりました。

引継ぎのときに前任から航空会社の予約担当者らの紹介を受け、
いかに予約担当者との対応が重要かを聞かされました。
当時、大阪国際空港(伊丹空港)からホノルル便を就航していたのは3社だけで、
お客様の希望する席を確保したい我々旅行業界の担当者から見れば、
航空会社の予約担当者は神様のような存在であり、
前任担当者からも凄い人たちだから気を使って対応するようにと釘を刺されたことを記憶しています。

しかし、私は従来の担当者や他の同業者が折衝するやり方とは別の方法で、
これら航空会社担当者から希望するピークの席を確保することに成功しました。

どうやって成功したかを簡単にお話しすると、
航空会社が望んでいること、頭を抱えている問題などを大小かかわりなく聞き出し、
その中から自分の裁量範囲で出来ることを選別しました。
そして、彼らにとって有益度の優先順位を決め、タイミングよく協力することで、
こちらの希望する席を確保することに成功しました。

この時に成功の引き金になったのは、
「飛行ルートの航空機選定がどのように決められているか」と質問したことでした。
普通聞いても教えてくれないだろうと勝手に思い込みしてしまう中に問題解決の糸口があり、
視点を変えてみることで、有効な手段を見つけ出すことができるのです。
一つの質問次第で、目的達成の可能性が広がることを悟りました。

この本質を見極めるための質問力、そして対応力が私、坂口時彦の強みでもあり、
言い換えるとセイルインターナショナル株式会社の強みでもあると考えています。

会社を経営する上で、特に心がけていることを教えてください

「三方良し」の精神と「一石三鳥」のアイデアです。
自分と取引先と大衆、三方すべてから支持されないと事業は成功しても継続することはできません。

また、アイデアは非常に重要で、常に「一石三鳥」となるアイデア探す努力をしています。
そのときに重要なことは、目先の利益にとらわれないこと。
その事業の大儀は何かを常に考えることです。
常にやり方を多方面から検証して行動することを忘れなければ、
最終到達地点に多少のズレがあったとしても、必ず成果を出すことができると信じています。

また、私自身、誰もが群がって行うビジネススタイルには面白みと商機を感じません。
盲点とも言える新たなビジネスを創造し見出すことに、遣り甲斐と面白みを感じます。

面白いと感じると複雑な問題をも解明したいと思う欲望にかられ、
そのことがモノの本質を捉える能力を養うことにも繋がっていったと感じています。

論語の一説に、
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とあります。

ビジネスもゲームの様におもしろいと感じ始めると次へ挑戦したいという強い欲望が生まれてくるものです。
そうなってくると、どのようなビジネスであっても夢中になって挑戦している姿がそこにあり、
結果として目的地へと近づいていくと確信しています。

今後のビジョンについて教えてください

想像もできないほど、目まぐるしい勢いで社会が変わろうとしています。
しかし、社会がどう変化しても、日々考えて行動するスタイルは
普遍的なビジネスマンのあるべき姿だと思います。
常に考えて行動することを習慣とし、
仕事を通じて社員一人ひとりが自分の未来への可能性を探求するような人材と成ることが、
課題でもあり、私の理想とするビジョンです。

《 セイルインターナショナル株式会社 代表取締役 坂口時彦 》

合同会社EXP 代表 玉谷王介

$
0
0

代表 玉谷王介

代表 玉谷王介

logo
設立 2013年3月
事業内容
    • 総合輸出入貿易業務
    • 通信販売業
    • ウェブサイト、コンテンツ、その他インターネットを利用した各種サービス等の企画、制作、販売、配信、運営および管理
    • その他上記に関連する一切の業務
会社HP https://www.expllc.jp/

どのようなきっかけで起業したのですか?

明治学院大学文学部卒業と同時にプログラマになりました。
その後、インターネットの隆盛に伴い
「これからの時代はネットワーク技術だ!」
ということでネットワーク技術を学ぶため職を転々としました。

しかし家族から
「安定企業で正社員になってほしい」と言われたことをきっかけに
某ネットワーク系の大手企業に入社。
2年間働いても給料が予想外に低く、少しでも家計の助けになればということで
個人でもできる貿易業務で副業を始めました。

約半年で副業で本業の数倍稼げるようになり
貿易業務以外にも複数の収入の柱が出来たので思い切って独立。

今では当時の経験を活かして副収入に興味のある方や脱サラしたい人のための支援をしています。

海外で商品の販売をしたいメーカーさん向けのコンサルティング業務などを行なっております。

事業内容について教えてください。

現在行っている事業内容は
1.海外で商品を販売していきたいメーカー様のための
越境EC販売支援コンサルティング

⇒海外での商品の認知度アップや通関業務サポート
80%OFFの送料で国際物流会社を利用できるサービスなど
これから海外展開を考えられているメーカー様のためのコンサルティング業務を行なっております。

2.既に海外への商品の輸出、または海外からの商品の輸入をされている企業様、個人の方向けの送料カットのご提案
⇒前述の80%OFF送料で輸出入が可能です

3.副業で海外で商品を販売したい方の支援事業
⇒ノウハウ、英語サポート、ツール、
前述の80%OFF送料が適用される転送代行サービスなど
個人が副業で収益を得るために必要となるものは全揃えています。

厚生労働省でも「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日 働き方改革実現会議決定) を踏まえ、
副業・兼業の普及促進を図っていますよね。
まさにこれからの時代、必要なビジネスだと確信しています。

インターネットの進化やサービスの普及により、
いまや個人でも仕事ができる時代になっています。
今後、副業をおこなう人、フリーランスで働く人はどんどん増えていくでしょう。
とはいえ、具体的にどうやって仕事を見つければいいのか?
探し方が分からない方も多いと思います。
そんな方々の支援を自分自身の経験をもとに真剣に取り組んでいます。

玉手箱の実績やメリットはどのようなものがありますか?

【副業支援】
副収入支援としては
多くの方に毎月の収入を10~30万円程度アップさせてきており
人によっては副業でも月商2000万円オーバー、
月収ベースでは3~500万円程度の収益を出させています。

◆メリット
スキマ時間を有効利用することで
収益が上がり実践者が自由に使えるお金が増えます。

◆デメリット
自分で実践するビジネスなので
間違ったやりかたの場合はいくら時間を使っても
思うように収益が上がらない可能性があります。

【送料コストカット】
送料の部分では多くの企業様の送料カットに貢献してまいりました。

この事業にかける想いを教えてください。

【副業支援】
大手企業で正社員になったにもかかわらず
自分の給料が安かったことで
妊娠中だった妻ににいろいろと無理をさせる結果になってしまい
その結果、流産の憂き目に合わせてしまいました。

「あの時あと10万円の収入があれば
かなしい結果は生まれなかったのに!」

このことについては私は今でも悔やんでいます。

長く続く不景気な世の中では
同じように悔しい思いをされている方が多いと思っています。

少しでもそういった方々に笑顔になってもらうため
この事業を始めました。

【送料コストカット】の事業では
日本を元気にしていきたい。

そのためには個人の副収入ももちろんですが
企業様の収益をアップすることも非常に重要だと思っています。

少しでもコストカットに協力が出来れば
日本の経済も回っていくことになると思います。

総じて、海外との取引をすることによる
日本経済の活性化、
これをスローガンに掲げて日々努力しています。

《 合同会社EXP 代表 玉谷王介 》

株式会社ネットハウジング 代表取締役名誉会長 弓削佳央

$
0
0

代表取締役名誉会長 弓削佳央

代表取締役名誉会長 弓削佳央

設立 2001年
事業内容
    • アパート・マンション・駐車場の総合管理
    • 土地有効利用の企画・立案
    • 賃貸物件の入居者募集・仲介
    • 土地・建物の仲介
    • 少額短期保険代理業
    • アパート・マンションのリフォーム・清掃・巡回
    • 住宅のリフォーム
    • 分譲マンションの管理
    • 大規模修繕工事
    • 投資用不動産の再生・販売
    • 都民住宅指定法人(06-6-003)
会社HP https://net-housing.tokyo/

どのようなきっかけで株式会社ネットハウジングを起ち上げたのでしょうか?

独立ですね。
元々は賃貸の営業を12年くらいやっていたのですが、前の会社が事業を縮小してしまったんです。

▼以前はどのような会社にいらっしゃったのですか?
賃貸の仲介と管理をしている会社でした。
今の会社も同じように作り始めて、流れで売買ですとか賃貸経営を始めたんです。

▼会社を起ち上げるとなると、お金の面でも大変そうな感じがするのですが
実はこの仕事、あまりお金のかかる仕事ではないんですよ。
その代わり管理物件を取得していくのが本当に大変で、物件集めにはかなり苦戦しました。

また、一番の要が管理人さんのもっているアパートを一棟代理で集積させてもらうことなので、そこを増やしていくことにも力を注ぎましたね。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

会社設立当初は、今の業務とは関係ない仕事をしていました。
携帯を販売したり、他にもいくつかの事業をやりながら賃貸の仲介と管理の仕事をしてきたんです。

あとは売上が毎月安定しないので、外壁を受注したりですとか、保守業、リフォーム業で収益を確保したりもしていました。
ですので最初はオーナー様の元を駆け回っていました。

▼家賃回収のお仕事となると管理人さんが結構嫌がる仕事ですよね
そうなんです。
特に足立区は、家賃滞納者が多いこともあって、家賃滞納しているような物件じゃないと、家主さんも管理を任せてくれませんでした。

そうした滞納の問題や、入居者として少々問題がある人の対応して解決するからこそ、管理人さんも「今後もお願いしますよ」と言ってくれるのです。

そう考えれば、確かに色んな苦労はしてきていますね。

▼場合によっては、裁判沙汰、警察沙汰になることもあるらしいですね
この業界では少なからずありますが、当社では大きいトラブルというのは無いですね。
それに裁判沙汰にしたら当社ではまず対応できないので、そうなる前に上手く解決していっています。

足立区は滞納者が23区内で一番多いですし、そういった意味では問題が多い。だからこそ、当社に任せてくれるというところもありますけどね。

▼ちなみに家賃回収などで、これまで一番記憶に残っている出来事などはありますか?
夜逃げされたことがあって、その処理が結構大変でした。

例えば、夜逃げした住人に荷物を残されてしまって、勝手にその荷物を処分してしまったとします。戻ってきたその住人に“自分の資産を勝手に捨てるな”と言われたら、当社が裁判で負けてしまうのです。

そうならないために書類を取ったり、親族や保証人さんからそのお金の回収はいいからこの書面を送ってほしいとか、結構考えてやらないといけません。

万が一何か言われたら、賠償しなければいけませんから。

▼夜逃げした場合、資産を放棄したということにはならないんですね
ならないです。
文書をもらえればいいんですけどね。

株式会社ネットハウジングの強みについて教えてください

まず、当社は地元密着なので、“足立区に特化してやっている”ということ。
あとは賃貸の管理から始まって、売買や資産運用のアドバイスなどもやりますので、不動産に関する業務を総合的にやっているというところですね。

そういう意味では、ユーザーから求められることを総合的にできているといえます。あとはきめ細かいところで、アパートの掃除をしていたり、巡回したりもしますね。

▼足立区というと治安面も含めて大変な地区という印象がありますね
今は大分よくなりましたよ。
18、9年前は確かに色々と言われていましたが(笑)。

他の地域と比べて苦労が多そうなイメージがあるかと思いますが、自分自身他の地域を知りませんから、これが普通なんだと思っています。

ただ、人間味はありますよ。

他の都市部よりも人とのつながりが強くなる場所だと思いますし、当社の仕事もお金だけでぱっぱと終わる話でもありません。滞納者がいたとしても、滞納者の生活のために福祉申請をしてあげたり、手続きなどのアドバイスをしてあげることも結構あるんです。

まずは生活を安定させることが第一ですからね。

他にも、突然失業して、生活保護のシステムを知らなかったりすると、当社でやりかたが解るので「こういう風にやってください」と伝えます。そうすると軌道にのったりするので、そこからお金を回収できたりするんです。

会社を経営する上で、弓削佳央様が特に心がけている事などありましたら教えてください

まずは“数字”ですね。

収益が安定していることがまず第一。そして管理してお金を預かる仕事ですので、信用が一番大きいです。毎月家賃を全部入れると億単位預かって、それを払わずに信用が無くなったらビジネスが成り立たなくなってしまいますから。

あとは入居者や家主さんからも文句が出ないように、スピーディーにクレーム対応をしたり、そうした対応を積み重ねて評判が上がるよう努力をしています。

▼本当に信用の積み重ねと言えますね
そうなんですよ。

賃貸経営は1回で終わる話ではなく、継続していくものなんです。当社では一番長いお客様で、創業時から18年付き合っている方もいらっしゃいます。賃貸管理というのは20~30年の長期の付き合いが当たり前なんです。

逆に1回でも当社の預かりの支払いが遅れたらそれで終わってしまいますからね。

今後は相続の問題とかも出てくるので、それに対する対応が必要になります。
家主さんには資産があって今は相続税の問題とかもあるので、それに対する対応もしていかなければいけません。人の資産に係る仕事なので、まさに一生のお付き合いという感じですよね。

今後のビジョンについて教えてください

建築が好きなので、建物の質を上げていきたいですね。今までのアパートのようにありふれたものではなく、もっとデザイン性のある建物を供給していきたいと思っています。

▼街のポスターなどで綺麗な家ですとか、マンションなどを見ていると、心が動かされますよね。イメージとしては、デザイナーズマンションのようなものなのでしょうか?
そうですね、デザイナーズマンションのようなものを手掛けていきたいです。

足立区では大学生が増えてきていますので、洗練されたものを欲する土壌は整ってきています。
千住ですと5校の大学がありますし、今度「文教大学」や女子医大も来るらしいですから、今後、千住では若者が増えてくることでしょう。

当社は今後もしっかりと地に足を着けて、常に成長し続けます。
より手堅く、より地元で時代にマッチした売り方で、地域に貢献できるようにしていきたいですね。

《 株式会社ネットハウジング 代表取締役名誉会長 弓削佳央 》

株式会社DYM 代表取締役社長 水谷 佑毅

$
0
0

代表取締役社長 水谷 佑毅

代表取締役社長 水谷 佑毅

設立 2003/8/22
事業内容
    • WEB事業
    • 人材事業
    • 研修事業
    • エグゼパート事業
    • 医療事業
    • 新規事業
会社HP https://dym.asia/
https://dym.fm/
https://dym.gift/
https://dymmovie.com/
https://www.dymhongkong.com/
https://www.dshu.jp/

株式会社DYMを起ち上げたきっかけを教えてください

私立の医学部に入学し、高校時代までは貰っていたお小遣いが廃止されました。
学費が非常に高いので当然ではあったのですが、自分で使う・遊ぶお金も必要だった為、
自分で稼ごうと考えました。

最初は周りの友人たちと同様にアルバイトを考えたのですが、
それなりに忙しい医学部生活を考慮すると時給1万円くらいの効率性を求めないと
十分に稼げないなと思ったのが始まりです。
人に雇われている立場では時給1万円を超えるのは難しいと思い、
起業することになりました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

思い返しますと、大学卒業後に有限会社から株式会社となり、
人を雇い始めて組織化してから、年商10億円くらいになるまでが大変でしたね。
というのもやはり優秀な人材の採用が難しく、指示した内容がしっかり実行されなかったり、
真面目に勤務出来ない人材がいたりと、お恥ずかしい話ですが、
社内の人材レベルが高くなかった時期は様々な苦労がありました。

良い人材を採用する事がどれほど重要で会社の成長への影響度が高いか、
改めて身に沁みて感じています

株式会社DYMの強みについて教えてください

幅広い事業展開と、屈強な財務基盤、
「素直・前向き・一生懸命」な社員が多くいる事です。

事業というのは遅かれ早かれ必ず衰退するものだと思っています。
成長期、成熟期、衰退期といった流れで変遷していくわけですね。
もちろん衰退しないのがベストですが、長い目で見ると必ず衰退していくというのが世の常です。

長期的に安定した経営を実現する為にも、
多くの事業領域でビジネスを展開している事がDYMの強みの一つです。

また、創業以来無借金経営を継続しており、
非常に強い財務基盤があることも強みとして挙げられるかと思います。

そして事業を創るのも結局人であり、企業もまさに人が創り上げるものですので、
ビジョンに共感し、「素直・前向き・一生懸命」である優秀な社員が多くいることが
何よりもDYMの強みだと考えています。

「世界で一番社会を変える会社を創る」というビジョンを掲げ、
「医療」「就職活動」「地方創生」等、様々な社会問題の解決に
取り組んでいく中で、水谷佑毅様が特に心がけている事を教えて下さい

展開する事業は、全て社会問題の解決に繋がる事業であるという事です。

やはりクライアントをはじめ、ステークホルダーの皆様、
世の中の人々から本当の意味で評価され、必要とされるものしか長くは残らないと思います。

ですから、社会問題の解決に繋がり、
世の中から必要とされる事業であるかどうかを常に考えて経営を行っています。

そして結果的に収益も上がり、自社の利益となって
社員にしっかりと還元することで皆が幸せになれるというのが理想です。

今後のビジョンについて教えてください

引き続き社会問題の解決に寄与できる事業を、
分野の隔たりを超えて多く展開して行きたいと考えています。
中でも特に、やはり医療分野には一層注力していきたいと思っております。

医師としてのキャリアでなく、経営者としてのキャリアを選択した最大の理由は、
日本・世界の医療分野のIT化の遅れを是正し、より良い医療が
世の中に広がる事を実現したいという想いでした。

その点は今も変わらず持っている考えですので、
特に医療については拘って事業展開をし、社会貢献に繋げていきたいと考えております。

《 株式会社DYM 代表取締役社長 水谷 佑毅 》

株式会社No.1 代表取締役社長 辰巳崇之

$
0
0

代表取締役社長 辰巳崇之

代表取締役社長 辰巳崇之

設立 1989年9月27日
事業内容
    • オフィスコンサルタント事業
      ①情報セキュリティ商品販売
      (UTM、サーバー)
      ②OA機器商品販売
      (MFP、ビジネスフォン)
      ③経営支援サービス
      (Web・販促品販売、役務業務のソリューションサービス)
    • システムサポート事業
      ①システムサポート
      (保守・メンテナンス、ITサポート)
      ②オフィス通販
会社HP https://www.number-1.co.jp/

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。

当社は、「日本の会社を元気にする一番の力へ。」という経営理念を掲げ、
全国400万社ある中小零細企業の様々なニーズ、経営上のお悩み、
問題や課題に対し、トータルビジネスパートナーとしてお客様を支え、
日本経済を活性化させる原動力になることを中長期的な目標とし、活動しております。
具現化に向けて、当社は、様々な事業を展開しております。

先ずお客様の「今」に向けたサービスとして2点、
① オフィス環境効率化による生産性の向上とコストダウン
② 経営支援サービスによる経営の効率化や経営状況の可視化
次にお客様の「未来」に向けたサービスとしては
③ 販売支援サービスによる売上向上施策のサポート

と大きく分けて3つの事業ドメインを展開しています。
中小零細企業の経営者様における煩雑な作業や業務、お悩みごとに耳を傾け、
そこからお客様のニーズを形にしたものが、
現在の当社におけるビジネスドメインの基盤となっております。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

平成7年9月
株式会社ジェー・ビー・エム(現当社)入社
平成9年9月
株式会社ジェー・ビー・エム(現当社)取締役就任
平成16年3月
株式会社ジェー・ビー・エムと株式会社ビッグウィンの合併に伴い当社取締役副社長
平成20年12月
当社代表取締役社長(現任)
平成27年2月
株式会社Club One Systems 取締役(現任)
平成28年3月
株式会社キューブエス 取締役(現任)

私がこの業界に入ったばかりの頃は販売のみで、
アフターサービスを自社で行うことは珍しい時代でしたが、
魔法瓶と日用品の卸問屋を経営していた父の口癖が「販売した人が直す」で、
私の根底に染み付いた考え方でもあり、アフターサービスを自社で行うこととしました。

社長が念頭においている経営理念はありますか?

当社の経営理念は「日本の会社を元気にする一番の力へ。」です。
経営理念をより理解し、
具体化するために第30期を機に再構築した、
No.1フィロソフィというものがあり、20項目で構成されています。
そのひとつに、「感謝の気持ちをもつ」という言葉があります。
私たちが今日あること、そして存分に働けることは、
お客様や取引先はもちろん、職場の仲間や家族といった
周囲の多くの人々の支援があったからです。
決して自分たちだけでここまでの成長があった訳ではありません。
「周りの人のおかげで今日の自分があるのだ」という気持ちを持ち、
感謝を忘れてはいけません。
逆に、感謝の対極にあるものが不平、不満、それを口にする愚痴です。
それらは、自分自身を後退させるだけでなく、人生を暗くし、不幸にします。
常に謙虚に感謝をすることで、人生は素晴らしいものになっていきます。
感謝の気持ちを持つことで、自分の心が美しくなっていき、
運命そのものが明るくひらかれていくからです。
感謝をする心が、幸運を呼び込むのです。

現在、特に注力している事業は?

①情報セキュリティ商品&防犯セキュリティ商品
情報セキュリティは、中小企業における最重要経営課題であり
自社企画商品の更なる拡充により市場シェアを更に拡大させる
防犯セキュリティは、
狙われない、犯罪対象にさせないオフィス・店舗等環境づくりにおける
重要ポイントであり事業化により拡大させる
No.1ビジネスパートナーとして中小企業へ価値ある商品・サービス展開をトータルで提供
これにより社会にとって必要不可欠な企業の存在価値を高める。
→30期経営計画書の商品戦略イメージ

②情報セキュリティ商品を中心としたソリューション企業へ変化
・顧客ニーズをキャッチアップした商品企画力。
・当社製品に限定しない、メンテナンス・保守対応力。
・顧客の期待に応え、悩みを解決する経営支援サービス。
時代の変化を捉え、MFP販売会社から情報セキュリティ商品を中心とした
ソリューション企業へ変化。
→30期経営計画書の競合他社と当社の強みのNo.1の強み

③情報セキュリティ、防犯セキュリティ、新商流へシフト。
経営支援サービスを活用し、顧客の期待に応え、
悩みを解決し、信頼関係を構築する。
営業/システムサポート 顧客との関係性を活かし、MFP/ビジネスフォンを維持しつつ、
情報セキュリティ、防犯セキュリティ、新商流へシフト。
経営支援サービスを活用し、顧客の期待に応え、悩みを解決し、信頼関係を構築する。
→30期経営計画書の全社戦略の営業/SS

④経営支援サービス
助成金活用のニーズはあるも、申請に必要な就業規則や雇用契約書等の整備が
出来ていないためニーズが顕在化。
お客様の多くが助成金の活用が出来ておらずかつ申請に必要な就業規則や雇用契約書等の
整備も出来ていないのが実態です。
労務管理は、売上に直結しない為、後回しにする傾向があります。
しかし、労働者が1人でもいれば、労使トラブルが発生します。
就業規則・雇用契約書の重要性をご理解いただき経営課題解決の一環として
経営サポートしていく必要があります。
→30期経営計画書の新商品サービス

⑤アライアンス、業務提携等の手段を駆使した商品企画の迅速化・販売チャネル多様化
パートナー企業向けの自社企画商品、自社営業部門で培ったノウハウを活用し、アライアンス・M&Aを強化
→中期経営計画書の重要指標

社長より、就活中の学生や社会人として働く若者へ向けたメッセージをお願いします。

当社は、昨年実績として売上高77億、従業員数450名を超え、
今後も更なる成長をしていく為には、
「チャレンジ精神を維持」していくことが重要と考えています。

昔から「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言いますが、この言葉は精神論ではありません。
ともすれば、現在は安定を好み、失敗を恐れる風潮がありますが、
脳科学者の学説にもありますが人間の脳は、
体験によって進化し、失敗を失敗と認識することで、
より失敗しにくい脳に変わるといわれています。

目の前の勝負から逃げず、前へ進んでいくことが自身の未来の為になるのです。
そして、より重要なのは、失敗した時に、それらを、どう対処するかということでしょう。

もし原因が他人にあったとしても、失敗を防げなかった自分を反省し、
相手への怒りを自分の心の痛みに変えることで、自分自身が強くなっていくと思います。

是非、皆さんの強みの一つである「若さ」を活かして、
今日より学生生活で積極的に様々なことにチャレンジし、
良い意味での失敗体験をしてもらいたいと思います。

《 株式会社No.1 代表取締役社長 辰巳崇之 》


株式会社QUATTRO 代表取締役 米井聡・神林拓馬

$
0
0

代表取締役 米井聡・神林拓馬

代表取締役 米井聡・神林拓馬

設立 2014年2月14日
事業内容
    • 古物事業
    • 広告代理事業
    • 美容事業
    • 飲食事業
    • EC事業
    • 不動産事業
会社HP http://quattro17.co.jp/
https://kaitoriichiban.jp/lp_pc_cartier/
http://co-vo.jp/
http://shanty-su.quattro17.co.jp/
https://ciate.co.jp/

どのようなきっかけで株式会社QUATTROを起ち上げたのでしょうか?

株式会社QUATTROは、いろいろな人が関わって起ち上げた会社になります。

私たちは以前は別の会社の社長をやっていて、もともと知り合いではあったのですが、
一つのプロジェクトを思いついてやってみようということになったのです。

そこから様々な人を巻き込んで、手を取り合ったことがきっかけでできた会社が株式会社QUATTROです。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

人ですね。会社の成長とともに急激に仲間が増え、
人の管理や組織体制の見直しは非常に苦労しました。

企業の成長とともに社会的責任も増えてきますし、
右も左も分からない時もありました。

当初は総務部や経理部のような部署なんてありませんでしたからね。
業績はよかったものの、会社の成長に自分たちが追いつくことに必死でした。

株式会社QUATTROの強みについて教えてください

これもまた人です。
人こそが強みであり、社員一人一人が財産です。

QUATTROも仲間が集まって手を取り合ってできた背景があります。
そんなことからも仲間意識も強いですし、団結力もあります。

それに社員一人一人からビジネスプランを常に募っていて、
そのアイディアの中から新しい事業に発展することも多く、
一人一人のアイディア、それを形にしていく力というのは、
株式会社QUATTROがここまで成長できた理由の一つでもあると思っています。

会社を経営する上で、米井聡様、神林拓馬様が
それぞれ心掛けている事を教えてください

【米井】
スタッフ一人一人のモチベーションです。
スタッフの私生活や仕事の充実→自分以外に目を向ける気持ち的な余裕
→お客様に対していいサービス→いい事業。
こんなサイクルのイメージですかね。

【神林】
協調性は大事にしています。
相手が何を考えているのか、何を言いたいのかを
まず理解して経営者としての意見を述べるようにしています。
父親の言葉なんですが「中庸であれ」、この言葉は常に心がけていますね。

今後のビジョンについて教えてください

2019年は各事業の底上げを行っていきたいと思っています。

挑戦する土台はできたので各事業、質を高めて成果を上げていく。
これらのことにコミットして事業を展開して行きたいと考えています。

《 株式会社QUATTRO 代表取締役 米井聡・神林拓馬 》

株式会社エボルビング 代表取締役 川名一郎

$
0
0

代表取締役 川名一郎

代表取締役 川名一郎

設立 非公開
事業内容
    • WEBマーケティング事業
    • 1.電気通信工事業、電気工事業、機械器具設置工事業
      2.防犯機器の製造・販売及び輸出入
      3.防犯に関する設備機器・システムの販売・施工及び保守点検
      4.水、電気、ガス等のエネルギーコスト低減設備の取次工事、保守、管理
      5.情報処理に関するソフトウェア及びハードウェアの研究・開発並びに販売
      6.コンピューター、ファクシミリ、コピーマシン及び通信機器並びにその付属材料、付属機器の販売及び輸出入並びに保守点検
      7.事務機器及び通信機器並びにその付属材料、付属機器等の販売及び輸出入並びに保守点検
      8.ポイント端末の企画・販売及び保守業務
      9.電気通信事業法による通信事業者の代理店業務
      10.携帯受信機器の販売・貸付に関する代理店業務
      11.市外電話通信回線利用加入者の募集及びその利用権販売促進に関する代理店業
      12.オフィス家具の販売並びにリフォーム
      13.総合リース業
      14.広告代理店業
      15.ソフトウェア業
      16.有料職業紹介事業及び労働者派遣事業
      17.上記各号に関するコンサルタント業務
      18.前各号に付帯する一切の事業

会社HP https://evolving.co.jp/

どのようなきっかけで会社を起ち上げたのでしょうか?

今までのホームページ制作ですと、HTMLやCSSの知識が必要であり、
ホームページを活かすとなると、制作しただけでは意味がなく、
現状で一番使われているGoogleやYahoo!の検索結果の上位に出てこなければ、
集客や求人には繋がりません。
また、デザイン性に特化することでSEO対策が難しく、
逆にSEO対策を意識することでデザイン性が乏しくなることが多かったのが現状でした。

もっとHPをリニューアルして、もっと低価格で簡単にご利用していただくことを考え、
かつ、さらにもっと集客についてお客様の手助けをできればと思い、起業いたしました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

会社が軌道に乗るまでは、お客様への対応、資金繰り、自身の体調管理など、
一人で行う必要があったので、色々手が回らず周りの人に迷惑をかけてしまった事です。
その上でお客様に不信感を与えてしまったこと、
そのお客様が抱えていた認識を変えてもらい、
エボルビングを応援してもらうまでに至ることが一番大変でした。

株式会社エボルビングの強みについて教えてください。

従来のホームページ制作の概念を変え、
制作するだけではなくGoogleやYahooの検索結果の上位表示を目指し、
集客や求人に繋がるようなホームページ制作を心掛けています。

様々なSEO対策がパッケージングされたASTEER(アスティア)で、
お客様のウェブサイトの集客率を向上させます。
低価格で簡単にご利用していただくことを考えつつ、
集客率を高めていけるのが強みであると思います。

WEBマーケティング事業において、
独自のデジタルマーケティングのノウハウをもとに、
検索エンジンを活用したWEBサイトの
プロモーションやマーケティングの最適化、費用対効果の算出など
最適なWEBページの構築および提案をする上で、
川名様が特に心がけていきたい事などありましたら教えてください

営業をするうえで、お客様に不安感を与えていく事が一番やってはいけない事であると考えています。
そのため、提案する際の必要最低限のマナーやその他、不信感、不快感を与えないために
どうやっていくか、ということを常に考えています。

提案については最初からできるものではないので研修などを通じて
自分自身の営業手法を手に入れていただくくまで、とことん私も付き合っています!

今後のビジョンについて教えてください

妥協することなく、お客様と向き合って、ともに会社を大きくしていきたいと思っております。
ただ、思っているだけでなく、形にしていく。
これはホームページ制作のみならず、
ロングテールのSEO対策にも強いCMSツール・ASTEER(アスティア)を提供している
株式会社エボルビングならではなのです。
東京、大阪、福岡に拠点を置き、日本全国の個人事業主様、中小企業様のウェブサイトにおける
より良い活用方法をご提案させていただいており、集客率アップの方法は様々ありますが、
本やセミナーだけではなかなか分かりません。

株式会社エボルビングは、初心者の方にも分かっていただけるよう丁寧に説明をさせていただき、
管理画面も使いやすいので、本業に集中した上で
短い時間でウェブサイトのチェックや更新ができるように、
お客様も含め、「大家族主義」「一蓮托生」の元業務拡大をしていきます。

《 株式会社エボルビング 代表取締役 川名一郎 》

株式会社リーチライト 代表取締役 正能翔

$
0
0

代表取締役 正能翔

代表取締役 正能翔

設立 非公開
事業内容

      1 電気通信工事業、電気工事業、機械器具設置工事業
      2 防犯機器の製造・販売及び輸出入
      3 防犯に関する設備機器・システムの販売・施工及び保守点検
      4 水、電気、ガス等のエネルギーコスト低減設備の取次工事、保守、管理
      5 情報処理に関するソフトウェア及びハードウェアの研究・開発並びに販売
      6 コンピューター、ファクシミリ、コピーマシン及び通信機器並びにその付属材料、付属機器の販売及び輸出入並びに保守点検
      7 事務機器及び通信機器並びにその付属材料、付属機器等の販売及び輸出入並びに保守点検
      8 ポイント端末の企画・販売及び保守業務
      9 電気通信事業法による通信事業者の代理店業務
      10 携帯受信機器の販売・貸付に関する代理店業務
      11 市外電話通信回線利用加入者の募集及びその利用権販売促進に関する代理店業
      12 オフィス家具の販売並びにリフォーム
      13 総合リース業
      14 広告代理店業
      15 ソフトウェア業
      16 有料職業紹介事業及び労働者派遣事業
      17 上記各号に関するコンサルタント業務
      18 前各号に付帯する一切の事業

会社HP https://reach-right.jp/

どのようなきっかけで会社を起ち上げたのでしょうか?

今までのランディングページですと、
SEO対策がおこなわれていない、リスティング広告枠に表示、
広告枠のクリック率の低下、編集・修正に費用がかかる、
スマホページ制作に別途費用発生、
制作するページが増えれば増えるほど追加費用発生するなど、
さまざまな問題点が挙げられていました。

もっと安く手軽に、
そしてユーザー様が「もっとこうしたい」、「〇〇したい」と思えるようなサービスを
広げるために起業を致しました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

やはりお客様の信頼を得るまでの間が一番大変でした。
軌道に乗る乗らないの前に、いかにお客様の信頼を得るのか。
また、商品に関するイメージなども併せて
先入観から解放される状況にもっていくまでの期間が一番大変でした。

「株式会社グロースアップ」という企業の代表も兼任されていますよね

兼任する経緯は、商材において繋がりがあったからです。
ホームページの作成、SEO対策などの策を講じ、
さらにGoogleアナリティクスなどの利用によって
詳細な情報をキャッチすることが出来るため、
実際にどの角度からユーザー様が興味を持ってくれているのかなど、
わかりやすく判断出来る事があるためです。

株式会社リーチライトの強みについて教えてください

営業を行う上で、妥協をしないという気持ちが土台にあり、
且つ、お客様に最適なご提案が出来るように何度も何度も話をして納得していただく。
そして、ただ時間をかけるのではなく、
最短時間でお客様の希望に沿った内容のものが提供できるようにする事を
営業パーソンの一人一人が意識しています。

「モバイルサービスプロモーション事業」や
「CMS・動画を用いたHP販売事業」「SEO関連事業」を行う上で、
正能様が特に心がけている事などありましたら教えてください

常にユーザー様の最適を考えて行動する事。
口頭で説明してもなかなか伝わりにくい現状であるため、
どういったものを伝え、見せて理解してもらうかということが
非常に重要であると考えています。

その中でも特に心掛けているのは、
営業パーソン一人一人の「人間力」と「営業力」を豊かにするために、
弊社の営業パーソンは常に勉強をしています。
そして何よりもユーザー様のニーズに合わせて対応することを心掛けています。

今後のビジョンについて教えてください

ネット業界は今後まだまだ伸びていくため、
さらに多くのお客様より現状の問題点をいただき、
さらに良いものを提供できるように、
ユーザー様に寄り添って営業をしてまいります。

また、ユーザー様が増えて口コミが多く知れ渡り、
業界No.1の地位を確立し、
さらにその先まで見据えて会社を運営しております。

《 株式会社リーチライト 代表取締役 正能翔 》

株式会社オープンハウス 代表取締役社長 荒井正昭

$
0
0

代表取締役社長 荒井正昭

代表取締役社長 荒井正昭

設立 1997年9月1日
事業内容
    • 不動産関連事業
    • 居住用不動産の販売・仲介
      戸建住宅の開発
      注文住宅の建築請負
      マンションの開発

会社HP https://openhouse-group.com/

先ず、貴社の事業概要についてお聞かせください。



今回は
株式会社オープンハウスの
マーケティング本部に
お話を伺った

オープンハウスは、「東京に、家を持とう。」というコンセプトのもと、
東京23区を中心に土地や戸建てを仲介している不動産会社です。
東京以外にも、横浜・川崎・埼玉・名古屋などにも対応しており、
様々なエリアで実績を上げています。

株式会社オープンハウスは、1997年に設立した不動産会社です。
東京都千代田区に本社を構え、不動産の仲介を中心とした事業を展開しています。
主な事業内容は以下のようになっています。

オープンハウスの事業内容
• 不動産仲介及び売買代理事業
• 新築戸建て分譲事業
• マンション・ディベロップメント事業
• 不動産投資事業
• 不動産金融事業
• 上記に付帯関連する事業

新築・中古・一戸建て・土地の売買の仲介や、自社企画の建売住宅も展開しています。
現在は、東京・神奈川・埼玉・愛知・福岡に事業所を設けており、
多くの方に家づくりや理想の住まいを実現しています。

また、年間2600件以上の住宅購入サポートを行っており、
東京や神奈川では対象地域シェアナンバーワンを獲得しています。
戸建て供給実績は年間約4000棟となっており、実績も豊富です。
自社物件はもちろん、他社物件や注文住宅も扱っているため、
多様なニーズに対応できることが強みでもあります。

そんなオープンハウスは、株式会社オープンハウス・ディベロップメント、
株式会社オープンハウス・アーキテクト、株式会社アイビーネットというように
グループ会社が多くあり、顧客の住宅購入のサポートをより強固なものにしているのです。

企画・開発力・仕入れ力・販売力を重要視しているのも特徴で、
価格を抑えながらも快適な住まいを実現できるよう提供しています。

企業理念と強みについて教えて下さい。



オープンハウスは
顧客のパートナーとして
「求める住まい」を
徹底的に追求する

オープンハウスグループの理念としては、
顧客が求める住まいの実現・従業員の取り組みや
結果に報いる組織の実現・社会に必要とされる不動産会社の実現を
掲げています。

顧客にとって大切なライフイベントである住まい探しは、
パートナーとなる会社のサポートが必要不可欠です。
様々なニーズに対応するためにも、顧客一人ひとりを大切にし、
多くの方に選ばれる不動産会社であり続けたいと考えているのです。

オープンハウスの強みは、
「東京に、家を持とう。」というコンセプトにあるように、
住める街に住むのではなく、顧客自身が住みたい街に住むということを
実現しているという点ではないでしょうか?
東京で家を持つとなると、気になるのはその価格です。

例えば、東京に30坪土地を購入し家を建てるとなると、
6000万円を超えるケースも少なくありません。
しかし、オープンハウスでは少し変わった形状の土地や限られた土地を有効活用しており、
土地の特性を活かした住まいの提案をしています。

グループ内で土地の仕入れ体制を構築しているため、
豊富な物件を確保できるほか、
都心でもリーズナブルな価格で住まいを持つことができるのです。

通常であれば、商品化できない形状の土地を有効活用するだけでなく、
デザイン性や機能性に優れた住まいを建てられるというのも大きな特徴と言えるでしょう。

数多くの物件を扱っているので、顧客の希望にマッチする物件探しも可能です。
都心に住まいを持てるというのは、
企画・開発力・仕入れ力・販売力を重要視しているからこそだと言えるでしょう。

創業者の荒井正昭社長について

オープンハウスの代表取締役社長として活躍する荒井正昭社長は、
1965年に群馬県で生まれました。
父親が不動産業を営んでいたこともあり、当時としては裕福な生活を送っていました。

幼い頃から父親の背中を見て育ったため、
彼自身も将来は裕福な暮らしができるよう、
5000万円の年収が得られるような存在になろうと考えていたそうです。

22歳までには結婚したいという目標もあり、魅力的な男性になろうと努力していきました。
しかし、年収5000万円というと、簡単には実現できない金額でもあります。

そのため、荒井正昭社長は司法書士になろうと決意し、
高校卒業後上京し、大学に通うために予備校に通い始めます。
ところが、想像以上にその道は険しく、2浪してしまいます。

母親には諦めて帰ってくるよう促されますが、
荒井正昭社長は東京で成功する夢を捨てきれませんでした。
お金がなく、どうにか手に職を得ようと考えた結果、
不動産会社に入社して学費を稼ぎながら司法書士の夢に近付く道を選びます。
それが、荒井正昭社長が不動産会社に携わるきっかけとなったのです。

不動産会社に入社した当時、
荒井正昭社長は23歳で、一戸建ての販売や不動産の仲介を担う事業に携わりました。
元々司法書士になるための中間地点に過ぎないと考えていた彼は、
働くうちに考えが変わっていることに気付かされます。

仕事をこなすことで自分の成長につながり、
またそれが会社の成長にもつながることに喜びと達成感が得られたからです。
こうして不動産会社に身を置き、トップの営業セールスマンにまで成長しました。

しかし、その当時の年収は2000万円で、幼い頃の目標年収には程遠い現実を実感したと言います。
それ以上に、徐々に自分の実力をもっと試したいと考えるようになり、
さらなる高みを目指そうと考えたのです。

オープンハウスを設立した荒井正昭社長

荒井正昭社長が株式会社オープンハウスを設立したのは、1997年のことです。
それまでに培った不動産事業の知識やノウハウを活かそうと、
不動産仲介事業を営む会社を作り上げました。

オープンハウスでは、
顧客に喜んでもらえることが会社の成長につながるという考えを大切にしています。
その考えは設立当初から変わることがありませんでした。

顧客満足度を追求する経営を第一にしていった結果、
その魅力が口コミや評判で広まり、順調に業績を伸ばしていったのです。

荒井正昭社長は幼少の頃から負けず嫌いの性格だったため、
不動産事業に携わっても周りに自分が負けないよう努力すれば良いと考えてきました。

しかし、現在は人間は一人ひとり違うからこそ、
その個性を尊重し個々の能力を伸ばしてあげる必要があると感じるようになったのです。

現在、オープンハウスでは努力する従業員の成果を認め、
その能力を伸ばすことを大切にしています。
従業員のモチベーションを高め、成果が出せれば昇格・昇給も実現できます。
従業員がやる気を持って事業に携われば、
仕事の質やサービスの質が向上し、売上につながると考えているのです。

荒井正昭社長は、顧客満足度を意識した取り組みは、
結果的に会社の従業員のやる気を高め、
社会に必要とされる不動産会社になっていくだろうと実感しています。
荒井正昭社長は、不動産事業に携わって以降、
従業員と共に労苦しながら、設立当初からブレることのない理念と目標を持って歩んできました。

顧客のために何ができるのか1番に考え、
事業を展開していった荒井正昭社長を支持する方はたくさんいます。
不動産会社は、顧客が求めている住まいがどのようなものなのかを理解し、
それが実現できるよう努めていく責任があります。

グループ会社で形成されるオープンハウスは、
それぞれの会社と連携して、顧客の住まいづくりをサポートしているのが特徴です。

誰でも人生を切り開くことができる

荒井正昭社長は、幼い頃から他の子どもとは違う夢を抱いていました。
中学生の頃には、年収は5,000万円で、22歳で結婚するという具体的な目標を立てていたと言います。
荒井正昭社長の父親が不動産業を営んでいて
週に2日しか家にいなくても、裕福な暮らしができていました。

そのため、サラリーマンになるという考えはもともとなかったそうです。
サラリーマンに向いていないと思いながらも、
専門学校の学費を稼ぐために不動産会社で勤務し、優秀な成績を収めました。

負けず嫌いな性格でもあったため、
勤め始めた不動産会社でも1番になりたいという思いを持っていたのではないでしょうか?

人にはそこまで大きな能力の差があるわけではないという考えの持ち主でもあるので、
それを体現しようと思ったとも考えられます。
このことは、荒井正昭社長から社員にも話されていることです。

「誰でも人生を切り開くことができるのだから、弱気になってはいけない!」

このように社員に伝えることで、社員のモチベーションも高まっていき、
それがオープンハウス自体の成長にもつながります。

「簡単に言うことはできても実現は難しい」

誰でも人生を切り開くことができるということは誰にでも簡単にできます。
しかし、実践できる人はそこまで多くないでしょう。
そこでオープンハウスでは、社員のモチベーションが下がらないような待遇を用意してます。
それは、結果を出すことができれば、昇格や昇給ができるというものです。

このような待遇を設けることによって、必然的に仕事の質が高まっていきます。
その結果、会社自体が大きく成長していき、ポストも増えていきます。

そして、昇格や収入アップのチャンスも増えることになるでしょう。
オープンハウスはそれを実現しているため、社員がやり切れる会社へと成長したということになります。

かつて荒井正昭社長は以下のような発言をしています。

「0歳~24歳の頃の自分はダメな人間だった。仕事を通してマトモな人間になれた。」

これは、仕事を通して自分自身が成長できたということを意味しているのです。
しかし、成功体験を知らない人の気持ちも荒井正昭社長は知っているため、
社員が成功体験をした時の達成感を感じてほしいという思いも持っています。

また、業界で1位になることができなかったとしても、
勝つという成功体験はできるということを知ってほしいと考えています。

《 株式会社オープンハウス 代表取締役社長 荒井正昭 》

株式会社秀光ビルド 代表取締役社長 本間航也

$
0
0

代表取締役社長 本間航也

代表取締役社長 本間航也

設立 1991年10月8日
事業内容
    • 建築
    • 土木工事
    • 設計施工請負 一般住宅設計施工
会社HP https://shukobuild.com/
https://www.pinterest.jp/shukobuild/

どのようなきっかけで株式会社秀光ビルドを起ち上げたのでしょうか?

高校を卒業後、いくつかの職を経験し、秀光ビルドへ入社しました。
入社当初から、やるからには社長を目指そうと意気込み、仕事に励んでいました。

そんな折、金沢市に支店を出すという話を聞きました。
支店長は他社からの引き抜きという噂がありましたが、
「自分がやりたい」と当時の社長に直訴しました。
それを聞いた当時の社長は、支店長候補にその場で断りの電話を入れて下さり、
私が支店長を務めることになりました。これが大きな転機でした。

支店長に立候補したからには
結果を出さなければならないと思い、死に物狂いで仕事をしました。
その結果、就任1年目で、金沢支店が本社の売上を上回ることができました。
その実績から、常務・専務・社長へと進めたのではないかと思っています。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事は
どのような事でしたか?

過去に、「急成長格安一戸建て業者は欠陥住宅だらけ」という内容で
秀光ビルドが晒され、ネットで拡散されてしまいました。
記事では秀光ビルドのすべての住まいに欠陥があるように書かれましたが、
もちろんそんな事実はありません。
しかし、一部の住宅でそのような事態があったことは、重く受け止めました。

再発防止として、記事が世に出た10日後には、
第三者機関が700以上の項目を検査し報告する仕組みを整えました。
そしてお客様が自由にアクセスできる環境に、レポートをアップしています。

この出来事から、
住まいは安心安全が絶対条件であり、
欠陥は絶対に許してはいけないということを、肝に銘じています。

株式会社秀光ビルドの強みについて教えてください。

明瞭な会計で、安心安全な住まいをご提供していることです。
この部分は、特にこだわり抜いています。

私がこの業界に初めて入ったとき、価格が不明瞭なことに疑問を感じました。
我々が建てる家は「ローコスト住宅」と呼ばれていますが、
「安かろう悪かろう」では意味がありません。
我々は、余計な時間を省くことで、コストを抑えています。
品質に一切の手抜きはありません。

商品設計に対し、
この予算ならキッチンはこのグレード、
この条件ならいくら、というように、
クラウドサービスなどを活用しながら、徹底的に統一しています。
お客様のご要望を受けて、その場でお客様が納得できるお見積りをお出しできます。

その結果、お見積りを作成する期間を短縮でき、
工期短縮・コスト削減に繋がります。
お客さまにも低価格という形でお返しすることが可能になります。

会社を経営する上で、本間様が特に心がけている事などありましたら
教えてください。

住宅業界は成長業界とは言えません。
ピーク時は年間140万戸の住宅が建てられていたのに対して、
今では年間90万戸、将来的には40万戸にまで減るといわれています。

しかし、業界が縮小しているからと言って、将来性が無いとは思っていません。

その解決策のひとつとして、
「お客様に生涯顧客になっていただく」ということが挙げられます。
家を建てていただいて終わりではなく、
リフォームや建て替えもサポートし、
ゆくゆくは、その方のお子様やご親戚の家も秀光ビルドで建てていただく。
そのような流れを作っていくことができれば、と考えています。

今後のビジョンについて教えてください。

品質保証を徹底した「高品質低価格住宅」を主軸とした業務をさらに拡大しつつ、
WEBを使った「業務の見える化」を推進していきます。

今後は関東や九州にも進出予定です。ゆくゆくは、上場を目指しています。

《 株式会社秀光ビルド 代表取締役社長 本間航也 》

Viewing all 230 articles
Browse latest View live