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Channel: 情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~
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株式会社ディール 代表取締役社長 小野瀬冬海

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代表取締役社長 小野瀬冬海

代表取締役社長 小野瀬冬海

設立 2017/8/2
事業内容
    • 広告事業
    • メディア事業
    • 芸能事業
    • 美容・健康事業
会社HP https://deel.co.jp/

将来の夢はサラリーマンだった

起業を考え始めたのは、21歳の時で、
それまでは、夢もやりたいことも全くありませんでした。
とりあえず生活できればそれでいい。上昇志向なんてまったくない。
将来は安定した職に就きたい。サラリーマンか公務員になりたい。
そう思っていました。

私は、小学校3年生から高校3年生の10年間、
バスケットボールに明け暮れる日々を送っていました。
土日も部活。平日も毎日早朝から朝練、放課後も部活。
休み時間は体力温存のためにひたすら寝る。
毎日部活漬けの日々でした。

当然、友達とは全く遊べず、お洒落もできず、
学生時代の青春のすべてをバスケットボールに捧げたといっても過言ではありません。
なので、高校3年生まで将来について考えたことすらありませんでした。
いつも頭の中はバスケットボールのことでいっぱい。完全にバスケ馬鹿ですよね(笑)

高校3年生の時に、ついに部活を引退し10年間のバスケットボール人生に終止符を打ちました。
その時ようやく将来について考えてみたものの、高校が進学校だったというのもあり、
まわりの友達もみんな当たり前のように大学進学を希望していて、
学校の先生からも大学進学を強く押されていたので、何も考えずに私も大学に進学しました。
自分の意志なんて一切なかったと思います。周りに流されるように進学を選びました。
当時の私は、自分の人生について深く考えたりするような人間ではなかったんですね。
周りと合わせよう。目立たないように、上手くやっていこう。そういうタイプでした。

今でも覚えているのが、学校の授業で、将来の夢を発表する授業が何回かあったのですが、
夢なんて当然なくて、とりあえず生活できればそれでいいと思っていた人間なので、
「将来はサラリーマンになりたい」と言ったら、
先生に「もっとちゃんと考えなさい!」と言われました(笑)

周りの友達が、夢をちゃんと発表できていたのが、私にとっては本当に不思議で仕方ありませんでした。
「みんな凄いな。僕はずっと平凡な人生を送っていくんだろうな。いや平凡が一番。」
そう思っていましたから。

なので、当時の同級生や学校の先生からしたら、将来私が会社の社長になっているなんて、
全く想像すらできなかったのではないでしょうか。

私の人生を大きく変えた言葉

これまで無我夢中になって、バスケットボールを10年間も続けていたからでしょうか。
大学生活は退屈で仕方ありませんでした。
サークルにも馴染めず、バイトも入っては辞め、を繰り返していました。
「バスケをやっていた時は、たった一度でもいいからバスケから開放されたい。部活を休んでみたい。」
そう思っていたはずなのに、
気づけば、「バスケをやっていた時のように、本気で何か1つのことに夢中になりたい」
そう思うようになっていました。

何かに夢中になりたいと思って、大学1年生の冬頃に、
数百〜数千人規模の音楽&ファッションイベントを主催していた学生団体に加入することにしました。
気づけば私はイベントで収益を出すことの面白さに夢中になっていました。
大学生活が楽しくなってきたのはその頃からですね。
イベントを通して、人を熱狂させたり、楽しませたりすることの面白さを肌で体感しました。

その時に、イベントに来てくれたお客様の多くが
「このイベントで、人生変わりました。」と言ってくれたことがありました。
更に、出演したアーティストやモデルも
「夢を諦めかけていたけど、このイベントをきっかけに本気でアーティストを目指すことにしました」、
「私、本気でモデルを目指そうと思います」と言ってくれたのです。

もう涙が出そうになるぐらい感動しました。
そして、その時私は「これだ!」と電撃が走りました。
無気力だった私が、人生で初めて自分が本気でやりたい、と思えることを見つけた瞬間でした。

将来は、「誰かの人生を変えるような、そんな仕事をしたい。」そう思いました。

祖母の他界

「人の人生を変えるような仕事がしたい」という夢は見つかりました。
でも、「どうやって人の人生を変えよう?」それはまだ決まっていませんでした。
夢は見つかっても、やり方もわからなければ、起業家志向や、
上昇志向も全くない、意識があまりにも低すぎる学生だったので、
とりあえず安定した大企業を中心に就職活動をスタートさせました。

大手から何社か内定を頂いたその矢先、祖母が交通事故で他界しました。

「あんなに元気だった祖母が。まだ生きられたかもしれない命だったのに。
人生はいつどこで何が起こるかわからない。それは、自分も例外ではない。
私だって、いつ死ぬかわからない。もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。」

「人はいつか必ず死ぬ」ということを、祖母の突然の死を目の当たりにして、
痛感することになりました。

そこで私は初めて「人生」について、深く考えるようになりました。

「今もし死んだら、後悔しないか?
自分はこれまで21年間も生きてきて、この世にいったい何を残した?
世のため人のために何か成し遂げたのか?そもそも自分はいったい何のために生まれてきた?」

それを、2日間ぐらい自問自答し続けました。

そしてついに出た答えが、
「たった一度きりの人生、人生を懸けて、何か大きなことを成し遂げたい。」
そう思うようになりました。
これが、当時21歳の時です。

起業のきっかけといったら、おそらくこのタイミングだったのではないかと思います。

上場直前々期のITベンチャーに入社

「目的もなく生きる人生はもう終わりにしよう。なんとなくで、会社を選んだらダメだ。一生後悔する。」

私は、決まっていた大手の内定をすべて蹴って、もう一度、真剣に就職活動をすることを決めました。
でも、もう大学4年の7月です。
殆どの学生がすでに内定が決まっていて、就職活動を終了していました。
なのに、私は急に内定0になったのです。内心すごく怖かったです。でも中途半端なことはもうしたくはありませんでした。
自ら退路を断ち、逃げ道をなくすことで、自分自信の夢への覚悟が本気であるということを確かめたのです。

私は、ベンチャー企業に絞って就職活動を再開しました。
そこで、1社だけすごく気になる会社が見つかりました。
その会社はまだ創業数年の会社で、社員数は当時まだ十数人の小さな会社でしたが、
直感で、「この会社に入社すれば間違いない」と思いました。
本当にその会社は、2年後に上場し、今では有名な会社になりました。
そういう意味では、私は本当に環境に恵まれていましたし、運が良かったんだなと思います。

新卒で入社した会社で営業を経験した後は、エンタメのスキルをつけるために、
社員数数千人規模のメガベンチャーに転職しました。
そこでは、芸能事務所への営業や番組の企画・制作などを経験しました。

私のサラリーマン時代の一番の財産は、
急成長している会社を中から社員として経験することができたことです。
私にとってそれは大きな財産となりました。

そしてついに、起業する仲間を見つけて、24歳の時に起業することを決意しました。

人生が変わるほどのエンターテインメントを

24歳で株式会社ディールを設立。
原宿のマンションの一室で、2017年8月から会社をスタートさせました。
最初はビジネスモデルもなければ、お金もありませんでした。

ただ、「理念」と「ビジョン」だけはありました。
それだけは、一番大事にしていて、一番最初に決めました。

”誰かの人生を変えるような仕事をしたい。
社員にも、この会社に入って人生変わった。と言って貰えるような会社を創りたい。”
「エンターテインメントで人の人生を変えたい」そう思いました。
その想いを会社の理念とビジョンに込めて、会社をスタートさせました。

事業は、芸能人やインフルエンサーの広告キャスティング事業からスタートさせました。
クライアントは主に化粧品会社や健康食品会社に向けて展開していきました。
広告キャスティング事業は順調に拡大していき、
事業開始1年で取引実績は100件を突破するまでに成長しました。
念願だった本社移転も、1年で達成することができました。

事業モデルはたしかに大事だと思います。
でも、どんなに儲かりそうな事業や流行っている事業でも、
そこに”情熱”がなければ、絶対に長くは続かないと思います。
何より、同じ事業をやっていても、情熱がある会社には勝てません。

私は、事業を考える上でまず「そこに情熱はあるか。理念に沿っているか。」を重視します。
儲かるのかどうかはそのあとです。
なので私は、事業よりもまず先に、理念とビジョンを決めたのです。

クライアントを美容系の会社にしているのも、
弊社の社員が皆「美容」が大好きという共通点があったからです。
この社員の好きという情熱を強みにしたい、いかしたいと思ったからです。

株式会社ディールは、最初は実績も何もない会社でした。
でも、理念とビジョンだけは、あった。だからここまで成長できたのだと思いますし、
今も進む道を迷わずに全社員が理念とビジョンに向かって、
一丸となって突き進むことができています。

ビジョンを一緒に叶える仲間を募集します

ディールは「世界一の総合エンターテインメント企業を創る」
というビジョンに共感した社員が、一丸となって突き進んでいる会社です。

ベンチャーなので、年齢や社歴関係なく、自ら裁量を求める人には誰にでもチャンスがあります。
理念とビジョンに共感し、本気で「自分がこの会社を世界一の総合エンターテインメント企業にする」
ぐらいの”覚悟”と”情熱”がある人に是非来て頂きたいですね。

スタートアップベンチャーは、大手やメガベンチャー、ミドルベンチャーと違って、
今後会社が、何百人、何千人と急拡大していく過程を、中から体験できます。

それはきっと、あなたにとって最高の経験になるはずです。
たくさんの方のご応募お待ちしております。

《 株式会社ディール 代表取締役社長 小野瀬冬海 》


株式会社REGOLITH 代表取締役 清水和希

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株式会社REGOLITH 代表取締役 清水和希

株式会社REGOLITH 代表取締役 清水和希

設立 2018年4月1日
事業内容
  • 多言語翻訳
  • ローカライゼーション
  • 翻訳スクールの運営
  • オンライン英会話スクールの運営
  • 犬のしつけ講座の販売
  • ドッグフードの開発・販売

★ 書籍「世界一ハードルが低い!1日1時間らくらく起業術(プチサク起業術)」

会社HP https://regolith-ltd.co.jp/
http://asanomethod.com/trans/
https://www.wantedly.com/companies/shimizukazuki

どのようなきっかけで株式会社REGOLITHを起ち上げたのでしょうか?

株式会社REGOLITH を立ち上げる以前は、
自身の著作「世界一ハードルが低い!1日1時間らくらく起業術(プチサク起業術)」に記載されている
『自分の強みを活かして起業するネット起業法のノウハウ』を教える事業を行なっていました。

その中で自分よりももっと素晴らしいノウハウを持った様々な方と出会っていくうちに、
「素晴らしいコンテンツを持っているけれども、
マーケティングができないだけで世の中に埋もれてしまっているのはもったいない」
と思うようになりました。

自分の強みはマーケティングだったので、
マーケティングに困っている方にとってもお役に立てるのではないかと思い、
株式会社REGOLITHを起ち上げました。

REGOLITH(レゴリス)は、「月の表面を覆っている堆積物」の意味を持つので、
「月を覆うレゴリスのように、地球の上を自分のプロデュースする商品でいっぱいにする」
という想いを込めて、現在の社名をつけました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

株式会社REGOLITHを起ち上げる前に行っていた事業の売り上げが低迷し、
廃業寸前になってしまっていた時は大変というよりも不安だらけでしたが、
同時に新規事業の起ち上げを進めていたのと、
元来仕事がとても好きでしたので、
大変だったと思ったことは正直あまりありません。

しかし、信頼している仲間が辞めてしまってとても辛い思いをしたことはあります。
大学の親友とも呼べる同級生2人とネット起業法を教える事業を起ち上げたのですが、
売上の低迷などの問題も相次ぎ、2人はアルバイトや就職をすることになって辞めてしまいました。
知り合ってからを含めると3年くらいの仲でしたが、
それ以来連絡を取ることもなくなってしまったのが悲しかったです。

株式会社REGOLITHの強みを教えてください

インターネットを使ったマーケティングが強みです。
現在行なっている翻訳、英会話、犬のしつけ講座、通販などの事業のほかに、
視力回復、WEBデザイナー、スピリチュアル系など幅広い業界のプロデュースを行ってきましたが、
どれも数千万円以上の売り上げを出しており、翻訳に至っては4億円近くの売り上げを出しています。

会社には大きく分けるとマーケティング、組織化、継承(上場・売却も)という3つのフェーズを踏み、
その中でも立ち上げ段階の会社であれば「マーケティング」が命だと考えています。
逆に「マーケティング」ができるだけで一生食べていけるスキルがつきますし、売り上げも安定するので、
もし起業されたい方や起業したけれどまだ年商1億円すら満たない状況であれば、
真っ先にマーケティングを学んだ方が良いと思います。

マーケティングは弊社の強みであるのでお役に立てることもあるかと思います。

会社を経営する上で、清水和希様が特に心がけている事を教えてください

株式会社REGOLITHはまだ10人程度の少数な会社なので、
一人一人のスタッフの仕事ぶりをしっかり評価し、きちんと向き合うことが一番大事だと思っています。

起業術系の書籍を出版してることもあってか、
弊社には起業をしたい・とにかくいっぱい稼ぎたい方が来られるのですが、
中にはお金はほどほどに、プライベートを大事にしたいという方もいらっしゃいます。

そういった、価値観や性格が違う人が集まってもみんなで一丸となって気持ちよく仕事に取り組むことができる環境を作ることが経営者としての務めだと思っているので、
月に1回社員で飲み会を開いたり、たまにスタッフ一人一人とランチに行ったりするなど、
コミュニケーションをしっかりして、スタッフの考え方や悩みなどを定期的に聞くよう心がけています。

今後のビジョンについて教えてください

現在株式会社REGOLITHで行なっている翻訳事業と犬の通販事業、しつけ講座の事業は
日本一になるまで大きくしていきたいと思っています。

どの業界もそうだと思うのですが、翻訳業界も犬の業界もやっぱり大きな闇があり、
翻訳業界であれば、翻訳スクールに通ってもほとんどの人が翻訳家になって稼ぐことができなかったり、
犬のフード業界も利益追究のために不都合な事実を隠して都合の良いことだけしか書いていなかったり、
しつけも犬にストレスを与えてしまうような誤ったしつけ方が横行していたりなどがあります。

ですので、そういった業界の健全化をはかるために、きちんと実績を出し、
お客様に満足していただけるようなサービス作りを心がけ、
日本一の翻訳家コミュニティやしつけ教室、ドッグフードと呼ばれるようになっていきたいと思っています。

また、面白い事業を次々と立ち上げ、あと4年でグループ会社を20社ほどまで発展させ、
自分で手がけた世の中のためになるようなサービスで世の中をいっぱいにしていけたらと思っています。

《 株式会社REGOLITH  代表取締役 清水和希 》

株式会社ツインズ 代表取締役 梶原 隆司

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代表取締役 梶原 隆司

代表取締役 梶原 隆司

設立 1999年4月8日
事業内容
    • キッチン用品、電気用品、DIY商品、雑貨の輸入販売(商品コンセプト:「健康」「快適」「利便性」「環境配慮」)
    • 鋼材の輸出
    • 不動産賃貸業
会社HP http://twins-corp.com/

どのようなきっかけで株式会社ツインズを起ち上げたのでしょうか?

そもそものきっかけが、以前働いていた電気部品を扱うメーカーが倒産したことでした。
元々、経営者になりたいという強い意志があったので、この機会だと思い起業したんです。

それに、周りの人の後押しもありました。
その1人が、以前働いていた家電メーカーで一緒に働いていた当時の香港・台湾工場の社長です。

私が独立の考えを話すと、
『是非ともうちで生産した家電製品を日本で販売してくれ、お金は売れて入金になってからで良い。』 と
心強い言葉をいただいたんです。

それともう1人、奥さんにも独立の話をすると、双子の子供が出来た直後でもあり、
反対されると思っていたのですが、特に反対されることなく、資本準備金として60万円を渡してくれました。

当時、安月給だった私には、貯金など無いと思っていたので、
コツコツと貯めていてくれてくれたことに感謝したものです。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

売れない在庫を抱え込んだ時ですね。

例えばアクエイター(水を使ったラジエターヒーター)を
台湾のメーカーと日本総代理店契約するのに年間2万台購入したのですが、
日本は「水を使った=エコ」だからと言って、商品を購入する程 エコへの関心は弱く、
初年度は1,500台しか売れませんでした。

最終的に5年かけて在庫の18,500台を販売しましたが、
そのために問屋、量販店を色々回ることになりました。
その時出来た人脈が、今でも活きています。

もう1つ印象的だったのは、鉄鋳物フライパン(FE宣言)を仕入れた時でした。

これも鉄鋳物で熱伝導が良く、鉄分も取れると言うことでたくさん仕入れましたが、
重量が重かったためか中々売れず、多大な在庫を抱えてしまったんです。

通販商材だったこの商品をいきなり大手量販店で販売し 売れ残ってしまったことで、
売れないレッテルを貼られもしましたが、今考えると、販売戦略が未熟だったのが原因でした。

あとは、信頼していた中国人パートナーに1,700万円持ち逃げされたことでしょうか。
設立5年目、年商3憶円程の時期でこの1,700万円は非常にきびしく、
人間不信になりましたが、めげずに頑張りました。

貴社の強みについて教えてください。

当社の強みは8つあります。

① 物づくりが出来ること。
② 商品開発が出来ること。
③ 品質管理が出来ること。
④ 流通業を営む上で必要なインフラ (倉庫、ピッキング、出荷、検品、配送)が整っていること。
⑤ 海外メーカーと直接取引をしている (商社通さず、英語、中国語できるスタッフがいる)こと。
⑥ 経営者含め4番バッターはいないが、チーム力での勝利を掲げていること。
⑦ 大手量販、通販業者と直接口座取引している (中間商社使わず、利益率が良い)こと。
⑧ 理想的なメーカー問屋機能を持っていること。

これらの強みを活かし、時代とともに変化するライフスタイルを見極め、
当社の商品を通じて人々を元気に、快適にできる商品を世に送り出していけるよう、邁進していきたいと思います。

会社を経営する上で、梶原様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

私が心がけていることは、「未来製品、ビジネスの創造」「人材・組織育成」「体・心・技」です。
これまで会社を経営してきて、大切なことだと実感しています。

今後のビジョンについて教えてください。

まずは、筋肉質な経営で、年商50億円を達成することです。
それとマザーズ上場ですね。
両方とも2023年までに達成する予定です。
そのためにも、全国区にツインズの商品を広めることが必要だと考えております。

《 株式会社ツインズ 代表取締役 梶原 隆司 》

株式会社NIC 代表取締役 岩松 勇人

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代表取締役 岩松 勇人

代表取締役 岩松 勇人

設立 2013年6月27日
事業内容
    • 物販事業
    • コンサルティング事業
会社HP https://iwamatsuhayato.com/

これまでのご経歴について、お聞かせください。

2010年に脱サラしまして、個⼈事業主として物販ビジネスを始めました。

最初は失敗続きでしたが、コツをつかんだことで安定して
⽉100万円以上を稼げるようになり、利益がどんどん増えていったのです。

このノウハウを皆さんにもお伝えしようと、
物販ビジネスを拡⼤しながら、コンサルティングを始め、
2013年、株式会社NICを設⽴するに⾄りました。

これまで、多くの⽅々にお会いし、対⾯で物販ビジネスを教えてきましたが、
朝の10時から夜の10時までコンサルをするような⽣活で、
⽇本で⼀番”密度濃く”実施したのではないかと思うほどやってきたと思います。

そうした中で、10年間、副業でまったく稼げなかった会社員が年商5000万円になったり、
AmazonやYahoo!などに頼らず、独⾃のプラットホームを構築して、
⽉の利益が300万〜400万円になった⽅や
年商3億から7億になった法⼈が現れるなど、コンサルの成果が⾒えてくるようになりました。

経営理念についてお聞かせください。

私が⼤切にしているのは、「本⾳でお伝えする」ことです。
「本⾳・本物・本気」ですね。

⼀般的に、⽇本の社会では、お⾦の話はタブー視されているところがあり、
⼝にしにくいものです。

しかし、実際はみなさん、もっとお⾦が欲しいと思っているわけです。

資本主義社会で、お⾦を⾃分で稼ぐ⼒は最も優先度が⾼いといっても過⾔ではありません。
稼げていないという現実に、しっかりと向き合ってもらうためにも、
何がダメなのか、何をするべきなのかを、オブラートに包まずにズバッとお伝えします。

私のコンサルは、かなり⾟⼝。場合によっては激⾟ですから、
本気じゃない⼈にとっては苦痛かもしれません。

しかし、コンサルティングで遠慮していても、何の問題解決にもなりません。
私は、ビシバシ伝えることで、
本気でお⾦を稼ぐ⼒を⾝につけたい⼈たちに、価値あるものを提供したいと思っています。

これまでに、どのような苦労がありましたか?

私がコンサルティングで最も苦労すると感じるのは、
⼈の価値観(マインド)を変えることです。

何⼗年と⽣きて培ってきた⼈の価値観を、
たった数ヶ⽉のコンサルで変えるのは⾮常に困難です。
もちろん、中には、何年間も継続してコンサルを受けてくださる⼈もいますが、
⼈⽣レベルで考えると、短い期間であることには変わりありません。

また、多くの場合、「稼ぎたい」「成功したい」と思っていても、
今の状態や⽣活は居⼼地が良いものです。
そういった現状維持マインドが強い⼈を引っ張っていくのは、本当に難しいと思います。

いかに短い時間で、ピンポイントでアドバイスをし、
相⼿の価値観を変えられるかは、
コンサルティングの永遠のテーマと⾔えるのではないでしょうか。

貴社の強みについてお聞かせください。

スタッフも含めて、私の周りにいるのは24時間365⽇、ずっとビジネスのことばかり考えている、
いわゆる「ビジネスおたく」ばかりです。

家族と過ごす時間もありますが、そんなときも、何らかのビジネスアイデアを考えていたりします。
休みという概念がないのです。
私⾃⾝、2013年に会社設⽴してから6年が経ちましたが、1⽇も休まずにビジネスをしています。

そういう⼈たちから、直接話を聞けたり、新しい価値観に触れたりできるのは、
弊社の強みだと思います。

また、私は、実際にいろいろなビジネスをやって検証してみて、
その結果をもってお伝えするようにしています。
実際にこれだけのことを、⾃分でやっているコンサルタントは、あまりいないと思います。

時間と量をこなしてこそ、質が変わり、他と差別化できるのです。

今後の会社としてのビジョンはありますか?

今までは、私個⼈が表舞台に出ていたのですが、
今後はチーム体制で、みなさんをバックアップしていきたいと考えています。
⾃動⾞教習所では、教官が運転を指導するのであって、教習所のトップは出てきませんよね。

私のチームも同じで、いろいろなスタッフがいて、より良い指導ができると思っています。
もちろん、私もコンサルを続けますが、
会社を拡⼤していこうと思ったら、チームでやる意識が必要です。

昭和は、いい⼤学を出て、いい会社に⼊って、
年功序列、終⾝雇⽤という価値観が固定した時代でした。
それが、平成で少しずつ多様性が認められるようになり、
YouTuberのような新しい職業も誕⽣しました。

令和は、さらに多様性が認められていく時代になるのではないでしょうか。
誰もが⾃由にビジネスをしたり、副業をしたりするようになると思います。

ビジネスをしたい⽅が、弊社に来てくだされば、
まるで⾃動⾞教習所のようにビジネスができるようになるのが理想。

令和の時代にマッチした⼈材が増えれば、
⽇本の未来は明るいですし、弊社もそれに貢献したいと思っています。

《 株式会社NIC 代表取締役 岩松 勇人 》

株式会社シーラホールディングス 取締役会長 杉本 宏之

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取締役会長 杉本 宏之

取締役会長 杉本 宏之

設立 2009年3月3日
事業内容
    • 不動産の売買、賃貸、管理及び仲介
会社HP https://sylaholdings.jp/

今回は、株式会社シーラホールディングスの杉本宏之会長に
インタビューをさせて頂きました。

11月に入ってから新しく書籍を出版され、
今回出版された書籍は、経営理念や行動指針をテーマにされているということです。

そこで今回は、経営理念や行動指針の意図や背景、文章を読んだだけでは
読み取れないような想いを重点的に聞いてみました。

自己資本比率は40%近く、保有物件の稼働率99.9%という驚異的な数値を叩き出し、
今や年商200億にまで成長したシーラホールディングス。
経営理念や行動指針など、会社を支える「軸」に迫ります。

【1】
質問:
出版する本にあたり、
今回は、シーラホールディングスの経営理念・行動指針についてということですが、
なぜ経営理念・行動指針を題材にしようと思ったのですか?

杉本会長:
これは題材にしようと思ったわけではなく、
扶桑社の山口編集長が、以前から行動指針や経営理念を読んで頂いていたみたいで、
何度も通って頂いて本にしたいと仰って頂きました。

ここ最近、色々ありまして、ものすごいテレビ出演の依頼とか、本だしませんか?とか、きたんですよね。
だけど、どれも明確な理由がない。
山口さんだけは、随分前からうちの経営理念や行動指針を読んで頂いていて、何度も通って頂いていたので。
「御社の行動指針・経営理念が素晴らしい」と仰って頂いて、話しているうちに彼女は本気だなと思いました。
そんなに仰って頂けるなら出しましょう、となったのが経緯です。

僕は全く本を出版しようと思っていなかったし、
題材にしようと思ったこともなかったので、ありがたいなと思いました。
本当に山口さんのおかげでできたし、スペシャルサンクスは山口さんだと思っています。

【2】
質問:
今の経営理念・行動指針にたどりつくまでに
影響を受けた本や影響を受けた人物、考え方などがあれば
教えていただけますでしょうか。

杉本会長:
やっぱり、僕の中で一番大きかったのは、
サイバーエージェントの藤田さんと、幻冬舎の見城さんですかね。
一番大きく影響を受けた人物です。

考え方としては、見城さんがいつも仰っている「義理・人情・恩返し」、
あとは「真心をこめる」です。見城さんは「真心」という言葉をよく使うんですよね。

例えば、言い方が悪いですが、
どんな下っ端の人が来ても、どんなに無名な人が来たとしても、
額に汗して「今日は見城さんにお話を聞きにきました!」って真心こめて来ている人はすぐ分かるし、
こちらも真摯に対応すると。
どんなに偉い人でも、高名な方だったとしても、その人が自分に気持ちがない、真心がないと思った瞬間に、
そんなやつと一緒にいたくない、仕事を受けたくないと思う。
だから、立場やお金とか、仕事ですごい会社をやっているとかではなくて、
「真心」なんだってことをよく仰っています。

あと「圧倒的努力は岩をも通す」とよく言うんですけど、「人がやっていないことをやれ」と。
「人がやっていないことを苦しんで苦しみぬいて、
それを懊悩してやり抜くから突き抜けることができるんだ」っていう、
見城さんのこの3つの言葉はすごい印象に残ってますね。

藤田さんの話をすると、この本の中でも書いたんですけど、
僕が一番苦しい時に「もうリーマンショックで会社が潰れそうです」と相談をしに行った時に、
藤田さんは上場前から投資して頂いていたので、
今売れば株は利益がでるという事は十分に分かっていたと思います。
そんな状況もあり私は、少しでも助けてくれないかな、という甘い思いもあって行ったんです。

藤田さんはその時に、
「役員からもエスグラントは潰れる可能性もあるから株を売ろうと言われ、
その方針が決まったし、売れと言われてるから」って言われて、
その時はリーマンショックの最中で色んな人に裏切られているので、疑心暗鬼になっているわけですよ。
「藤田さん、あなたもか…」という具合に勝手に逆恨みをしていました。(笑)

それからしばらくして、民事再生が終わった後に、最後に株主の欄を見ていたら、
サイバーエージェント藤田晋という名前が載っているわけです。
一株も売られていないんですよ。それで、これはどういうことですか、と聞きに行ったら、
藤田さんは「株を売ると言ったつもりはない。
結局、俺個人が株を売らないと言ったら、会社も売らないということになって、
どうせ二束三文で売るぐらいだったら、杉本の可能性にかけようということになったんだ」と言ってもらって。

こうした貴重な体験から、苦境に陥った若者を助けるってことは
すごく大きいチャンスなんだということを学んだんですよね。

だからベンチャー投資でも、スタートアップに投資をするだけではなく、
苦しくなった会社に救済投資するとか、局面をよく見極めて投資するようにしています。

藤田さんは「結局、つぶれちゃったけど」とか言いながら、
もう一回僕が「起業したい」と相談しに行った時、即断即決で出資をしてくれたんです。
もう3億ぐらい損しているのに、また出資してくれたんです。それは非常にありがたいことでした。

ただ、時価総額8億くらいで投資してくれていて、
ストックオプションと追加出資でもう今14~15倍になっていることを考えると、
結果的に藤田さんには少しだけ恩返し出来たかなと思います。

ただ、お金以上のものをいただいたので、
そういう人の心を動かすとか、人の心を揺さぶるタイミングがあるんだというのは、藤田さんから学びましたね。

【3】
質問:
経営理念・行動指針を従業員に伝え浸透させることも重要かと思いますが、
普段、意識されていることや取り組まれていることがあれば教えてください。

杉本会長:
この本でも書いたんですけど、自分も一回そういう大失敗をして、400億という負債を背負って、
その時に、ちやほやしていた人達が、潮が引くようにどんどん引いていくんですよ。

で、また復活して、会社が成長していくと、
何事もなかったかのように戻ってくる人もいるし、知り合いのように連絡してくる人もいる。
そうした、色んな人間模様を見てきた中で、僕自身は常にフラットにいきたいと思っているし、
どんな人に対しても平等で、どんな時もどんな場面でも、誰の前でも同じことを言い続けたいと心掛けています。

要は、管理職の人にはよく言うんですけど、
僕の前では清廉潔白で、いいことを言って、
社員の前ではいきなりとんでもないゲスなことを言い始めたりしていたら、人間として信用できないでしょ、と。
逆に僕に突っかかってでも、「いや僕は現場の社員を守ります」ぐらい言ってくる人のほうが
信頼できるよって言ってます。
本音で言えばそんな人ちょっと嫌だけどね。(笑)バランスとれたら言うこと無しです。(笑)

だから、僕自身も目上の人とか、銀行の人とかにはどんな場面でも
同じ事を言い続けるようにしています。

例えば、ビジネスにおいては不利な立場になるってこともあるじゃないですか。
ビジネスは、有利不利、常にカードのきり合いだと思っているので。
ビジネスの現場では、最後このカードを残しておかないといけない、とか僕も考えるんですけどね。
だけど、どこの場面でも、こちらが有利な立場にたったとしても、
相手へのリスペクトを持たないといけないと思うんです。

総合的には、正直で愚直でいることだと思うので、
結構、こちらの手の内も言っちゃう場合が多いですね。(笑)

不動産の価格交渉でも「お金に困っているので、今月決済しないといけない」と言われることがあります。
5億円で出していたけど、4億円でどうしても売りたい物件があると。
その場合、相手の内情も聞いた上で、
こちらの手の内も明かして、3億5千万だったらキャッシュで決済するよ、というようなことも伝えてしまいます。

不動産取引ではよくあるんですよね。
契約3日前に「やっぱり契約しない」なんてことも。
もっと相手を追い込んで3億に下げるとか。
それは不動産会社の優越的立場の乱用の常套手段ですよね。
えぐい会社はがんがんそういうことやってきますから。
僕もそういうことやられたことがあります。
だけど、それは「二度とこいつと取引するか」と思ってしまううし、やっぱり禍根を残すわけですよね。
そうやってのしあがってくる会社もあるんだけど、僕はそういったことはやりたくない。
だから予め絶対に裏切るということはしないと伝えて、
その代わりうちの立場とおたくの立場を考えて、お互いに爪を伸ばさないで、という話をして、
結果3億5千でまとまるとか。そういうことです。

だから、何処でも誰とでもどんな場面でも、
なるべく一定の考え方、平等でありたいということを伝えていくようにしていますね。

もう一つは、人生で様々な経験をして、
自分の人生の目的とは何かを考え、僕は「関わる人達を幸せにする」というはっきりとした目標を掲げたので、
そこからは、あんまり儲けるためにとか、この人を利用してやろうとか、そういった考え方がなくなっていったんですね。
ギブアンドギブアンドギブで良いと。
それがいつか自分に返ってくるという考え方に切り替えた。
そしたら、人に尽くすことも迷わなくなりました。

人が杉本と関わって良かったなと思ってもらえるように動くと決めたので、
売上利益もあんまり言わなくなりました。
お客さんが幸せになった結果、うちに利益をもたらしてくれるんだから。

社員が「この物件を仕入れて良いですか?」と言ってきたときに、
「本当に良い物件だと思っている?」ということを聞くと、社員が勝手に考えてくるんですよね。
良くない物件なら「やっぱりやめます」ということを勝手に結論だして言ってくるんです。

会社は、インセンティブももちろんつけるし、
それなりの所得をとってもらわないと、社員達も幸せになれないじゃないですか。
うちは、現場の営業でもトップは年収3,000万ぐらい稼ぐ人がいるんですけど、
でもそれは「無理してお客さんに売るなよ」ということを常に言ってますね。

【4】
質問:
今回出版される本はどのような人に読んでほしいですか?


 

杉本会長:
一番は、頑張っているビジネスマンの人達。
また、何かを成し遂げようと頑張っている人達に読んでほしいですね。
頑張ってない人が読んだら、
随分暑苦しい本だなと思っちゃうと思うので…。
頑張っている人達に読んでほしいです。

【5】
質問:
ブログには「失敗の経験ではどんな経営者にも負けない自負があります」と
書かれていましたが、
経営理念・行動指針もやはりご自身の失敗などの経験が
元になっているのでしょうか?

杉本会長:
まさしく、自分の経験と、あとは先輩方の経験などをもとにしています。
本の中にエピソードも散りばめられていますけど、自分の経験は大きいですね。
ただ、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という言葉にある通り、
経験だけに囚われてはいけないということは常に考えています。
歴史に学ぶということも意識してますね。
なので、周りの失敗とか、過去の企業の失敗とかも含めて、
自分の経験に照らし合わせて理念を創り上げました。

【6】
質問:
シーラホールディングスの企業理念
「安心と愛と感動で世紀を超えて永続する。」には、
どのような意図や思いがあるのか、
詳しくお聞かせいただけますでしょうか?

杉本会長:
この名の通り、本でも書いたんですけど、
「安心と愛と感動で世紀を超えて永続する。」というのは、
聞く方が聞くと、「安心と愛と感動…綺麗事じゃん」みたいな、
ちょっと気持ち悪いなって感じる人もいると思うんですよね。
実際に「そんなことはどうでも良いんだよ」って見城さんにも言われてしまったんですけど。(笑)
「本音でいえよ」って。(笑)

でも、これは僕の本音でもあって、
エスグラントの経営に失敗した時に、この3つの視点が大きくかけていたなと感じたんですよね。

「安心」って何かと言ったら、
銀行からも安心して貸せる会社、取引先も「あ、この会社なら安心して取引ができるな」と思ってくれる会社、
社員も「この会社だったら安心して長く働けるな」と思ってくれる会社。
そういう安心に繋がるってことが、やっぱり愛情に昇華していくと僕は失敗して痛感したんです。

「危ういな、この人達、なんだか毎回方針も変わるし、イケイケドンドンで若い人達が高揚してるし」と思われるような、
自分たちの自己満で急成長している会社って僕は一番危ういなと思っています。

短期的に爆発的に力を発揮するのは割と簡単だと思う。
誰でもとは言わないけど、割と多くの人ができる。
けど、それを企業として継続していく、30年、40年、50年とサステナビリティがあるということは、
非常に難しいことだなと思います。

ビジネスマンでもそうじゃないですか。
1年、2年と短期の結果って必死に頑張れば誰でも出せるけど、
じゃあ、5年経った時、5年分の結果を平均したらどうなるの?って言われるとなかなか難しい。

つまり、サステナビリティ=安心と愛。
安心できる人になる。
それは言動とか行動もそうですし、
「なんか見ていて安心できるな」って思える人達が
そういうところに愛着がわいて、愛情が湧いていくのかなと。

そうすると会社が永続していくんだろうなって。
世紀を超えて長く愛される会社になっていくためには、
安心と愛と感動はテーマだなと本気で思っています。

なので、まず一番大事にしているのは安心なんですよね。
それは理由があって、エスグラントの時は、金融機関も不安だし、
「この会社貸して大丈夫か?」って思っていたと思うんです。

だから、我々も貸し剥がしにあってしまったし、
取引先も安心していなかったからこそ離れてしまったと思うし、
そこに安心と愛がなかったからこそ、
突き抜けて感動を生み出せるような会社になれなかったし、
サステナビリティもなかった、そういう反省の思いも詰まっています。

【7】
質問:
行動指針の中に
「事業計画は最高のシナリオと最悪のシナリオの2本立てだ。
ポジティブとネガティヴの狭間にこそ、輝きを放つ成果が埋まっている。」という
項目があるかと思います。
「ポジティブとネガティブの狭間」という部分が
少しイメージしずらかったのですが、
つまりどういう行動をすることなのでしょうか?

杉本会長:
ビジネスにおいて3年とか5年とか目標を立てて、売上を計画していくんですけど、
そんな計画通りに3年後、5年後と上手くいく事業計画なんてなかなかないじゃないですか。

短期的に上方修正することができたとしても、
さっきと同じで、継続ってなかなか難しいし、
最高のシナリオ考えて最高のシナリオ通りにいくっていうことはまずない。

それが外部要因によって、
例えば、僕らはリーマンショックによって描いていた売上450億という目標が、
320億という結果になってしまうんですね。2008年6月期に。

その時、最高のシナリオを描いたんだけど、スタンダードシナリオは400億、最悪のシナリオは350億だった。
うちの実力なら最低でも350億できる、普通にやれれば400億を超える、
でも上方修正できる目標としては450億まで頑張ろう、とスタートしたんですけど、
まさかの最悪の想定も下回るという結果になりました。
それは外部要因のリーマンショックによって、金融がとまって、すべてが最悪の方向に動いた。
そういう経験をして、やっぱりこういうことって起きるんだなってなりました。

だから、自分達がいくら最高のシナリオを想像したからといって、
その通りになるとは限らないし、
やっぱり事業って結局人が動かしているので、
人が裏切って独立するかもしれないし、
キーマンが病気になってしまうかもしれないし、
クライアントが倒産してしまうかもしれないし、
世の中の外部的な要因で、今だったら米中協議がうまくいかないとか、
北朝鮮がミサイルを発射して戦争が始まるとか、分からないですけど。
起こり得ても不思議ではない。

その最高と最悪のシナリオを想定しておけば、何が起きたとしても耐えられる。
だから、最悪のシナリオを僕たちはいつも想定していて、準備ができているとは
自負しているんですよね。

そうやって、ずっとキャッシュを貯めてきているうちに、
今や販管費の3年分のキャッシュがあって、
自己資本比率も40%近くになってきていて、
不動産会社としてはピカピカの財務諸表になりました。

銀行からもお金貸したいと言ってくれるような会社になったんですけど、
直近では45年でお金を貸していただけると提案頂きました。
45年でコベナンツなしなので、
いくら赤字になっても、債務超過になっても銀行がうちに貸し続けないといけない契約なんです。

そこまでの条件で銀行さんが貸して頂けるって会社となると、
ゴールデンサイクルというか、どんどんキャッシュが増えていくし、利益がでる。
45年1%で調達したお金で5%、6%の不動産を買ってくるわけですから、
少し大げさに言えば、半永久に儲かるというサイクルになっていくわけです。
もちろん、リーマンショックみたいなものがあれば、評価が下がるということはあるんですけど。

でも、45年で借りたら、短期的に下がったとしても持ち続ければ良いわけです。
5年で借りたりするから6年後に売らなきゃいけないってなるんです。
うちは45年かけて持っておけば、さすがにこの資本主義経済の中ではでっぱりひっこみがあったとしても、
結果的に元値ぐらいとれるだろうという計算はしていて、
今度は60年債をやって頂こうと話しているぐらいです。
60年っていうと「俺達、会社にいないよね」なんて言ってますけど。

と言う訳で、潤沢な資金があって自己資本比率も高く
銀行さんからも立派に評価して頂ける会社になれたんですが、
しつこく50年で貸してくれ、60年で貸してくれ、なるべくキャッシュ使いたくないんで、って
言い続けているんです。
銀行からすれば、「なんで、御社はお金あるじゃないですか」と。

一回、既に取引のある某銀行さんの営業担当が、期末の成績もあって、営業に来ました。
それで、金利1.8%20年で貸してくれるってなったのですが、
最後に審査部に否決された理由が
「あの会社はうちから借りる必要ないでしょ」という理由だったんですよ。
「なんでうちから借りるのわざわざ」って審査部が懐疑的に思ったのが一番大きかったらしいです。

どうせ早く返すでしょ、20年で借りるって言っているけど、3年とかで返すつもりでしょ」って
真顔でうちの役員にお話し頂いたみたいです。(笑)
そんな事したことないし、する訳ないんですけどね。

つまり、それぐらい最悪のシナリオを想定しておこうという危機感ですよね。
リーマンショックになって売上半分になったらどうする?という話し合いを定期的にしていますので。

でも、いきなり売上半分ってことが起こるっていうのはまずないですけど、
本当に再び100年に1度の不況が来たら、そしたらリストラも考えなきゃいけないかも知れない。
そうなった時に、社員を新しく雇い入れる時、
30年雇用して退職金まで払うつもりで雇用できる?など、シビアに話し合っています。

なので、新卒も書類で1,000人の応募がくるけど、6人しか採らない。
0.6%っていうものすごい狭き門です。
新卒の方々には失礼なんですけど、
やっぱり我々としては、大量に雇って大量に辞めればよいという考え方はできない。
だいぶ前はそうだったんですけど。
今は6人入れたら絶対5人は残す。
そういう気持ちでものすごい面接も重ねるし、うちはそういう会社ですよということを伝える。

ポジティブとネガティブってそういうことだと思うんです。
常にそこで揺れ動いている、そうするとそこの中に答えが見いだせる。
企業としても成長していくし、
ポジティブとネガティブの狭間で揺れ動いているうちに色々な答えが見つかると思っています。

【8】
質問:
行動指針の中に
「リーマンショックを忘れるな。実力以上の借金が身を滅ぼす。」という項目が
あるかと思います。
やはりリーマンショックの前と後では
経営理念・行動指針に変化はあったのでしょうか?

杉本会長:
当然ですよね。今の私の経営スタイルはこの時の経験が元になっています。
大きな変化はありましたし、
やっぱり100年に1度の大不況を経験できたってことは僕の人生にとって、大きな経験でした。

僕達の時代は、90歳ぐらいまでは生きていくだろうし、
おそらく75歳ぐらいまで仕事するんだろうなと。
そう思うと、30歳で経験できたってことはその後の40年間にとって、
ものすごく大きな経験だったと思うんです。

ご迷惑をかけた方々には大変申し訳なく思いますが、
僕個人としてはすごく勉強になったし、あの時の経験があるから今があるって
言えるようにしなきゃいけないと思っています。
リーマンショックで潰れちゃって、いつまでも愚痴をいって、
僻みや妬みを言っているような人には絶対になりたくなかった。

結果的にリーマンショックがあって400億円の借金を抱えたからこそ今の自分がある、って
言えるようになれたのはすごくありがたいし、あの変化がなかったらどうなっていたのかは逆に心配ですね。

今は哲学があるから、事業を儲かるからやるってことはないです。
そこにお客様がいて、住んでいる方がいて、
長期的に社員やお取引先やお客様が幸せになるということを考えてやるということです。

リーマンショックの時はそれが置き去りになっていた。
まず自分たちが儲けることに変わってしまっていたんです。
まずは売上あげようよ、利益あげようよ、
綺麗事抜きにこれがないと成り立たないでしょ、
東証一部上場なんてできないでしょ、というように変わってしまって、
社員やお客様、取引先が置き去りにされてしまった。

物件を見たときに、「利益は?」という会話からスタートするぐらいでした。
そうじゃないですよね。人口動態を調べて、開発の状況をリサーチして、
街にサステナビリティがあるのか、建物は100年存在してちゃんと利回りをあげることができるのか、
買ったお客様が幸せになるのかとか、それを考えた上で、計画も立てていかないといけない。

今のうちはそれがあったからこそ、99.9%稼働しているんです。

最近は、不動産会社でも不祥事が相次いでいますが、
お客様の幸せが置き去りになって、シェアをとることを優先しろってなっているとか、
あるいは今流行りのベンチャー企業が調達した資金を使いきれとか、そういう発想だったらおかしくなる。
お客様とかマーケットが置き去りにされている。
そんな会社は遅かれ早かれ必ずおかしくなります。

リーマンショックの前と後で大きく変わったかと言うと、そういった考え方が変わりました。
我々の理論だけで、お客様を置き去りにしちゃいけないということです。

そういう意味では、2008年のあの出来事は、
僕に経営者としての信念を植え付けてくれる結果になったと思います。

【9】
質問:
経営指針5カ条の中で
「烏合の衆は負ける。少数精鋭で勝つ」という言葉がありますが、
これから規模が大きくなっていくにあたって、
「精鋭部隊」を維持していくのは難易度が高くなっていくのではないかと思います。
精鋭部隊を維持していくために力を入れていきたい取り組みや
現状行っている取り組みがございましたら、教えて頂けますでしょうか。

杉本会長:
今回だした本に書いてあることが全部だと思うんですけど、
それはやっぱり経営理念や行動指針をよく理解をしてくれて、
社員たちが腑に落ちてくれないと意味がないです。

僕らがいくら大きい旗を掲げても、
それが「笛吹けども踊らず」という状況になれば、形骸化してしまうので、
それをいかに浸透させていくかだと思っています。

そのためには、会社が良くなっていかないといけない。
成長していかないといけないと僕は思います。
企業は綺麗事だけでは成り立たないので、売上と利益だけは絶対にあげていくと。

その中でやらなきゃいけないのは、
我々が作り上げた経営理念と行動指針を徹底して社内に浸透させる努力だけだと思っています。
この会社のクオリティを維持していくということ、そしてその経営理念・行動指針を
社員のみんなにいかに分かり易く腑に落ちてもらって理解してもらうかが大事だと思うので、
我々も身を切っていかないといけない。

どういうことかと言うと、
会社が利益をあげて成長するためにしっかり社員に還元していくことだと思っています。

この本にも書いているんですけど、当社のインセンティブは、ほぼ全部門についていて、
全社員が自分の成果をお金でも数値でも分かりやすくしています。
また、出社時間を一気に朝9時から10時半にするとか。
クレームあったんですけどね。
いや、朝9時から稼働している会社からすると、「シーラは朝連絡つかないから嫌だ」と。

でもそういう会社ですって言い続ければ、周りの取引先も理解してくれると割り切りました。
僕はとにかく社員達に満員電車にゆられてほしくなかったんです。

別に朝早く来たい人は来てもいいし、早く来て朝の余裕がある時間帯にレポートまとめるでもよい。
朝30分でも余裕があるだけで全然違うじゃないですか。

若手の社員だと朝4時まで飲んだくれても5時間は寝られるみたいな。(笑)
また、遠方に住んでいる人は本当に満員電車に揺られなくなって良かったって言ってくれています。

さらに、オフィスから歩いていける距離に住んでいる人は月3万円の住宅手当を支給しています。
そうすると、多くの社員が歩いていける距離に住む。
朝10時半出社だから、みんなで朝食MTGやったりとか、朝活で他の会合に顔出したりとか、
朝がすごく有意義に使える。

会社に縛られない朝が過ごせるのは、すごく有効だと思ったんですよね。
僕も朝は8時とかには起きちゃうんですよ。
別に朝9時に来るってのは苦じゃないんだけど、2時間ぐらい余裕あると実は色んなことができる。
例えば、何かの手続きで区役所に印鑑証明を取りにいかなきゃとか、朝ぱっといけるしね。
スタバ寄って会社いってみる、とか。
別になんでも良いんですけど、朝に余裕ができるってことはプラスになる。

あと、以前は、社員の誕生日会やろうと飲み会やってたんですけど、
飲みたくない人っているじゃないですか。
お酒飲めない人や、仲間だけでやりたいって人もいますし。

これも誕生日会として全員集めて強制的にやるってのは無駄だなって思って、
「愛情手当」という制度に変えて、
誕生日月だけ1万円(役職によって異なる)支給するというのに変えたんですよ。
そしたら社員達はすごく喜んでくれて。
やっぱり現金もらったほうが社員達も嬉しいってことだったんですよね。(笑)
疲れて夜中2時まで飲んだらタクシー代も使わないといけないし、とか。
気兼ねなく誕生日月に1万もらって
好きなところに飯食べに行くということが結果的には良かったかなと思っています。

あとは、今やろうとしていることが、社員向けの所得保障保険です。
もし社員が重度の障害や病気などで働けなくなったら月15万以上支給されるというものです。
そういった保険があるんですよ。会社が入るものです。

そうしたことが会社として身を切るということだと思うので、それをやり続けていこうと思っています。
綺麗事ぬきに売上と利益はあげなきゃいけないし、
少数精鋭で勝つためには、社員がモチベーション高く働いてくれるってことだと思うので、
そのためにはやっぱり会社が姿勢を見せることですよね。

だからこそ、経営理念や行動指針も腑に落ちてくれるかなと思っています。
社員のための制度をこれからもどんどん作っていきたいし、そういう絆というか、
この会社は私達にここまでしてくれたんだから頑張ろう、と思ってくれるような会社じゃないと
ダメだなと思っています。

【10】
質問:
行動指針の中に「常に自問自答せよ。」という項目があるかと思います。
杉本会長自身が自問自答している事や、
メンバーに自問自答してもらいたいことはどのような事でしょうか?

杉本会長:
これは、単純なんですけど、
何も考えずに短絡的に行動している人は、ビジネスマンとしても人間としてもダメじゃないですか。

僕は常にリーマンショックの時の経験とか、過去の体験がベースになっているので、
新規事業を一つやるにしても、本当にこれが我が社にとって必要なことなのかってことは
常に自問自答し続ける癖はついています。
そして、それが他者への想像力にも繋がると思います。

他者への想像力をもって仕事ができない人はダメ。
相手が何を望んでいるか自問自答しないと。
お客さんが、今どのポイントにニーズがかかっているのか、とか。
経営者だとすると、社員達が何を求めているか、お客さんが何を求めているかも含めて、
やっぱり自分自身を客観的に見つめる目というのは必要。全部、自問自答することですよね。

とにかく、自分自身が客観的になれているか、
他者への想像力をもっていられるか、
この2つは常に意識していますね。

考えて考えて考え抜いて、考え抜いた先に出た答えってのが正しい答えであって、
それであれば例え失敗しても、やっても良いと思う。
考えてないな、って人の仕事って分かっちゃうんですよね。

「あーこの人何も考えずに会社に来ているんだな。ただの歯車として働いているんだな」とか。
別にいいじゃないですか、意見が通らない末端の担当であったとしても。
自分だったらどうプレゼンするか、自分だったら事業をどうもっていくか、
考えて、考え抜く事から始まると思うんです。

そうしないと、事業としてもビジネスマンとしても広がりがないじゃないですか。
薄いなって分かっちゃうんですよね。

でも薄いと分かってしまっても、いちいち僕は言わないですけど。
例えば、見城さんだと、その場で「君は薄っぺらいな!」って説教が始まります。(笑)

どんな目上の人だろうと、どんな目下の人だろうと、
何度か激怒している姿を見たことがありますね。どんな場面でも言うんですよ。

前に、ある年上の経営者が見城さんに会いたいと言って会食をセットしたにも関わらず、
ずっと見城さんに喋らせないで自分の話をしていたらしいんです。
そうしたら、30分ぐらいしたぐらいで、
「俺はあんたに会いたいって言われてきているだけで、
あんたの高説を聞きにきたわけじゃないんだよ」って言って
その方のほうが8~9歳年上の大先輩の経営者なんですけど、「帰る」って言って帰っちゃったらしいんですよ。

僕はその後、二次会で合流したから知っているんですけどね。
見城さんからLineがきて、「今日ブチ切れたから帰った、すぐお店に来い!」って言って頂きまして。(笑)
いや、「俺会食中ですよ…」って。「分かった30分待つ、気分が悪い!」って言われて…。

急いで会食を切り上げて合流した覚えが…いやハッキリと記憶に残っています。

要は、ちゃんと怒るんですよね。
どんな人に対しても。末端の社員に対しても。
例えば、2人で対談があって、カメラマンの方に、光の当て方も「その角度違うんじゃないか?」って。
カメラマンさんにも真剣。
ライターさんにも、「どうやって考えてこのライティングしたんだ」とか。
そういうことをものすごく突っ込む。

我々も思うことあるじゃないですか。「んっ大丈夫か?」って。
でも、ライターさんに対しても、
「その質問って本当に考えて質問してるのかな?
いらなくないかなこれ」と思うことがあっても流してしまうじゃないですか。
まぁそれはそれでっていう。流れもありますし。

見城さんはそういうことは絶対に見逃さないです。
名も知らないライターさんを30分ぐらい詰めちゃうみたいな人です。
すごいなって思います。パワーもあるし、一人一人に対して彼こそは平等だなっていつも思っています。
僕は面倒くさくてできない。人に怒る、あるいは叱るっていうのは本当にパワーが必要ですよね。

でも、そう言われた人って必ず何か感じ取るものがあって、
僕が見てきた中では「ふざけんなよ、もういいや」ってなった人はいないんです。
やっぱり次の日、長文で手紙を書いて、
自分の至らなさはこうだったと反応があって、ちゃんと響いている人が多い。
それを見ると、自問自答しなきゃいけない、考えなきゃいけないなって思わされます。

この前、秋元康さんから「これ関わった番組だから見て」ってLineが送られてきたんですよ。
僕は絶対に見なきゃいけないと思ったから、そのLineをスクショしてとっておいた。
3週間後にやっと見られてLine送ったら、「今さら見てくれたんだ。笑」って言ってくださいました。(笑)

それから「杉本の真心が伝わるよ」とも言ってくださった。

秋元康さんとしては、気軽に送ってくれたのかもしれないけど、
僕はしっかりと秋元さんに、思いを馳せて番組を観て、自問自答して、自分なりに感じた事を長文でお返しする。
こうした事の積み重ねをしていると、真心が伝わって、
杉本とは付き合いをしていこうとなるのではないかと、勝手ながら思っています。

思いを馳せて送るからこそ、「こいつは真心が伝わってくるな」って思ってくれるんじゃないですかね。
それで、旅行誘ってくれたり、会食に誘ってくれたり、プライベートでもご一緒するようになりましたので。

つまり、人と人との繋がりで、
「秋元康が信頼しているから信頼できるよね」と、さらに人と人との輪が広がってビジネスが広がっていく。
自問自答はそういったところにも繋がるのかなって思いますよね。

《 株式会社シーラホールディングス 取締役会長 杉本 宏之 》

株式会社President 代表取締役社長 坂本新

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代表取締役社長 坂本新

代表取締役社長 坂本新

設立 2016/9/24
事業内容
    • SBA(人材コンサルティング)
    • スクール業
会社HP https://presidenthp.jp/

どのようなきっかけで株式会社Presidentを起ち上げたのでしょうか?

きっかけは2つあります。

1つは前にやっていた仕事で、トップクラスの売り上げを作っていたにも関わらず、
自分の理想とは程遠い現状を痛感したということ。

そしてもう1つは、自分の部下がどんどん疲弊して辞めていき、
会社も下火になってきたため、何とか脱出して救わねばと思ったからです。

また、株式会社Presidentを設立する時に、
自分の中で決めたこの会社の3つミッションがあります。

①仲間を勝たせ、夢を実現させる

②その延長線上で大きなグループ会社を作り、上場、海外展開、
そして摩天楼まで上り詰めるような会社にする。

③自分の夢を叶える

当然やったことのない事へ挑戦だったので、
そこからもたくさんの試練が待ち受けていましたが、多くの方に支えられ、
自分なりにやってくることが出来ました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

自分が仲間や部下をうまく育てることができず、
1年くらいほとんど自分一人で売り上げを作って、会社を存続させてきたことです。

あの時は本当に大変でしたね。そこで改めてマネジメントの大切さを学びました。

しかし、これは挑戦したからこそ体験できたことだと思っております。
私はこのような経験、「失敗」を恐れずに今までも進んできました。

人生に失敗は付き物です。もし何も失敗したことがない方がいたのであれば、
おそらくその人は何にも挑戦せず、ただぼーっと生きているだけなのではないでしょうか。
そんな人生、果たして面白いのでしょうか。私はそのような道は選びません。

逆に挑戦をすると必ず「失敗」もします。
しかし、どんな小さな「成功」も、必ず「失敗」からしか生まれない。
私はそう考えています。

何か物事を成し遂げるためにはそれを達成するまで失敗し続けなければなりません。
しかし失敗を繰り返し試行錯誤を繰り返すことによってそれが成功体験に変わっていきます。

失敗とは上手くいかない方法を見つけただけのことであり、
逆に言えば上手くいく方法を見つける唯一の手段である。
つまり“失敗すれば上手くいく方法を見つけることができる。”
そう考えています。

株式会社Presidentの強みについて教えてください。

弊社では、お客様一人一人の夢や理想にあわせた教育(SBA)や
サービスの提供を行っております。

現在も年中無休で企業理念である
「あなたの人生をオーダーメイド」の実現に取り組んでおります。

※「あなたの人生をオーダーメイド」とは?
ゆとり教育世代と言われた若い世代を中心に、
少子高齢化や多額の借金など様々な問題を抱える日本を盛り上げられるような
一流の人材を育てていくことを目標にしている株式会社Presidentの企業理念。

あなたの可能性を引き出し、最大化するという使命の元、
これからの未来に必要な人材を育成するという想いが込められている。

坂本新氏が会社を経営するうえで、
特に心がけている事などありましたら教えてください。

とにかく仲間やお客様と仲の良い組織を作ることを意識しています。

そして「好きこそ物の上手なれ」という言葉の通り、
仕事を好きになってもらうことを意識しています。

ご自身の理想のリーダー像を教えてください。

私にとって理想のリーダー像は、
「夢を与えられる人であり、その夢を叶えてあげられる人」です。

公式ホームページにもありますが、株式会社Presidentは
「~あなたの人生をオーダーメイド~」という企業理念のもと、
お客様の夢の実現、1人1人に合わせたサービスの提供を目指しています。

今の日本は夢をもたない若者が多いと聞きます。
少しでも多くの方々の夢を叶えていけるようにしていきたいですね。

今後のビジョンについて教えてください。

株式会社Presidentでの選択の幅を広げるために新事業の展開、雇用の創出、
その後にSBA会員さんに事業投資などを始めていく予定です。

《 株式会社President 代表取締役社長 坂本新 》

株式会社アドバンス 織田慶

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織田慶

織田慶

設立 平成28年1月7日
事業内容
    • 投資教育
    • Webマーケティング事業
    • デザイン・コンテンツ制作事業
会社HP https://adb-ss.com/adb/index.html

■異色の経歴の持ち/織田慶

はじめまして、織田慶と申します。
異色の経歴の持ち主と言われることも多いですが
元々はプロボクサーから個人投資家へ転身した、珍しいタイプの人間です。

現在は投資コミュニティーを運営しています。
なので、色んな評論家の投資アナリストがいますが、より実践的な内容を事細かく説明出来る、
数少ない講師だと思っています。
こうしたインターネットの業界ですから正直、稼いでいる風に見える人も多いですが、
実際にトレードではそんなに稼いでいない人もいる中、
初心者にやさしく丁寧に、経験者にはより本質的なことを的確に伝えていく。
ロジカルに相場の本質をわかりやすく伝える天才だとよく言っていただきます。
最近では3日で100万円を稼いだり、1週間で1200万円の利益を上げたり、
教えることもやりながら、実で稼ぐということに対しても貪欲です。
それは昔から勝負の世界で生きてきたから、
自分との約束や他人との約束をきっちりと守る誠実さを意識しています。
なのでいつも織田慶先生~ココわからないんですが教えてもらえますか?
なんて気さくに相談にきていただけるのだと思います。

■なぜ投資家育成コミュニティーを?

私は最近では老後の2000万円問題や終身雇用を脅かすような発言が
政府や大企業の社長さんが言うようになって、これから経済的な不安から脱出する手助けになればと思って、
投資家育成コミュニティーを運営しています。
いかに相場の流れを読み、荒波を乗り越えて「億り人」になるのか――。
相場に対する考え方や、投資で勝ち抜くための秘訣、資産を築くためのお金や時間の使い方などを、
丁寧に教えています。

私の投資家コミュニティーでは下は22歳から上は73歳という幅広い層の会員様がいらっしゃいます。
最近ではオンラインサロンが非常に流行っています。
私も同じ様なオンラインサロンを運営していますが、
オンラインだけではなく、オンラインと実際に会うセミナーを融合させたコミュニティーを運営しています。

「貯蓄」から「投資」へシフトチェンジをして、本当に望んでいる人生や生活が出来るために、
セミナーを毎月東京、大阪で開催をしています。
効率や利益だけを考えているのであれば、オンラインコンテンツを販売している方が利益率も高いですし、
手間も掛かりませんが、「お客様」の変化や「会員様」の投資スキルを上げていただいて、
実生活が良くなるために実際にお会いして、ご要望を聞いて、
コンテンツの内容や顧客満足度を上げていっています。

こうした混沌とした時代に「安定」と「安心」を手に入れていただくために投資家を育成しつつ、
日本で投資や金融のリテラシーが向上するお手伝いをしたいと思っています。

■どんなメンバーと何を目指すのか

もちろん、社員の中でも投資を始めるメンバーもいて、会社の給料以上に投資で稼ぐスタッフもいます。
それで退職した人もいるくらいです。
商品やサービスに関してももっと会員様に喜んでもらうには??
なんてこともよく社員同士で議論をしています。
もちろんスタッフも私に質問をしたり、AFCに関わってくれる人が豊かに
そして給料も毎年、アップするようなことになると一緒に喜んでくれたりと、
本当に関わるスタッフからも愛されています。

もちろん悪戦苦闘をすることもあるけれど、社員のみんなも投資に興味をもったり、
お客様とメールでやり取りをする内にどんな人なんだろう?なんて、
想像力を働かせながら切磋琢磨しながら頑張っています。

サービスも当然ながら、コミュニティーの代表として織田慶の名前を日本一の先生にして、
日本一成果の出るコミュニティー、日本一の講師、
日本一のサービスを支えるサポートスタッフを目指して頑張っています。

■織田慶からこれからの時代を支える若者にメッセージ

投資の歴史は非常に長い期間の歴史があります。
だからこそ、相場というものがなくならない限り、市場は存在しています。
マーケットは非常に大きいです。
私たちが1億円、2億円を稼ごうが、相場には微々たる影響しかありません。
だから、生き続けることが出来るのです。
相場が読めれば、『経済的な自由』と『時間的な自由』が手に入ります。
ただ、凄く相場は奥深いです。
だから、今も私はたくさんの勉強と努力をしています。
それは仲間を守るためであり、私自身も成長をする。

これから会社はなくなることがあっても、相場はなくならないと思いますし、
今までの歴史からの観点で投資出来る市場がなくなるということも考えられにくいです。

億万長者になったほとんどの人は投資を経験していますしね。
なので、初心者のトレーダー育成の為にコミュニティーを運営しています。
仲間が育ってくれば、トレード学校みたいなものも創業したいです。
そのためにはもっと私、織田慶も稼がなければ。
それにこれからプログラミング同様、
10年後はトレードっていう授業が出来るのではないかとすら思っています。

《 株式会社アドバンス 織田慶 》

髙瀬孝司法律事務所 代表弁護士 髙瀬 孝司

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代表弁護士 髙瀬孝司

代表弁護士 髙瀬孝司

設立 2013年7月19日
事業内容
    • 離婚、男女問題
    • 遺言、相続問題
    • 債務整理
    • 交通事故被害
    • 成年後見
    • 中小企業法務
HP https://www.takase-law-office.net/

どのようなきっかけで髙瀬孝司法律事務所を起ち上げられたのでしょうか?

独立する前は某弁護士事務所に所属していました。

その際に自身で顧客をつける力を身につけることができ、
何年か働くうちに顧客や保険代理店がつくようになり、
独立を考えるようになりました。

やはり一人で仕事をするということは、
執務時間はもちろんですが、全てを自由に柔軟に決められる魅力があり、
事務所起ち上げのきっかけにもなりましたね。

対応できる時間や報酬の値段など、自分で決めることができるからこそ、
より多くの幅広いお客様から相談いただけていると感じています。

事務所を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

当事務所では、「離婚問題」や「債務整理」「相続問題」「交通事故」など
幅広い相談をお受けしています。

ご相談いただいた内容で大変だったと考えることはありませんが、
解決までに7年を要した案件がありました。

7年間という長期にわたって1つの問題に取り組むということは、
案件としても頻繁に発生するようなことではないので珍しいと言えます。

案件の概要としては「相続関係」のもので、借地権の相続だったのですが、
5人以上いる相続人の多さや、地主との交渉、
住んでいた人の立ち退きなどあらゆる行程に時間を要したこともあり、
7年という長期案件となりました。

これまでに携わった案件の中でも、最も長期型の案件だったこともあり、大変印象深い案件でした。

こういった長期案件を経験しているからこそ、
粘り強く問題解決に取り組む姿勢が養われているのだと思います。

貴事務所の強みについて教えてください。

個人営業だからこそできる対応の柔軟性は、当事務所の最大の強みです。

さまざまな職種や職業の方の相談を受けているので、
お客様に合わせて対応するようにしています。

本当は弁護士に相談したいけれど、
仕事の時間や休日の問題で相談することができないという人もいるはずなので、
そういった方にも安心してご相談いただくことができるのです。

例えば、昼間は仕事をしているという場合であれば、
打ち合わせはお客様の仕事の終わった夜に合わせることもあります。

夜のお仕事をされているお客様もいらっしゃるので、
夜12時半などの遅い時間にも対応したりもしました。

一人なので、さすがに24時間対応というわけにはいきませんが、
出来る範囲で対応したいと心掛けています。

事務所を経営する上で、髙瀬様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

弁護士事務所といっても「自営業」なので、
一人一人のお客様を大事にすることが大切だと考えています。

そのため、一人一人のお客様ときちんと向き合うことを心掛けています。

お客様の立場であれば、どうするのかを考えた上で、
不安や悩みを整理して解決への道筋を立てるようにしています。

弁護士によっては欲しい情報を引き出すためのヒアリングを中心に行いますが、
私の場合はお客様の話したいことを話していただいた上で情報も聞き出すように努めています。

そのため、有難いことに多くが紹介でお仕事をいただいているのです。

お客様と向き合って真面目に取り組んでいるからこそ評価を得ることが出来ますし、
そうすればお客様の満足度も高めることができ、
同じ人から紹介されたり、担当したい人から紹介をもらえたりもします。

こうした紹介の連鎖が自身の仕事の増加に繋がり、
事務所経営の上でも重要なものとなっていると考えています。

今後のビジョンについて教えてください。

これまで通り、
一人一人のお客様を大切にして向き合っていくというスタンスに変わりはありません。

現在でも幅広い法律相談の依頼を頂いていますが、
今後はネットの削除請求なども多く取り組んでいきたいと考えています。

インターネット社会の現代では、便利になったものの情報が共有されて拡散されることが増えました。

悪意のある書き込みによって
企業や店舗の評価が下がってしまうこともあれば、
掲示板やSNSにて個人の誹謗中傷が書かれて
個人情報が漏えいしてしまっているような事態も多く発生しています。

また、関連ワードからネガティブワードを削除したいというケースもあります。

こういったインターネットにおける問題は増加しているものの、
個人で削除手続きをすることは困難です。

そのため、弁護士が削除請求をしたり、犯人特定を行ったりするのです。

こういった今の時代だからこそ起こる問題も、
今後は積極的に取り組んでいきたいと考えております。

《 髙瀬孝司法律事務所 代表弁護士 髙瀬 孝司 》


株式会社ノーザ 代表取締役社長 石濱人樹

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代表取締役社長 石濱人樹

株式会社ノーザ 代表取締役社長 石濱人樹

代表取締役社長 石濱人樹

株式会社ノーザ
設立 2018年6月1日
事業内容
    • 医療情報処理装置の研究開発、製造、販売並びに保守
会社HP https://www.nhosa.com/

株式会社ノーザの事業内容について詳しく教えてください。

株式会社ノーザは主に3つの事業を展開しています。
一つ目はデンタル事業です。
歯科用のレセプトコンピュータという、
診療報酬の計算と保険請求を自動化するソフトウェアを開発・製造しています。
現在、全国の歯科医院約1万件に導入していただいており、業界1位を誇っています。

二つ目はメディカル事業部で、透析業務支援システムを扱っています。
病院内の透析装置と電子カルテと医事システムとをつなぐことで、
シームレスな業務環境の構築に貢献しています。
透析分野には大手の競合が多く参入していますが、弊社は第3位となっています。

そして、三つ目は2019年6月に設立したばかりのMDS事業部です。
再生医療にかかわる事業でチャレンジ的にスタートしました。

売上は全体で50億くらい。
デンタルとメディカルで比較すると、
85:15でデンタル事業部の割合が高くなっています。

社員は300名ほどいるのですが、女性社員はそのうち47%を占めています。
化粧品会社のように女性向けの商品を売っているわけではないのに、
これだけ女性が多い日本企業は珍しいと思います。
ご存知ない方も多いと思いますが、診療報酬は年に4回も改定があり、
そのたびにレセプトコンピュータのプログラムを変更しなければなりません。
そのため、当社の女性社員たちは
日々勉強を重ねて日本の保険制度にとても詳しくなるのです。
いわば、手に職をつけるようなものなので、長く安心して働いてくれています。

これまで30年ほど会社を経営されていて、一番大変だった出来事は何ですか?

アナログからデジタル、デジタルからIT、
情報が外とつながるICT、そこからビッグデータが集まりAI化する…。
こうした時代の流れの中で、だれが覇者になるのかを予測するのがとても難しいですね。

私は、歯科業界におけるIT普及の動向は、ノーザがカギを握っていると思っています。
歯科業界のVPN導入率はたったの18%。
これは、ほかの業界よりもかなり低い数字であり、未だにICT化が十分進んでおりません。
我々は、電子レセプトシステムを通じて顧客の会計という重要業務を扱っている存在です。
ですので、我々は日本の歯科業界をIT化で変えられる立場なのです。

社内的なことでいうと、社員の処遇について悩むことが多いですね。
時代の流れの中で、会社に変化が生まれるときがあります。
「変わる」ということは、これまでのあり方が「無」になることを意味しますから、
ついていけなくなる社員が出てくるのです。
しかし、我々はそういった人たちを簡単に切り捨てることなどできません。
変化についていけなくなった社員でも、
会社の戦力になってもらえるように考えることに苦労しています。

貴社の強みについて教えてください。

レセプトと電子カルテをつなぐ、
最先端システムを持っていることは、弊社の大きな強みです。
また、歯科と透析に特化していることも、他社と差別化できる点です。

病院が国に医療費を請求するためには、
我々の提供するレセプトシステムは必需品ですし、
IT化を進めることで医療費の予算を削減したいと考える国の意向にも、
我々のやっていることは沿っています。

我々のいる歯科医院向けレセプト市場では、販売1件1件は薄利多売ですし、
年に4回もある診療報酬のアップデートにも対応しなくてはいけません。
こうした背景が、大手企業が参入しない、できない要因になっており、
だからこそ、我々が大きなシェアを取っていけるのだと思います。

また、ユーザー医院にノーザのインストラクターが対面で
コンピュータの使用方法を指導したりメンテナンスを行ったりするため、
そこで人と人とのつながりが生まれます。
そうすると、理屈や値段だけで、
後から参入した会社に簡単に乗り換えられることはありません。
このように、市場の地盤を固めてきたことも、弊社の強みといえます。

会社を経営する上で、石濱様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

きれいごとを抜きにして言うと、社員の所得アップです。
私は、「自分たちの給料もあがらないのに、街のゴミは拾えない」と思っています。
自分に余裕がなければ、外にも貢献できないのが人間の本質ではないでしょうか。

日本のサラリーマンのうち、年収一千万円以上もらっているのは2.2%だけと言われています。
私は、「ノーザはその倍の5%を目指そう。社員の5%は年収一千万円以上にしよう」と、
日ごろから言っています。

企業は継続がすべてです。
お客様・株主・自分に対して、継続して利益を与えていかなければなりません。
自分が光るためにポケットに入った虎の巻を他人に教えようとしない人がいます。
しかし、心に余裕がある人は、
知り得たこと・情報はきちんとチームに共有し、人を育てていくものです。
社員に心と所得の余裕がなければ、企業は存続できません。
だからこそ、私は「社員の所得をあげること」に重きを置いていますし、実行しているのです。

今後のビジョンについて教えてください。

国の総医療費は40兆円と言われています。
介護保険制度を支えているのは、まさしく医療機関と言えるでしょう。
それにもかかわらず、医療業界はITやAI技術の恩恵をほとんど受けていません。

今後、医療業界を変えられるのは、IT技術を持っている企業だと思います。
だからこそ、我々のようなIT企業は技術を普及する義務があるのです。

ノーザは、業界を大きく変えていける、
いや、変えるべき立ち位置にあると思っています。
歯科業界のIT化は大きく遅れを取っていますが、
我々の手によって、他の業界に追いつけると思っています。
私がノーザに残り続けてきたのは、
この業界を変え、さらに社員にもっといい思いをさせてあげられる、
その楽しみがある会社だと確信しているからです。

ITと医療をつなぐ先駆者として、これからも使命感をもって進んでいきたいと思います。

《 株式会社ノーザ 代表取締役社長 石濱人樹 》

ワンストップソリューションズ合同会社 CEO 池田公太

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CEO 池田公太

ワンストップソリューションズ合同会社 CEO 池田公太

CEO 池田公太

ワンストップソリューションズ合同会社
設立 2000年
事業内容
    • ウェブサイトモニタリング
    • テクニカルサポート
    • ウェブサイト開発・デザイン
会社HP https://www.oness.work/

どのようなきっかけでワンストップソリューションズ合同会社を起ち上げたのでしょうか?

不動産関係の会社は、不思議なほど昔ながらの慣習が残っており、
特に新しいアプリや、もっと言えばAIという分野からは非常に遠い存在なんです。

アメリカの企業に長年在籍していた自分としては、そのあたりに強い違和感があって・・・。
自分が違和感をもったということは、
ユーザーも違和感を持っているもしれない、
そこにビジネスチャンスがあると思い、創業しました。

別の業界で、例えば個人のネット証券の取引は全部電話や対面だったんです。
それがテクノロジーによって、
一気に90%以上の方がWEBでの取引に移行したのを体験し、
テクノロジーのすごさに感動して・・・。
だから、テクノロジーを使えば、
さらに多くの方にお金の課題を解決できるサービスを提供できるんじゃないかと考えました。

今後も伸びしろは大きいと思っています。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

前の質問への回答とも被るのですが、
もともとが体育会系のITと疎遠な業界である不動産業でアプリの浸透、
AIの導入を考えたときに一番のネックになったのが、営業面でした。

不動産業は大企業が少なく、零細企業が元々多いのが特徴でして・・・、
そのワンマン社長の多い会社への第一歩目の営業というのは、
皆さんが想像されるよりもずっとハードルが高くてですね。
不動産業の会社には
毎日迷惑な不動産資料等のファックスやメールがものすごく多く届くんですよ。
だから外から営業してくるものに対して、非常にアレルギーがあるというか。。。

ただ、その中でも根気強くアピールすることによって、
当社は少しずつ顧客を増やしていきました。

貴社の強みについて教えてください。

結局プラットフォームの優劣は利用者の数で決まるものだと思っています。

その点で言えば、親和性の低い不動産業での創業であったため、
当初の苦労があった分、現在では先行者利得と言える部分が存在します。

これはフェイスブックでもインスタグラムでも同じだと思うのですが、
結局はユーザーがユーザーを呼んでいくものですよね。
不動産アプリでも同様なんです。
結局ユーザー数が物件数、ひいては有力な情報数に直結するものですので、
当社としましてもその部分での多角的な取り組みは今後も続けて精進してまいります。

会社を経営する上で、池田様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

「自分で定めた目標に向かって努力すること」です。

努力して目標を達成して、また次の目標へ……と、
自分自身に課題を設けて突き進むスタイルは、サラリーマン時代から変わりません。

経営者となった今も、
常に自分自身との戦いだと思って仕事に取り組んでいます。
また、すべての従業員や顧客を自らよりも優れていると捉えることが、
自らの成長につながると強く認識しています。

今後のビジョンについて教えてください。

3年後までに業界のトップ5に入ることを目標としています。
そのために、こなさなければならないタスクや数字等はすべて頭に入っています。
3年後にそうなっているかは分かりませんが、
分からないからこそビジネスは面白いと信じています。

《 ワンストップソリューションズ合同会社 CEO 池田公太 》

株式会社ネットハウジング 代表取締役名誉会長 弓削佳央

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代表取締役名誉会長 弓削佳央

代表取締役名誉会長 弓削佳央

設立 2001年
事業内容
    • アパート・マンション・駐車場の総合管理
    • 土地有効利用の企画・立案
    • 賃貸物件の入居者募集・仲介
    • 土地・建物の仲介
    • 少額短期保険代理業
    • アパート・マンションのリフォーム・清掃・巡回
    • 住宅のリフォーム
    • 分譲マンションの管理
    • 大規模修繕工事
    • 投資用不動産の再生・販売
    • 都民住宅指定法人(06-6-003)
会社HP https://net-housing.tokyo/

どのようなきっかけで株式会社ネットハウジングを起ち上げたのでしょうか?

独立ですね。
元々は賃貸の営業を12年くらいやっていたのですが、前の会社が事業を縮小してしまったんです。

▼以前はどのような会社にいらっしゃったのですか?
賃貸の仲介と管理をしている会社でした。
今の会社も同じように作り始めて、流れで売買ですとか賃貸経営を始めたんです。

▼会社を起ち上げるとなると、お金の面でも大変そうな感じがするのですが
実はこの仕事、あまりお金のかかる仕事ではないんですよ。
その代わり管理物件を取得していくのが本当に大変で、物件集めにはかなり苦戦しました。

また、一番の要が管理人さんのもっているアパートを一棟代理で集積させてもらうことなので、そこを増やしていくことにも力を注ぎましたね。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

会社設立当初は、今の業務とは関係ない仕事をしていました。
携帯を販売したり、他にもいくつかの事業をやりながら賃貸の仲介と管理の仕事をしてきたんです。

あとは売上が毎月安定しないので、外壁を受注したりですとか、保守業、リフォーム業で収益を確保したりもしていました。
ですので最初はオーナー様の元を駆け回っていました。

▼家賃回収のお仕事となると管理人さんが結構嫌がる仕事ですよね
そうなんです。
特に足立区は、家賃滞納者が多いこともあって、家賃滞納しているような物件じゃないと、家主さんも管理を任せてくれませんでした。

そうした滞納の問題や、入居者として少々問題がある人の対応して解決するからこそ、管理人さんも「今後もお願いしますよ」と言ってくれるのです。

そう考えれば、確かに色んな苦労はしてきていますね。

▼場合によっては、裁判沙汰、警察沙汰になることもあるらしいですね
この業界では少なからずありますが、当社では大きいトラブルというのは無いですね。
それに裁判沙汰にしたら当社ではまず対応できないので、そうなる前に上手く解決していっています。

足立区は滞納者が23区内で一番多いですし、そういった意味では問題が多い。だからこそ、当社に任せてくれるというところもありますけどね。

▼ちなみに家賃回収などで、これまで一番記憶に残っている出来事などはありますか?
夜逃げされたことがあって、その処理が結構大変でした。

例えば、夜逃げした住人に荷物を残されてしまって、勝手にその荷物を処分してしまったとします。戻ってきたその住人に“自分の資産を勝手に捨てるな”と言われたら、当社が裁判で負けてしまうのです。

そうならないために書類を取ったり、親族や保証人さんからそのお金の回収はいいからこの書面を送ってほしいとか、結構考えてやらないといけません。

万が一何か言われたら、賠償しなければいけませんから。

▼夜逃げした場合、資産を放棄したということにはならないんですね
ならないです。
文書をもらえればいいんですけどね。

株式会社ネットハウジングの強みについて教えてください

まず、当社は地元密着なので、“足立区に特化してやっている”ということ。
あとは賃貸の管理から始まって、売買や資産運用のアドバイスなどもやりますので、不動産に関する業務を総合的にやっているというところですね。

そういう意味では、ユーザーから求められることを総合的にできているといえます。あとはきめ細かいところで、アパートの掃除をしていたり、巡回したりもしますね。

▼足立区というと治安面も含めて大変な地区という印象がありますね
今は大分よくなりましたよ。
18、9年前は確かに色々と言われていましたが(笑)。

他の地域と比べて苦労が多そうなイメージがあるかと思いますが、自分自身他の地域を知りませんから、これが普通なんだと思っています。

ただ、人間味はありますよ。

他の都市部よりも人とのつながりが強くなる場所だと思いますし、当社の仕事もお金だけでぱっぱと終わる話でもありません。滞納者がいたとしても、滞納者の生活のために福祉申請をしてあげたり、手続きなどのアドバイスをしてあげることも結構あるんです。

まずは生活を安定させることが第一ですからね。

他にも、突然失業して、生活保護のシステムを知らなかったりすると、当社でやりかたが解るので「こういう風にやってください」と伝えます。そうすると軌道にのったりするので、そこからお金を回収できたりするんです。

会社を経営する上で、弓削佳央様が特に心がけている事などありましたら教えてください

まずは“数字”ですね。

収益が安定していることがまず第一。そして管理してお金を預かる仕事ですので、信用が一番大きいです。毎月家賃を全部入れると億単位預かって、それを払わずに信用が無くなったらビジネスが成り立たなくなってしまいますから。

あとは入居者や家主さんからも文句が出ないように、スピーディーにクレーム対応をしたり、そうした対応を積み重ねて評判が上がるよう努力をしています。

▼本当に信用の積み重ねと言えますね
そうなんですよ。

賃貸経営は1回で終わる話ではなく、継続していくものなんです。当社では一番長いお客様で、創業時から18年付き合っている方もいらっしゃいます。賃貸管理というのは20~30年の長期の付き合いが当たり前なんです。

逆に1回でも当社の預かりの支払いが遅れたらそれで終わってしまいますからね。

今後は相続の問題とかも出てくるので、それに対する対応が必要になります。
家主さんには資産があって今は相続税の問題とかもあるので、それに対する対応もしていかなければいけません。人の資産に係る仕事なので、まさに一生のお付き合いという感じですよね。

今後のビジョンについて教えてください

建築が好きなので、建物の質を上げていきたいですね。今までのアパートのようにありふれたものではなく、もっとデザイン性のある建物を供給していきたいと思っています。

▼街のポスターなどで綺麗な家ですとか、マンションなどを見ていると、心が動かされますよね。イメージとしては、デザイナーズマンションのようなものなのでしょうか?
そうですね、デザイナーズマンションのようなものを手掛けていきたいです。

足立区では大学生が増えてきていますので、洗練されたものを欲する土壌は整ってきています。
千住ですと5校の大学がありますし、今度「文教大学」や女子医大も来るらしいですから、今後、千住では若者が増えてくることでしょう。

当社は今後もしっかりと地に足を着けて、常に成長し続けます。
より手堅く、より地元で時代にマッチした売り方で、地域に貢献できるようにしていきたいですね。

《 株式会社ネットハウジング 代表取締役名誉会長 弓削佳央 》

株式会社REGOLITH 代表取締役 清水和希

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代表取締役 清水和希

代表取締役 清水和希

設立 2018年4月1日
事業内容
  • デジタルコンテンツの企画・販売・提供

★ 書籍「世界一ハードルが低い!1日1時間らくらく起業術(プチサク起業術)」

会社HP https://regolith-ltd.co.jp/

どのようなきっかけで株式会社REGOLITHを起ち上げたのでしょうか?

株式会社REGOLITH を立ち上げる以前は、
自身の著作「世界一ハードルが低い!1日1時間らくらく起業術(プチサク起業術)」に記載されている
『自分の強みを活かして起業するネット起業法のノウハウ』を教える事業を行なっていました。

その中で自分よりももっと素晴らしいノウハウを持った様々な方と出会っていくうちに、
「素晴らしいコンテンツを持っているけれども、
マーケティングができないだけで世の中に埋もれてしまっているのはもったいない」
と思うようになりました。

自分の強みはマーケティングだったので、
マーケティングに困っている方にとってもお役に立てるのではないかと思い、
株式会社REGOLITHを起ち上げました。

REGOLITH(レゴリス)は、「月の表面を覆っている堆積物」の意味を持つので、
「月を覆うレゴリスのように、地球の上を自分のプロデュースする商品でいっぱいにする」
という想いを込めて、現在の社名をつけました。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

株式会社REGOLITHを起ち上げる前に行っていた事業の売り上げが低迷し、
廃業寸前になってしまっていた時は大変というよりも不安だらけでしたが、
同時に新規事業の起ち上げを進めていたのと、
元来仕事がとても好きでしたので、
大変だったと思ったことは正直あまりありません。

しかし、信頼している仲間が辞めてしまってとても辛い思いをしたことはあります。
大学の親友とも呼べる同級生2人とネット起業法を教える事業を起ち上げたのですが、
売上の低迷などの問題も相次ぎ、2人はアルバイトや就職をすることになって辞めてしまいました。
知り合ってからを含めると3年くらいの仲でしたが、
それ以来連絡を取ることもなくなってしまったのが悲しかったです。

貴社の強みについて教えてください

一番のPRポイントは、短期間での大量集客と売上アップを可能にするマーケティング力の高さです。

インターネット社会は情報の移り変わりが激しいですが、
弊社では常に最先端のノウハウを仕入れて、その情報を最速で提供しております。

それにより、事業反映のシステムを構築できたら…と考えております。

また、大きな企業では、企画から着手までに時間がかかることがありますが、
弊社では企画から着手までのスピードが速く、
事業立ち上げから1年目にして既に3億円、
もうすぐ3年目になる現在ではおよそ6億円という売上実績もございます。

弊社は少数精鋭部隊であり、
だからこそ対応のスピードが速く「構え・打て・狙え」という精神で動けているのです。

つまり、PDCAが早いということで、その分早い段階で結果を残せることになります。

会社を経営する上で、清水和希様が特に心がけている事を教えてください

株式会社REGOLITHはまだ10人程度の少数な会社なので、
一人一人のスタッフの仕事ぶりをしっかり評価し、きちんと向き合うことが一番大事だと思っています。

起業術系の書籍を出版してることもあってか、
弊社には起業をしたい・とにかくいっぱい稼ぎたい方が来られるのですが、
中にはお金はほどほどに、プライベートを大事にしたいという方もいらっしゃいます。

そういった、価値観や性格が違う人が集まってもみんなで一丸となって
気持ちよく仕事に取り組むことができる環境を作ることが経営者としての務めだと思っているので、
月に1回社員で飲み会を開いたり、たまにスタッフ一人一人とランチに行ったりするなど、
コミュニケーションをしっかりして、スタッフの考え方や悩みなどを定期的に聞くよう心がけています。

今後のビジョンについて教えてください

長期的に継続できる事業を複数展開していきたいと考えております。

現在は英語に関する事業が大きな伸びを見せていますが、
今後はさらに素晴らしいコンテンツに関する事業も展開し、
長期的なビジョンを考えた上で規模を広げていきたいと考えております。

REGOLITHの概念は、社名からもわかる通り
「弊社の商品で地球上をいっぱいにする」ということですので、
英語の先生のノウハウをはじめ、自社の素敵なコンテンツを
世界中に広めていける会社にするというビジョンを持っております。

《 株式会社REGOLITH  代表取締役 清水和希 》

株式会社paters 代表取締役CEO 日高亜由美

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代表取締役CEO 日高亜由美

代表取締役CEO 日高亜由美

株式会社paters
設立 2017年6月13日
事業内容
    • アプリ開発・運用
会社HP https://paters.jp/

どのようなきっかけで株式会社patersを起ち上げたのでしょうか?

私は18歳で上京し当初はカメラマン志望だったため、
まさか数年後起業しているなんて思ってもみませんでした。
私が企業に興味を持つようになったのは、
ご縁があって起業を志す若者たちが集まるシェアハウスに住むことになってからです。

住み始めたシェアハウスにはエンジニアが多かったので、
私も興味本位でプログラミングを始めました。
でもなかなかうまくできず、毎日泣きながら勉強をしていましたね。
学歴も経験もない、ただの小娘だったので、
当時の私はいつも目の前のことをこなすのに精一杯でした。

一方で、周囲には私を応援してくださる大人や先輩たちもたくさんいました。
上京してすぐのころは、親戚も友達もいなかったのに、
十分な人脈が築けたのは、周囲の力添えがあったおかげです。

だからこそ、いざ起業しようと思い立ったとき、
まず、頭に思い浮かんだのが、これまでの「助けられてきた経験」でした。

私と同じ境遇でも、誰もが同じように、
周囲に助けてもらえる訳ではありません。
ひとりでは何もできず、行き場を失って、
夢をあきらめざるを得なくなる人が多いのが現実です。

華やかなバックグラウンドがなくても、経済状況が悪くても、
現実に左右されることなく、夢を掴める人がもっと増えてほしい。

そんな想いを巡らせるうちに、考えついたのが
「夢を追いかける女性」と「その夢を応援する男性」のマッチングサービスでした。

プログラミングを勉強していましたし、
アプリ開発している会社にエンジニアとして面接を受けていた時期もあったので、
自分ができることから始めてみようと思い、
人生で初めてアプリ開発を始めたのが22才のときです。

今までになかったようなマッチングサービス、
しかも、「応援」という私の原体験を生かせるアプリを開発しよう、
そんな思いからpatersははじまり、今に至っています。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

会社の立ち上げの時期が、一番大変でした。
アプリ制作の経験は全くなったので、
参考になるアプリを使い込んで勉強しました。

デザインの知識もゼロからのスタートで、試行錯誤の繰り返し。
特に今のサービスのロゴやアプリのデザインが完成するまでは、本当に苦労しました。

ただ、新しい経験ばかりで楽しかったのも事実です。
今では50名を超えるスタッフも、サービスリリース当初は5名しかいませんでした。
私は思い立ったらすぐ行動するタイプなのですが、
実は何かを継続することがとても苦手です。
それにもかかわらず、辛い時期を乗り越えられたのは、
いつも笑顔で頑張ってくれた社員やスタッフのおかげです。

貴社の強みについて教えてください

既存の枠組みにとらわれず、
やると決めたことは責任をもって徹底的にやり抜くチーム力。
これが、弊社の強みです。

「愚痴や陰口を言う人」「失敗を他人のせいにする人」
「できない理由ばかり言う人」「ただ給料だけをもらいに来ている人」とは、
私は一緒に仕事をしたくありません。
愚痴を言う前に、意見があればそれを堂々と伝えるべきですし、
自分の言動には責任を持たなければなりません。
シンプルなことですが、これができない人が多いのです。

1+1=2は正解ですが、会社という組織の中でチームプレーを発揮すれば、
それ以上の結果を出せることもあります。
1+1=3、1+1=4という式も成り立つのがチームプレーの面白さです。
より多くの良い結果を生み出せるチームとして、
プロ意識を持ってやり抜くため日々努力をできるのが、
patersが成長してきた秘訣だと思います。

会社を経営する上で、日高様が特に心がけている事などありましたら教えてください

業務を行う上で、特に大切にしているのが、
「やるか、やらないかDo, or do not」ではなく、
「Do or Do(やるか、やるか)」のマインドです。

社内でも、「Do or Do」と私がよく口にしているので、
社員にまで移り、みんなの口癖になってしまいました。
プライベートで社員と買い物に行った時、
私が買うかどうか悩んでいると
社員に「Do or?」って聞かれることもあります(笑)

「できない理由を考える時間があるのなら、どうしたら達成できるかを考える」

これが、私の信条です。
もちろん、苦手なことはありますし、
ネガティブになるときもありますが、
それでも、やる前に諦めるのではなく、
まずは全力でやってみることが肝心だと思っています。

「できると言ったからには、やってやろう」
という意気込みをもって挑戦し続けるうちに、
できなかったこともできるようになることがあります。

「できないことを、できる」
というのは、嘘になるかもしれません。
しかし、私は嘘を嘘で終わらせなければ、
それで良いと思っています。
実現するためにがむしゃらに努力することも、
心がけていることの一つです。

今後のビジョンについて教えてください

学歴も経験もない私は、
たった3万円だけを握りしめて上京しました。
自ら色々な人に連絡を取り、
少しでも仕事につながることはないか模索し続ける毎日でしたが、
そんな私を救ってくれたのが、
友人や先輩、心優しい大人の方々との出会いでした。

「この人に会ってみたい」と思えば、
誰かがその人と繋げてくれました。
心強いアドバイスをしてくださる人もいました。
そういったたくさんの助けがあったからこそ、今の私がいます。

patersは、
まさに、人々の出会いをサポートするサービスです。
patersを通して、新しい出会いが生まれ、
それによって人生が変わり、夢を叶える人が日本中にあふれることを願っています。

《 株式会社paters 代表取締役CEO 日高亜由美 》

株式会社GRコンサルティング 代表取締役社長 石破周一

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代表取締役社長 石破周一

代表取締役社長 石破周一

代表取締役社長 石破周一

株式会社GRコンサルティング
設立 2011年4月1日
事業内容
    • 事業者を対象とした電力コスト削減コンサルティング
    • 省エネ機器の設置・販売
    • LED照明の販売及び斡旋
会社HP http://www.gr-consulting.co.jp/

どのようなきっかけで株式会社GRコンサルティングを起ち上げたのでしょうか?

学生時代は、会計士や経営コンサルタントとして
色々な会社の役員に就任したいという気持ちがありました。
そこで、会計と経営コンサルティングの両方を学ぶため、
大学と専門学校に通うダブルスクール生活をしていました。

ダブルスクール時代は鮨割烹でバイトをしていましたが、
そこに会社の代表や社長などがよく来店しました。
ホールスタッフとして働いていた私は30分ほど座敷に上がりこみ、
経営者たちとよくお話ししたものです。
その時の貴重な経験が今の私のベースになっています。

その当初は「会計士になり会計事務所に入ろう」と考えていました。
しかし、周囲から
「経営者になりたいなら、会計は人に任せればいい。
経営者になりたいなら大手ではなく中小企業の営業からはじめたほうが良い」
という意見を多くいただき、会計士と経営者のどちらを選ぶべきか迷っていました。

その矢先に、
創業2年半ほどたった弊社の親会社から数通スカウトメールが来ました。
その業務内容から「営業に強そうな企業だ」と興味を持ち、採用面接を受けることに。

面接にあたっては何も準備をしていなかったのですが、
あまり緊張せず自然体で面接できたことを覚えています。
その後無事に内定通知をいただきましたが、
最後に面接官から「何か伝えておきたいことはありますか?」と聞かれたとき、
「僕をとらないと損する」と強気の発言をしたのが内定の決め手だったかもしれません。

入社後は営業職を経て取締役になったのち、
持株会社制への移行に伴い事業者向け電力コンサルティングを行う弊社を設立。
代表取締役に就任して今に至ります。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

親会社で社員として働いていた時代までさかのぼると、
一番辛かったのは会社が上場した際に社内メンバーで仕事後に飲みに行ったことですね。
特に翌日は非常に辛かったです(笑)。

また、親会社入社後の最初の業務がテレアポメインだったことも辛い思い出です。
タウンページに付箋を貼りながら、
1件ずつ営業の電話をかけるような単調な作業は苦手だったので苦痛でした。

しかし、本当につらいと感じたのは取締役という立場になってからです。

取締役になる前は
マネジメントで恐怖政治を行うのも仲良しグループを形成するのもいやだったので、
「目標に向かって皆で頑張って達成した」と部下が実感できるように努めていました。

しかし、経営側に立ってから、
仕事に対する心構えも部下への接し方も大きく変える必要があることを痛感しました。

従業員だったころは「いやなものはいや」と避けることが可能でしたが、
社長になった今は立場上避けられません。
また、部下と同じ目線で仕事をするのではなく、
社長が思うことを実現するために部下に動いてもらうことも必要となります。

そのような違いから
会社設立後の半年間はうまくいかないことも多く、つらい時期もありました。

とはいえ、私はもともと楽しくないことを無理にやりたくない性分です。
それで開き直って「好きなことをしよう」と行動に移したところ、
そこから業績が伸びていきました。
また、以前は自分で工夫をしてやってもダメな時、
「まあいいか」で終わらせていたことも、
経営者になってからは深く反省をして次に進めるようにもなりました。

今は設立当時より組織が大きくなって指示系統の構築や維持も難しくなっています。
しかし、部下を信じながら「あっちに行こう、こっちに行こう」と流れを作るのが、
社長である自分の仕事だと思っています。

今後のビジョンについて教えてください。

私はもともと「これをやっていく」と決めてから動くことが苦手で、
自分が起業することを考えたとき、
「これをやる」と決めてしまうと視野が狭くなりがちです。
それもあり、今は試行錯誤を繰り返しつつ、
常にニーズに合った商品を提供し続けようと思っています。

たとえば、昔は需要があったウォークマンやMDが今はほとんど需要がなくなったように、
現在需要が高いLEDなども数年ですたれるでしょう。
それを自分の会社に置き換えれば、
「今売っているものが売れなくなれば会社は倒産する」ということです。
だからこそ、会社が生き残るためにも今以上に多様な商品を増やす必要があると思います。

弊社はずっと1つの商品しか売ってこなかった会社なので、
商品を増やすことに抵抗がある人もいます。
しかし、現在主力の商品が5年後、10年後に需要がなくなったとしても、
ニーズが高いホットな商品を並行して売っていけば収益を上げていけるでしょう。

現在は、「常に売れるもの」を模索しながら、
「これはうまくいくのではないか」ということをどんどんやっています。
上手くいくことは100やっても3%くらいしかないと思うので、
計画を練るよりも常に行動してくことを大切にしていきたいですね。

今後のビジョンとしては、
今100の社員の力で100の業績であれば、80や60の力で100を作れるようにし、
その後は100の力で120の力を発揮してもらえるように
マンパワーを強化していきたいと思っています。
また、より営業が円滑に効率的に行うことができるようなシステム強化にも
力をいれていきたいとも考えています。

《 株式会社GRコンサルティング 代表取締役社長 石破周一 》

株式会社だるまや 代表取締役 齋藤雄司

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代表取締役 齋藤雄司

代表取締役 齋藤雄司

代表取締役 齋藤雄司

株式会社だるまや
設立 昭和55年
事業内容
    • 飲食店の経営
    • 飲食店の企画・運営等
会社HP https://darumaya-group.jp/

株式会社だるまやの歴史について教えてください。

創業は昭和54年。新潟市古町に1号店をオープンしました。
当時は「琴平うどん」を販売するうどん屋としてスタートし、
それから3店舗に増え、昭和57年までに4店舗に。

昭和58年になって、
ラーメンだるまやの1号店が古町にオープンしました。

会社を経営していて、
これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

ライバル店に従業員を横抜きされたことですね。

その際、店舗数を減らしてしまったので、
既存の社員スタッフで店舗運営をして、しのぎました。

これは以前経営していた人間が独立して起きた不本意な出来事でしたが、
今思えば1つの試練だったのかもしれません。

貴社の強みについて教えてください。

弊社の強みは、
11ブランドのラーメン店を有しており、
各地域に合わせたブランドを提供することが出来ることです。

また、自家製食材(麺、餃子、たれ、メンマ、みそ)を生産する
「セントラルキッチン」を有しているため、
食材だけでもオリジナル性があり、
他店との差別化にもつながっています。

齋藤様が会社を経営するうえで、
特に心がけている事などありましたら教えてください。

従業員の成長ですね。

従業員が成長すれば、店舗も盛り上がって、
それが会社の発展に繋がります。

▼齋藤様が従業員に成長してもらうために、
取り組まれていることなどがあれば教えてください。

そうですね、
弊社では従業員に成長してもらうために、
働く楽しさをモットーに、
ラーメンを更においしく作る知識の座学とトレーニングを実施しています。

今後のビジョンについて教えてください。

店舗を拡大することです。

現在36店舗ありますが、
50店舗をまず1つのステップとして目標にしたいですね。

▼店舗を拡大するうえで、
現在の36店舗から50店舗に増やすために必要なこと(戦略)についても教えていただけますと幸いです。

いくつかあります。
まず出店するためには人手不足を解消すること。
そのために外国人の正規雇用を進めて行き、
出店戦略として、もう少しお店を小さくして
少人数で作業が完結できるパッケージを考案することです。

《 株式会社だるまや  代表取締役 齋藤雄司 》


尾道輸送センター株式会社 代表取締役社長 亀田龍幸

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代表取締役社長 亀田龍幸

代表取締役社長 亀田龍幸

代表取締役社長 亀田龍幸

尾道輸送センター株式会社
設立 2002/6/11
事業内容
    • トレーラー・大型トラックによる関東方面への定期便
会社HP https://www.shoshina.co.jp/

尾道輸送センター株式会社とは?

尾道輸送センター株式会社は、
運輸・倉庫業をメインとして幅広い事業を展開している
「尾道諸品倉庫株式会社」の関連会社です。

もともとは明治31年に尾道諸品として設立され、物流に取り組んできた同社。
設立されて120年という長い歴史の中で培われたノウハウをもとに、
多様化する物流新時代のニーズに即応できるよう物流システムを構築してきました。

現在は規模も拡大し、石油関連、貨物自動車運送事業、貨物自動車運送事業を
事業とする関連会社をもっており、その貨物自動車運送事業を担当するのが、
今回ご紹介する「尾道輸送センター株式会社」です。

同社はお客様からお預かりした荷物を責任をもって運送する、重要な役割を担っています。

そんな尾道輸送センター株式会社の代表者こそ、今回ご紹介する「亀田龍幸氏」です。
この記事では同氏の生い立ちから、今後の取り組みについて、ご本人に直接伺いました。

どのようなきっかけで尾道輸送センター株式会社を
起ち上げたのでしょうか?

運送事業を強化するためです。

当社の強みは最適な立地にあり、中国四国地方の陸と海の物流拠点で、
自然災害の少ない地域でもある尾道に本社を置いております。

また、万全のセキュリティ対策などにより最適な物流拠点をご提案しており、
さらに輸送ネットワークにより、お客様のニーズに合わせて迅速、確実に
製品をお届けすることができるのです。

そこに運送事業を強化することで、一般的な輸送やルート配送等はもとより、
緊急時のチャーター輸送にも今まで以上に対応できるようにすることで、
安全・確実にお届けする「サービス品質重視」でお客様に
ご満足いただける運送サービスをご提供してまいります。

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事は
どのような事でしたか?

荷主様を新規開拓することですね。

運送業は、既存顧客を大切にすることももちろん重要ですが、
新規顧客を開拓せずに事業を続けていては、将来何がおこるかわかりません。

常に顧客志向、安全最優先、そして協調を大切にし、
お客様からお預かりした荷物を責任をもって保管管理、
そして運送するのはもちろんのこと、培ってきた信頼をもって、
新しい荷主様にお仕事を任せていただけるよう、努力していく所存です。

貴社の強みについて教えてください。

大手荷主と取引があることです。

会社を経営する上で、亀田様が特に心がけている事など
ありましたら教えてください。

やはり安全、安心、安定ですね。

当社の経営理念は物流ライフライン事業で社会の発展に貢献し、
豊かで快適な暮らしの実現に貢献することです。

そのために、働く社員一人一人が仕事を通じて成長し、
お客様の安心と満足を与える誠実な会社でありたいと思っています。

今後のビジョンについて教えてください。

安全、安心、安定な物流の実現です。

当社の経営目標は、
「交通事故ゼロ/労働災害ゼロ/貨物事故ゼロ/品質事故ゼロ/環境クレームゼロ」です。

この目標を心に刻み、これからもお客様第一で、迅速に、緊急のご用命にも
社員一丸となって取り組んでいく所存です。

《 尾道輸送センター株式会社 代表取締役社長 亀田龍幸 》

インテークマジック株式会社 代表取締役 徳本敏高

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代表取締役 徳本敏高

代表取締役 徳本敏高

代表取締役 徳本敏高

インテークマジック株式会社
設立 2006年1月11日
事業内容
    • 有害排気ガス削減・環境商品「インテークマジック」の製造 総販売元
    • 「チームプラスグリーン」の運営
会社HP http://www.intakemagic.com/
https://ti-guri.com/

どのようなきっかけでインテークマジック株式会社を
起ち上げたのでしょうか?

私は祖父の時代より、自動車に関連する事業を営む家庭に生まれ、
自身も子供の頃からバイクや車が大好きでした。
父の他界後、家業を継いで会社の経営をしていたところ、
ある大学の先生との出会いがありました。

その方は環境問題について研究をされていて、
当時は、車の排気ガス削減について研究されていたので、
私はその研究のメカニカル部門を担当して共同研究開発を始めました。

このことがインテークマジック誕生のきっかけとなりました。

会社を経営していて、
これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

当初はほぼ研究者ばかりが集まって始めた事業だったので、
販売についてはド素人の集まりでした。
商品を販売ルートに乗せるために、それはもう日本中を皆で走り回りました。

しかし、どうしても営業力が弱い。
そこで、これは皆で下手な営業トークを披露するよりも、
商品の効果を見てもらう方が良いだろうと思い、あちこちで公開実験を始めました。

それを機に販売してくれる仲間ができ、
営業経験のある社員も入社してくれて軌道に乗り始めました。
そこから数年は自宅に帰ることは少なかったですが、社員と共に現場に出続け、
たくさんの販売店さんや問屋さんに私自身も育てていただいたと思っております。

貴社の強みについて教えてください。

商品を開発するにあたり、お客様が使用された時に、
しっかりと効果や違いが感じられるモノを作りたいと考えています。

弊社は品質にこだわっておりますので、
製造工程や品質検査に人の手作業を多く入れております。
その分、時間とコストはかかりますが、
品質にこだわるうえでは何よりも重要なことだと考えております。

会社を経営する上で、
徳本様が特に心がけている事などありましたら教えてください。

人がたくさん集えば多様な意見があるのは当たり前のことです。
その中で皆が共感し、やりたくなる目標設定をすること。
そして誰よりも私自身が達成に向けて全力で取り組み、
努力することが大切と言えます。

今後のビジョンについて教えてください。

人や社会に意義があると信じるものを
会社として形にしていき、成長し続けることです。

《 インテークマジック株式会社 代表取締役 徳本敏高 》

株式会社LIGHTNING PREMIUM 代表 坂本よしたか

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代表 坂本よしたか

代表 坂本よしたか

代表 坂本よしたか

株式会社LIGHTNING PREMIUM
設立 2011年4月1日
事業内容
    • 経営に関するコンサルティング業務
    • 景品の企画開発、及び販売
    • ウェブサイトの企画、設計、開発、運営及び販売
    • インターネットのコンテンツ企画・制作・運営
会社HP http://lightning-premium.com/

貴社の事業概要についてお聞かせください。

個人が会社に依存することなく、会社以外の収入源を確立して
『個人で稼ぐ力』を身につけるための、
物販や投資コミュニティ、コンサルティングサービスを提供しています。

起業するまでの経緯について教えて下さい。

現在の会社ライトニングプレミアムを設立するまでの経緯を記載します。

高校中退(名古屋)
↓ 金持ちになれば大学に行けると思い、
 勉強をする必要性を感じておらず。
 実家は自営業の飲食店で
 実家数千万の借金を抱えていた為、
 家出して働き始める。

餃子の王将に2年ほど勤務(神戸の先輩の所へ)

使う暇もなく働き、バイトで200万円貯め、
親へ200万円を渡す。

19歳ごろパチンコ屋さんに就職(600万円〜700万円)
ホールから、1ヶ月で役職に入り、
(雑用とか、人が嫌がる仕事を積極的に行う)
上の人から可愛がっていただきました。

20歳で全店舗の営業企画を経験(1000万)
全店舗の営業企画を経験

27歳で左遷(派閥争い)
営業会議で海外に留学させて欲しいと頼み、
1年程度留学した後に、会社に貢献する約束にて
(本当は自分探しの旅をしたかった為)
オーナーにはOKをもらったが、
翌日、左遷にあってしまい、
倉庫に回されてしまう。

自分のやりたいことが大手では通用しないと感じ、
小さい個人経営のお店で、裁量を多くしてもらう。

契約店長(コンサルのような立ち位置)
1社目、会社員勤めを28歳まで経験。

築30年の古いパチンコ屋さんにて
10万円の給料を半年続け、その半年後に
100万円、150万円、200万円、と給与は右肩上がり。
28歳〜31歳最終的に役員となる。

繁盛はしましたが、オーナーが病気となり、
お店を閉めたいという話に、、、。
(名義変更が出来ない)

当時働いていたパチンコ屋さんの
バイトや社員と約束して
パチンコ屋さんのコンサルをスタートし、
地域密着型のお店を開店。

32歳で4社、5社担当し、月収300万円

33歳で詐欺にあってしまう。
営業店コンサルしていた女性オーナーが
チラシもやって欲しいと言われましたが
紹介した広告会社に半年以上未納されてしまった。

パチンコホール内の
ドリンク飲料会社との契約が
特別契約で、1年契約でもらえるお金を
まとめてパチンコ屋に還元して
新台を入れる費用に入れてあげたら、
契約を切られてしまった。
2000万円の借金。

34歳
人を雇用し始めた(逆転の発想)
幹部を引き抜いて、10人雇う。
売り上げが、3000万円〜4000万円
個人の収入も500万円〜600万円

39歳までその会社を続け、
8年連続黒自営業だったが、3.11の震災時に
人は雇用していて辞めさせずに
自分の身銭を切って1年間払う。
貯金が底をついたら銀行で、3000万円借り入れ。

復旧の目処が立たず、会社を閉じた。

月収200万円となり、市場拡大も出来たが
店舗型のビジネスは、災害リスクが高く、
起業して10年立たずして、断念する。

39歳ネットビジネス業界に参入。

坂本社長が念頭においている経営理念はありますか?

ミッション:
『私たちはWebを通じ、未来を上質な領域へ転換するための機会を提供します。』
バリュー:『PDSA』
PDCAは、PLAN(計画)→DO(実行)→CHECK(評価)→ACT(改善)の
4ステップを表します。

それを進化させたのがPDSAです。
「S」とは、「STUDY 研究」の「S」、
「評価」よりさらに進んで深く「研究」することが必要ということです。

環境の変化の激しい時代に、組織は常に「学習する組織」であることを要求され、
計画(PLAN)の元となった基準や前提さえも検証しなければなりません。

「CHECK」から「STUDY」へ。
新しい時代の「学習し、進化する組織」には「PDCA」ではなく、
「PDSAサイクル」を回していくことが相応しいと思います。

現在、特に注力している事業は?

物販や投資コミュニティ、コンサルティングサービスに注力しております。

坂本社長より、就活中の学生や社会人として働く若者へ向けた
メッセージをお願いします。

若いうちはとにかく自分自身が成長できる環境に飛び込むことが大切です。

給料、福利厚生、勤務先など様々な条件を見て、仕事を選ぶと思いますが、
その仕事に就くことであなた自身が「成長」できるかが一番大切です。

今、日本では「働き方」が大きく変わろうとしています。

終身雇用、年功序列の崩壊、さらに、人工知能やAI技術の発達により、
将来的に日本の労働人口の49%が人工知能に代替可能というデータも出てきています。

これまで10年、20年前に常識だったことは非常識になってきているのです。

今後、そのような時代の中で生き抜く為に大切な事は、
スキルを向上させたり、自分自身の成長に繋がる、環境(会社)を選択することです。

5年後、10年後、自分自身がどうなっていたいのか?

しっかりと夢や目標を持ち、それを実現する為に何をするべきなのかを
常に考えて行動することを意識してください。

自分の信念を持って、20代を生きれば、きっと将来あなたの貴重な財産となります。
辛いこともあるかもしれませんが、夢や目標を持って行動してください!
応援しています!

《 株式会社LIGHTNING PREMIUM 代表 坂本よしたか 》

讃光工業株式会社 代表取締役社長 白井 敏雅

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代表取締役社長 白井 敏雅

代表取締役社長 白井 敏雅

代表取締役社長 白井 敏雅

讃光工業株式会社
設立 1948年4月30日
事業内容
    • システム機器
    • 農業関連事業
    • 建設関連事業
    • 一般・食品関連事業
    • プラント
    • 研究/開発
会社HP https://sanko-scl.co.jp/

どのようなきっかけで讃光工業株式会社を起ち上げたのでしょうか?

創業は1948年私が生まれる前です。私の曽祖父が創業しました。

当時の度量衡は非常に厳格な業種で、参入が難しい、
しかし非常に守られた業界で、
世の中には必要不可欠な分野であるという点から、
この業種を選び創業したそうです。

会社を経営していて、これまで一番大変だった
出来事はどのような事でしたか?

いつも大変ですので、一番というのがこれという事もありませんし、
いつも大変なりにも楽しんでいるのが現状です。

しかし一番悲しかったことがあります。
それは従業員が亡くなる瞬間です。

当社は労働災害がとても少なく、現在も1800日以上無事故無災害で来ております。
これも現場担当者や安全管理者のお陰なのですが、私もこの年になると、
ひとを見送ることも増えました。

ケガだけではなく病気も含め、私よりも若い社員や元従業員を送るときが
最も悲しく寂しい瞬間ですね。

貴社の強みについて教えてください。

当社の強みはなんといっても70数年の歴史によって培ってきた
計量機を中心とした産業機器のバランスを保つノウハウです。
必要に応じてお客様の求めているニーズの先を提案し、
常にオーダーメイドの精神で対応しております。

また、計量機は売りっぱなしでは信頼を確保できません。
お客様に寄り添い、時にはすぐに駆け付けられるサービス意識こそ、
当社の強みだと感じております。

会社を経営する上で、白井様が特に心がけている事など
ありましたら教えてください。

社員の家族も含め、社員の幸せを最も心がけております。

それは間接的に私や私の家族も同様に含まれることですが、
孫を持ってより家族の有難みを感じるようになりました。

私たちが仕事をするのはなぜなのか。
守るべきものがはっきりしていると、
それは仕事に対するバイタリティにも繋がります。

社員は家族を1番に大切にしてもらいたい。
そして経営者は社員の幸せを一番に考える事が大切だと感じております。

今後のビジョンについて教えてください。

この地域、この業界におけるリーディングカンパニーとなるべく、
イノベーションを自発的に発動させることです。

業界も会社も歴史と共に頑なに守りに入る傾向があります。
しかし、それでは成長は見込めません。

会社は人を預かっている以上、成長をさせなくてはなりません。
それには明確に成長へのプロセスをビジョンに掲げ、イノベーションを起こし、
会社全体が成長する事が大切です。

ビジョンは掲げるものではなく、実現させるものです。
しかし、ビジョンは口外をして見せびらかすものではありません。
しかも明確な成長へのビジョンほど今は従業員以外に明かしたくないものです。

地域や業界に貢献し、イノベーションを自発的に発動させる、
程度でご理解ください。

《 讃光工業株式会社 代表取締役社長 白井 敏雅 》

青山清利

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青山清利

青山清利

青山清利

SNS情報

青山清利とは

青山清利とは、神奈川県横浜市港南区出身の、28歳で起業し初年度で営業利益2億円を計上、
30歳でアーリーリタイヤし、現在は数十社の会社へ投資を行う投資家として活動している人物である。
健康志向でタバコは一切吸わず、お酒はグラスに口をつける程度。
交友関係は国内外に広く、性格は明るくひょうきんなタイプで、
趣味は父親の影響ではじめた格闘技(柔術)と学生時代からやっているサーフィン。

青山清利のプロフィール

【名前】:青山清利(アオヤマキヨトシ)
【生年月日】:昭和49年(1974年)7月8日
【出身地】:神奈川県横浜市港南区
【血液型】:B型
【趣味】:格闘技(柔術)・サーフィン
【最終学歴】:拓殖大学商学部経営学科

青山清利の生い立ち~学生時代の経歴

昭和49年(1974年)7月8日、神奈川県横浜市港南区で、
住設工事会社を経営する父と、寿司屋を経営する母の間に生まれた。

当時、裕福な家庭環境ではあったものの、
小学生時代に国の難病指定となっている「潰瘍性大腸炎」を患い、
2カ月ほどの入院生活を余儀なくされた。
以降、健康には気を使った生活を心掛けるようにしている。

中学・高校時代は生まれ育った地元の学校へ通い、
大学進学は、数学の学力が評価されたこともあって、
特別奨学生(入学金等を免除される制度)として拓殖大学商学部経営学科へ入学。

大学時代は、夜はクラブのバイト、日中はサーフィン三昧という大学生活を送っていたお陰で、
特別奨学生として初の留年者となり、大学卒業後は、1年間程の海外放浪を経て、株式会社光通信に入社。

青山清利の株式会社光通信での経歴

営業職として株式会社光通信へ入社し、年間での休みが数日という生活が続くも、営業成績が全国1位に。
その後、横浜支店と沖縄支店の責任者を歴任し、各支店ともに全国支店のトップの成績となった。

両親の会社の倒産により4,000万円の借金を負い起業を目指す

社会人になり、株式会社光通信で結果を出し、会社員として充分な給料をもらえるようになったころ、
同じタイミングで父が経営していた住設工事会社と、母が経営していた寿司屋が倒産し、
両親の保証人になっていたことで、4,000万円の借金を負った。
借金の額から考えて、一発逆転を狙わざる負えないと考え、起業を目指した。

質屋の杜撰な接客からビジネスの可能性を感じた

4,000万円の借金を返済すべく、起業を目指したものの、業界を模索している間に資金は減り、
大切にしていた時計を質入れしなければならない状況になった。

その時の大黒屋の接客を見てビジネスの可能性を感じ、古物業界での起業に絞り込んだ。

株式会社a-senseを起業し初年度の営業利益2億円

古物業で株式会社a-senseを起業したものの、起業当初は資金が枯渇状態で事務所も借りることができず、
自宅(ワンルーム)に電話回線を1本引き、出張買取からの立ち上げだった。

もちろん求人に使える資金も無かった為、地元横浜の仲間達に少ない給料で入社してもらい、
日夜、出張買取や広告設置に走り回り、またしてもほとんど寝ることができない生活が続いた。

そのかいもあり、初年度営業利益2億円を計上し、
2年目からは全国展開を進められるまでに成長した。

青山清利が起業して感じたこと

会社員時代に契約をとれていたのは、世の中に会社の名前が
知れ渡っていたことが大きかったということに、起業して初めて気付くことができた。

また、会社に守られていたことや、採用や経理の処理なども自分でやる必要性が出たことで、
自分自身がモノを売るのが上手なだけだったことが認識できた。

2年弱の株式会社光通信での経験で身につけることができた、
諦めない精神のお陰で、今の自分があるようなものだと感謝している。

青山清利が考える今後の自分のゴール

28歳で起業し、30歳以降はアーリーリタイアした生活を送っており、
現在は数十社の会社へ投資を行う投資家として活動している。

これからは、起業当初から頑張ってくれている社員が成功することが自身のゴールと考えている。

《 青山清利 》

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